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桔梗院たちと一旦別れて、カンネスサービスへとバイクを走らせた。
梅本はとりあえずその方角へ向かっているが、こんな日こそ派遣事務所より、ハローワークへ行くべきじゃないだろうかと思った。仮に約束をすっぽかして事務所で彼らと合流しなかったとして、何のお咎めがあるだろうか。行く途中で用事を思い出した、で済む話だ。
そんなことを考えながらも、カンネスサービスに到着した。会社の駐輪枠にバイクを停めた。
階段を上ってドアの前に立つと、梅本の脳裏にふと花川と所長の顔がよぎった。ドアを開いて顔から覗くように入室した。事務所内は電話の喧騒に包まれている。
昼のこの時間帯なら、だいたいは工場の夜勤組がいたり、大所帯現場のリーダー格の者が、担当社員と打ち合わせしていたりする。また別に、求人掲示板の前に貼りついている者がいたり、出入り口付近に一つ設けてある楕円型のテーブルで、情報交換に勤しんでいる者がいたりだ。
しかし、今は社員しか見当たらない。花川も森くんも、奥のデスクでそれぞれに電話に掛かりっきりだった。
誰も相手をしてくれないので、梅本はしばらくボーっと立っていた。それでつい、稀有な趣味を持つ所長の顔をじっと見てしまっていた。その所長も今は下を向いて電話中だ。
花川は笑顔で受話器を置いた後、眉をグッと怒らせた。
またスタッフがつかまらないのだろう。忙しそうだし、機嫌が悪そうだ。
彼女は下を見て上を見て、ため息を漏らしている。真っ直ぐに垂らした黒髪を片手で耳へ掛け直したときに、梅本と目が合った。
――お、やっと気づいてくれたかよ。
「あっ……一名確保!」
花川がザッと立ち上がって梅本を指差した。
――はいはい、どこへでも行きますよ。どうせ暇だからね。
彼女はデスクの角を避けながら「さっきから三回も電話鳴らしてるのに!」と、梅本に体当たりしそうな勢いで歩み寄ってきた。
「そう、悪いね。俺はバイク移動だから、そんなの気づかねぇって」
「もぉ! 信じらんないわ」
まぁまぁと、梅本は手振りで彼女の興奮を抑えにかかる。「それで? またドタキャンとか?」
「あっそうなのよ。もぉアッタマ来るわ! いっぺんに四人もよ」
「四人って、そりゃまたヒドイな」
受話器を置いた森くんと、もう一人、梅本が名前を知らない若い社員も寄ってくる。二人とも顔に痛みが走ったような表情をしていた。
「花川さん、タイムアップです。もう梅本さんと僕たち三人で出ましょう」森くんが言った。
今度は梅本が顔を顰める。
「え、そんな急ぎの話なんかよ……」
「そうよ」花川は、いまだ電話中の所長を仰ぎ見た。「急ぎも急ぎ、今からすぐの仕事」
ふ~んと他人事のようにうなずいてから、梅本はハッと思い出して言った。
「それなら、桔梗院くんと、もう一人……何てったっけな。最近ここに登録したばっからしい女の子が、もうすぐここへ来るはずだけど」
「え、マジ? やったぁ!」
他数名いる社員たちが、一斉にこちらを注視した。
――男女に関係なく、とにかく誰でもいいんだな……。
「いやいや、アイツらがOKするとは限らないだろ」
「あと一人でいいなら、僕が出ますよ」と、森くんはネクタイを緩めた。
――いやいや、だから森くん以外はまだ誰も行くとは言ってねぇだろう。
そこへ「チワスー」と、タイミング良く桔梗院たちが上がってきた。子豚の彼女も一緒だ。興奮する社員に囲まれた梅本と、事務所内の雰囲気に眉をひそめる。
花川は一人外れて一番奥のデスクへ行くと、こちらを指差してから所長と何やら相談しはじめた。
「三人とも今から二時間、お願いします」と、森くんは拝むように手刀を切って言う。
「二時間だけ?」
これには梅本と桔梗院が、素っ頓狂な声を揃えて発した。
花川は所長のデスクから戻ってくるときに「森くん、一本」と言って指を立てた。所長と相談した結果、時給を千円ジャストに賃上げする、と言っているのだ。
「わかりました」と森くんは返事して「とにかく急ぎますんで、三人とも僕の車に乗ってください。詳しい話は車の中でします」一人足早に階段へと向かった。
梅本は、バイクのミラーに掛けてあるヘルメットのことを花川に頼んで、森くんに続いた。他の二人も嫌そうな顔をしながらも、ついてくる。結局誰も了承していないが、勢いに流された感じだ。
エアコンが効いてくる頃には到着してしまう、と車は四つの窓を全開にして飛ばしている。森くんは巧みにハンドルをさばきながら、車中で今向かっている派遣先と作業内容について、風に負けない声で説明した。
それによると、現場は市内で一番大きな総合病院。そこの新たに併設された南棟内。設備基盤の交換をするために、人を募ったらしい。
「聞いてたと思うんですけど、二時間拘束で時給は千円です。この三人だけが別枠料金ですから、他のスタッフとはなるべく時給の話はしないでくださいね」
「他の人たちは?」と、後ろの座席から彼女が訊いた。
「たしか、八百二十円です」
「ふ~ん。じゃ、そんな話になったら、話を合わせときますよ」と、彼女の隣に座る桔梗院が言った。
――時給の差は大きいんだけど、二時間だけじゃなぁ。
梅本は助手席で脚を突っ張っていた。




