たがわ‐2
イベントを催していたわけではなかった。
午前中、梅本が店の前を通ったときに見た光景は、ただ単に会社の通用口が開いていなくて、出勤してきた社員が(何がどうなってんだ?)と、右往左往しているさまだった。店の格子シャッター前、道路脇に立っていた松本たちは警備会社の人を待っていただけだった。
数分後、やっと開いた通用口から、社員たちが口々に文句を言いながら、ぞろぞろと建物へ入っていく。笹尾たち店舗販売員の三名は、一旦、更衣室へ寄ってから、開店の準備に取りかかる。そして、一階店舗の照明を点けた途端、三人の表情は凍りつくことになった。明らかにケースの商品が抜かれていたからだ。
ひと目でわかるほど、高額商品ばかりがごっそりとなくなっていたらしい。そのショーケースにはきっちりと鍵が掛けられた状態だった。
笹尾は手にしていた掃除道具をその場に放り出して、三階事務所へと報告を入れた。その間、他の一人がスイッチを操作して、ほぼ全開になりつつあった格子シャッターを、また全閉の位置へ戻した。
梅本は半ばポカンと口を開けながら、笹尾葉月の話を聞いていた。松本と竹本は、笹尾に状況説明を任せ、難しい顔でビールに口をつけている。
(マジヤバい。会社潰れるかも)
竹本からのショートメールは、いつもの冗談ではなかった。
笹尾の解説が一段落すると、梅本は何か言わなければ、と思った。
「昨日の鍵番は?」ひと言も喋らない竹本に訊く。
やっと刺身にありつけた彼女は、すぐに口へ手をあて、鼻息を漏らした。
「いちおう、私だったんです」ピョコッと手をあげる。
「そうか……。ま、食べながらにしよう」
「大丈夫ですよ。梅本さんが来られるまでは、けっこう食べてましたから」
鍵当番は、その日の最終戸締り確認と、次の日の朝一番に出社して鍵を開ける役。部署、新人ベテランを問わず、全社員にもれなく順番が回ってくる。といっても、だいたいは営業部が最後になるので、最終戸締り確認を終えた後、その営業部の誰かしらに鍵をお願いすることがほとんどだった。
笹尾の言った「いちおう」の意味は、梅本にもすぐに理解できた。
「店を閉めて、私一人で伝票の整理をしていたときだったから、二十時半頃ですね。専務が、まだだいぶ掛かるからって、鍵を下まで受け取りにいらして……」
「あの専務がわざわざ受け取りに?」
さすがは梅本さん。話が早い……と思ったかどうか定かではないが、笹尾は一瞬目を見開いてから、ガクッとわざとらしくうなだれた。
「そうですよね……。あの専務なら(三階に持って来い)ですよね」
「葉月に落ち度はないだろ」松本は片口を歪めながらフォローする。「誰も葉月に責任があるなんて思ってないさ」
梅本も似たようなことを言おうとしたが、松本のほうが早かった。
「うん。でもちょっとね。専務と最後に話したのが私で、そのときの専務の様子は? 何か変わったことはなかった? って、みんなが私に訊いてくるんだもん」
蝦夷松専務は苗字からも推測できるように、蝦夷松社長の実弟だ。営業部長の小枝は、社長の娘。この三人は重役出勤することが常なので、鍵を預かることはないはずだ。ただ、その三人のいずれかから「鍵を預かる」と言われて拒否する理由はないし、できる社員はいない。
「で、その専務が今日は出勤して来ない、と」
松本と笹尾が見つめ合いだしたので、ムッとした梅本が続きを促すように言った。
タンッと音を鳴らしてコップを置いた竹本が、隣で大仰なため息をつく。
「しかも、まだ連絡が取れないままってこと。三人同時にだぜ」
犯人捜しの必要はない。経営陣の計画的な犯行だ、と竹本は言っている。「社長と部長は前日から。専務は昨夜から」同時にと言った後、自らで訂正する。
それに補足したのは松本で、
「午前のうちに両方の家へ行ってみたんだけどね。それぞれの奥方も不在だった。専務の家の隣の住民は、先週あたりから奥さんを見てないって言ってたから、前もって行方をくらませてたんだろうね」
「商品を持っていったのは、専務で間違いないですよね。ケースの鍵の場所はもちろん、開け方だって熟知してるし、警備会社への対応も心得てる。ちゃんとケースと鍵を元に戻してあったから、朝までは発覚しない。それで時間はたっぷりあるから、いくらだって持ち出すことができますよね」
それは梅本もわかっているので、要らない件だ。が、笹尾は昼間に同僚から吊し上げられた反動もあってか、また箸を止めて喋る。
梅本は、ふ~んと、そこまでは納得したというふうにうなずいた。三人の顔を順に見ていくと、視線が自分に集中していることに気づかされる。部外者の自分がいる席で、詳しい話が進んでいくことに違和感をおぼえていた。梅本以外は知っていることを、ため息まじりにずっと喋っているだけだ。他の三人にとっては事実確認をしているにすぎない。
――松本は気に病む笹尾を気遣って、俺の口から「どう考えても笹尾は悪くない」と、言わせようとしているのか?
松本がお品書きに目をやって、蒲鉾バターと若鳥のたたきを追加注文した。美咲さんが戻っていった後、ふいに言った。
「どこかで落ち合うのかな……」
梅本と竹本の視線が交差する。
「昨日俺、社長と部長に会ったけど」言ってないのか? と竹本へ視線を送る。
「飛行機の時間がどうのって話ですよね。社長が言ったんでしたっけ」――知れ渡っているようだ。
「わざと梅本さんに、それを聞かせて、じつは近場に隠れていたりして」根拠も何もない……。
言った後、やってられないわ、とばかりに笹尾が刺身のつまをガバッと口に放り込んだ。男三人が薄く笑い、そこから四人とも箸を進めた。
一緒になって困惑の表情を浮かべているものの、梅本にとってこの話は朗報でしかない。後に蝦夷松のツバ娘が刑務所に送られるという展開になれば、ざまぁみさらせ、あほんだらボケ! お尻ペーンペーン、だ。
トイレから帰ってきた松本が焼酎に切り替えた。代わって笹尾がトイレへ立つ。
「ところで今は誰が仕切ってんの?」
竹本が宙に目をやり思案顔を見せる。松本が答えた。
「事務長があっちこっち走り回ってる。中心になってるのは加工部の矢板部長かな。きっと今もどこかで会議中だよ。僕が聞いてるのは、とにかく明日になったら被害届を出すってことくらい」
「ふ~ん。大変なことになってんな」
「大変なのは、まだまだこれからだと思うよ。公表したら、きっと顧客が騒ぎ出すだろうし、そのうえ警察の事情聴取が始まるだろうからね。葉月も僕も、まぁ社員全員からだろうね」
「それでよ」と竹本が続ける。「昨日社長に会ったって件で、警察がお前んとこへも行くだろうから、先に事情を話しておこうかと思ってよ」
「あぁなるほどな、そういうことかよ。迷惑な話だな。――じゃあ当然、ここは奢りだよな」
竹本は舌打ちを返したが、松本は爽やかに笑った。




