マンション
腰を据えられる新居が決まらないことには、物を増やすわけにもいかない。次の引っ越しの邪魔になるだけだ。とは言え、トイレットペーパーにティッシュは喫緊の必需品。なければ日常生活が不便でしかたない。それと布団と食器くらいは揃えておきたいと思う。
ちょうど徒歩五分という所にショッピングモールがあって、そこに行けばとりあえずの生活用品はすべて揃ってしまう。わざわざ積載能力のないバイクを駆りだすまでもない。
限られた予算の中で何を購入するべきか……。
梅本はふと目についた店の一角で、茶碗を両手に取って吟味していた。
まるコゲになった部屋では、衣服ばかりに注意がいっていたが、茶碗くらいは無事だったのかもしれない。タヌキが真っ黒になって変形していたのは確かだが……。
もう一度だけ行ってみようか、と迷っているところ、電話が鳴った。
一旦食器コーナーから出ていった。
(梅本くん、アパート全焼だって? Zは、Zは無事?)
何より先にバイクのことを尋ねるあたり、藤木らしすぎて腹は立たない。
レース活動で他県まで遠征に出掛けていた藤木は、神立アパートの火事を今し方聞いたのだと言う。代わって妻の純さんが電話口に出て、近況を訊きたがった。こちらも、らしい。
「暗くなる前に、ちょっと顔を出しますよ」
下着類と小物雑貨を買い揃え、マンションへ戻った。
三階以上で暮らしたことのない梅本は、十八階まで上がらなければならないことが、じつに面倒だと感じた。学校から帰った小学生が、宅配ボックスにランドセルをあずけて遊びに行く、というのもうなずける。
藤木モータースへ到着すると、Zの音を聞きつけて、藤木が作業場から出てきた。店のウィンドウ越しに、妻の純さんが、こちらへ首を伸ばす様子も窺える。
二人は揃って心配そうな顔で、梅本を迎え入れた。
――そんなにジロジロと見られても……。こっちは包帯の一つも巻いていないんだけどな。
「火事が起きたときは、ちょうどバイクで出掛けてたんすよ。帰ってきたら人だかりができてたもんだから、もうビックリでしたね」
純さんが冷蔵庫を覗き、アイスコーヒーを取り出した。
「そんな時間に?」藤木と純さんはシンクロしたようにニヤリ。
夜中に走り出したくなる心境を理解している、バイク乗りの目と、邪な勘ぐりをした好色の目。梅本もつられて笑みを見せた。
「まあ……。そのおかげで体もバイクも無傷です」
ちょうどその頃、隣市の公園前で、バイク泥棒の脚をチャカで弾いていました、とは言えない。
不動産屋の計らいで、駅近くのウィークリーマンションへ一時避難していることと、細々とした生活物品の購入に頭を悩ませていることを話すと、賃貸物件になぜか詳しい純さんが言った。
「あそこなら食器セットとか、寝具セットのレンタルがあるわよね。食器用、お風呂用、部屋用、各種洗剤が置いてあったはずだけど」
「え、そんなのがあるんすか?」と梅本。
「ちょっと出張で来て、パッと帰るんだもんな」
藤木が、なるほどなぁ、とうなずく。
「うん。説明書のファイルが部屋にあるはずだけど。そこにゴミの分別から何から、細かいことが書いてあるわよ」
出張リーマンは、帰れば自宅に寝具やらがあるのだから、梅本とはまったく状況が違う。それこそ歯ブラシとちょっとした着替えだけでいい。梅本のように、いずれ自分の物を購入しなければならない場合、レンタル代金の分、損をする。が、それもアリかと再考――。
そのレンタル品が気に入れば、買い取る方向で交渉するという手もある。
梅本の頭にあるのは、月十二万円の物件に、四万円で住めるという免罪符の価値。それを引っ越し時の手間と照らし合わせて、天秤に載せている。
梅本はコーヒーを口へ運び、難しい顔とニヤけ顔を交互に繰り出していた。
「梅ちゃんって、考えてることが顔に出るわよね?」
「そうだな」と藤木は首肯した。
後からやって来た常連さんも交え、梅本はしばらくの間、バイクレースの録画を観ていた。その動画の編集を手伝うことになり、面白おかしく話される、藤木夫妻の遠征話を聞き終える頃には、すっかり日も暮れていた。その間、藤木は仕事らしいことをしていない。終始こんな調子で、店の経営が成り立つのだから不思議だ。
梅本は、まだ買い出しの続きがあると言って、藤木モータースを後にした。
レンタルサービスのことについて、さっそく管理人に尋ねようと真っ直ぐに帰宅したのだが、事務所にはすでに誰もいなかった。
管理人の爺さんが座っていた小窓には(九時~十九時)と札が掛かっている。小窓の横に緊急連絡先が表記されていたが、ここに電話して、今すぐ布団が欲しい、と言えば怒られそうな気がした。
マットレスはスプリングが硬めで、それ全体が分厚いビニールカバーで覆われている。臭いタクシーの座席のようにしてあるのだ。敷物なしだとかなり寝心地が悪そうだ。それでも床で寝ることを思えば……。
――空調は快適な温度に保たれているんだから、問題ないか。
晩飯を外で食おうと思って、部屋へ上がらずにいると、胸ポケットのスマホが震えだした。
――藤木モータース? 忘れ物でもしたっけ。
(梅ちゃん、もう帰ってんの? あのさぁ四段くらいの収納ケースが余ってるから、欲しかったら今から持っていってあげるけど、どお?)
「それいいっすね。容れ物の類がまったくないんで……。運んできてくれるんっすか? めちゃくちゃ助かります」
(フフ。もしかしてハンガーも要る? あ、クリーニング屋から付いてくる針金のやつだけど)
「それは五つもあれば充分ですけど、ハンガーもいただきます」
電話を切ったついでに時刻を確認すると、二十時半。
一旦、さぁ食おうと準備した胃袋は、劇的な空腹を訴えている。が、藤木が来るまで出掛けられないようになってしまった。何時頃に来られるか訊いておけばよかった。
――いや、藤木さんも仕事終わりだろうから、上手いこといけばどこかで晩飯を奢ってもらえるとか。
梅本はエントランスから出て駐車場を歩いた。通りに出て幅の広い歩道に立ち、藤木の軽トラがやって来る方へ目を向けた。
「梅本さん?」
空耳かと思ってあたりを見回すと、背後に花川が立っていた。彼女は、梅本が見たことのないカジュアルなファッションに身を包んでいた。
「お、花川さんか。もう仕事は終わったんかよ」
「珍しく早く帰れたの。それで、そっちは何でこんな所に突っ立ってんの?」
梅本は世話になっているバイク屋の話を聞かせた。
意外にも彼女が立ち去ろうとしないので、腹が減っていることを前置いてから、彼女を食事に誘った。
「う~ん……。あ、お腹すいてるんだったら、これ食べる?」
花川がトートバッグから出して寄こしたのは、菓子パンだった。食事は断わられたことになる。
「花川さんって、パンが好きだよな」 力なく笑った。
「うん。好き」ニッと八重歯を覗かせる。
梅本は礼を言って菓子パンをかじった。
なぜか花川も隣に立って、菓子パンを食べ始めた。




