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就業ルイン  作者: ゆぞぅ
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 西町会館から出ると、田井中が電話を切って振り返ったところだった。

 おはようございます、と挨拶を交わして、お互いにやるせないといった表情を浮かべた。


「アパートに戻ってみようかって話になってますよ」

 検分が終われば、おそらく誰かが呼びに来るはず。動くのは勝手だが、現場に行くというのは迷惑ではないのか……。

「そう、まぁそうだろうね。じっとしていても、しんどいだけだしね」

 田井中の言い様に、他の住人とは異質な感じを受けた。その落ち着き様は、あそこに大事な物などない、といっているようだった。たしかに田井中の場合、あの部屋は会社の借り上げ物件なので、駄目になればまた会社が次を手配してくれるのだろう。本人の身体さえ無事なら、まさに痛くも痒くもないとか?


「買い置きのビールが全滅してたらキビシーなぁ」

「俺も冷蔵庫の中に食材がけっこう残ってたんですよ。この気温で電気が止まったら、やっぱ無理ですかね」

「冷蔵庫に入っているなら大丈夫なんじゃない? 電気が止まってるって言ったって、高々五時間くらいだろ」

――そうだ。まだそれだけしか経っていない。変にリアルな夢を見たせいで、時間の感覚がおかしい。

 梅本は呆けた頭を振った。

 そして、バイクを置いたまま、二人は並んで歩き出した。


 腹も減っていることだし、食材が上手い具合に焼けていたらその場で食ってやろう、などと二人は軽口を叩きあいながら歩いた。路地の角を曲がりアパートの惨状を目のあたりにするまでは……。

 立ち入り禁止のロープは外されてる。梅本たちは口をあんぐりと開けて立ちすくむ。すぐ近くから嗚咽が聞こえてきて、自然と駐輪場に目をやると、そこでまたあの中年女性が、ひと目を(はばか)らず涙をこぼしていた。

――あれからずっと泣いているのか? そんなわけはないか。


 梅本と田井中は視線を交わし、それぞれの玄関ドアへ小走りに向かった。

 ドア枠全体が歪んでしまっているのか、ドアは引いてもビクともしない。ハッとして、裏手に回り込んで、すでに破られていた吐き出し窓から土足のまま部屋に入っていった。


「これはちょっとヒドイ」

 田井中の声が驚くほど近くに聞こえた。

 横の壁を見た。梅本たちの部屋は一部繋がっていて、彼がそこにいた。電気も点いていないのに、幾筋かの光が差している。少しだけ空が見えた。「うへぇ、マジか……」

 正面から見た限り、梅本の部屋は無事そうだったのに、中から食い荒らされたかのようなあり様だ。玄関側からの灯かりが欲しい。それより何より、とにかく臭い。燃え溶けたプラスティックが刺激臭となって、目や鼻をチクチクと刺激してくる。

 玄関へ向かった。蹴破ってやろうと思ったのだが、鍵がかかっていただけで、開錠するとドアは(きし)みながらも開いた。

 梅本はいったん外へ出て、深呼吸を繰り返した。


 アパート前に住人が集まってきている。ここの住人だけではないだろう、とわかる人数だ。

 アスファルトへ直に腰を下ろし、あらためて茫然自失している人もいる。二階の住人だろう。階段が横倒しになってしまっているので、彼らは梅本のように慌てて何かをする必要すらないのだ。


「お兄ちゃん、どんな按配(あんばい)よ?」

 すぐ上の部屋に一人で住む爺さんが、上り口から声をかけてきた。ちゃっかり、鼻から下をタオルで覆っている。

「ええ、うちも駄目ですね」

 実際、玄関口だけが無事といった具合だった。

 畳は黒いささくれとなり、梅本の靴跡がそのままの形で凹んでいた。冷蔵庫は瓦礫に埋まっていて、洗濯機は上からの落下物を飲み込んでいる。他にもパッと確認できる範囲の電化製品は、外側が変形してしまっていて、たとえこれで作動したとしても使う気にはなれない、と思った。

 あぁ、と呻くように言った爺さんは、それでも入ってきて、室内を窺いだした。上から自分の部屋の物が落っこちてきていないか、と探っているようだった。


 無事だったのは愛用のリュックと靴、(すす)けているものの、衣服が数着原形をとどめている。この匂いが染みついた状態で、無事といえるかどうかは本人しだいというところか……。それらを運び出すとしても、容れ物がないことが何とも歯痒い。どうしようかと思案していると、爺さんが言った。

「お兄ちゃん、みんな外で集まっとるみたいよ」

 何かしらの説明が始まるようだ。

 返事をしようとして急に咳込んだ。ここは一旦、両手で持てるだけにして外へ出るのがいい。

 梅本は濡れていない地面を探して、そこにドサッと荷を降ろした。それから、住人たちの輪に加わった。



 結局、被害がなかったのは一階端の二部屋だけだった。

 一〇一号室の鈴木の婆さんは着替えてきていた。近くに住む娘さん夫婦が駆けつけて来ていた。

 火元は二〇七号室――。

 梅本以外は目撃していたので、知らされたところで皆に驚いた様子は見られない。

 窓際にあったテレビから出火して、カーテンに燃え移ったとみられる。また、そのテレビの真上にエアコンがあり、おそらくはエアコンの排水ホースが目詰まりを起こして、室内に落滴。真下にあったテレビがショートして火が出た……。

 だいたいそんな説明があって、住人はざわついた。最前列で小さな機械に話しかけているのは、新聞記者だろうか。


「そんなことで火事が起こるの?」

「みんな燃えちまって、いったい誰がどう責任を取ってくれるんだ!」

「皆さん、ちょっと落ち着いて」

 鈴木の婆さんが、一歩進み出て言った。

「鈴木さんの部屋は被害がなかったから、そりゃ落ち着いていられますよね」

「そうですよ。鈴木さんが俺たちの保障してくれるって言うんですか」

 およそ住人同士間のトラブルを起こさない、普段は温厚な人たちも、焼け出されれば声を荒げる。

「何でうちのお母さんが、あんたたちの面倒まで見なきゃなんないのよ!」

 娘さんの形相に、文句をつけた住人は(ひる)んだ。隣に立つ旦那さんも、その勢いに少し引いているように見える。

「当り散らしてないで、自分ことは自分でしなさいよ! 馬鹿じゃないの!」

 鈴木の婆さんは、娘のほうを宥めにかかる。

 梅本と田井中は、やれやれといった様子でカヤの外にいた。


 やがて、怒りの矛先(ほこさき)は二〇七号室の住人へと向かったが、

「火元とみられる二〇七号室から、二人のご遺体が発見されました。福留さん夫婦と見て間違いないでしょう」の一言で、沈静化した。

 聞こえてくるのはわずかな舌打ちと、すすり泣く声。死んでしまえば、もうそれ以上は(ののし)れない。そんな暗黙の了解は、仏教からくる考え方だろうか。鈴木の婆さんや、上の部屋の爺さんは、ひん曲がった鉄骨が飛び出している二階部分へ、静かに合掌した。


 警察と消防は引き上げていく。

「わたしは今夜から、どこで眠ればいいんでしょう」

 ボソッと聞こえた女性の発言に、ずっと沈黙していた男二人が答えた。不動産屋と、ここのオーナーらしい。

「ええ、本日の十四時に西町会館で説明会を開きます。そこで各々住人方の仮住まいについて、ご説明いたしますので、必ず集まっていてください」

 仮住まいが用意されると聞いて、住民たちはバラバラと散り始めた。その場に残っている住民は、ある者は不動産屋に詰め寄り、ある者は保険屋と挨拶を交わす。煙草に火を点けて、アパートを見上げいる者も一人だけいた。あの中年女性はまだ泣いている。


「とりあえず、飯にしない?」

 田井中が梅本の肩に手を置いた。

「そうですね」

 梅本も食欲は衰えていない。


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