51
隣市とはいえ、馴染みのない住宅地を走っていた。方角さえあっていれば、いずれバイパス通りに出るはずだ。
狼狽を紛らわせるかのように別のことを考える。たとえば腹のポケットに入れた、飲みかけの缶コーヒーのことを。キャップはきつく閉めたつもりだが、漏れ出してきて服にシミができたら嫌だな、と意識をそちらへ向けてみる。
しばらく行くと、ぽっと開けた場所に出て、そこに自販機を見つけた。空き缶入れもある。
梅本は緑色のフェンス沿いにバイクを停めた。
途端にじっとりとした汗が首筋を伝う。ヘルメットを脱いで髪を掻き上げた。しんなりとして心地悪い。
拳銃については、なるべく早く廃棄したほうが良いと考えていただけで、今夜でなければならないということはない。少し冷静になれば、悔やむ必要すらない。そう思うと、さっきまで打ち急いでいた鼓動は何とか落ち着いていくようだった。
もう一つスッキリしないのはパトカーのことだが、これは大事になっていれば、近いうちに派遣スタッフの誰かから話題を提供されることだろう、と思う。とにかく憶測では何を言おうと始まらない。
缶コーヒーをひと口すすった。……不味い。眉根を揉んだ。街灯のない峠道にそうとう目が参っているようだった。
ボトル缶を口にあてフェンスに指をかける。その向こうは公園だった。ブランコと鉄棒とベンチが、ぎゅっと押し込められたような小さな規模の公園だ。一つしかない街灯が、その公園の奥のほうの一点をぼんやりと照らしている。そこにうずくまっている人がいて、梅本は総毛立った。全身が黒っぽい服装で動く様子がない。
梅本はバイクからキーとウエストポーチを取った。微糖のコーヒーを飲み干し、口直しにブラックを新たに買った。振り返ってもう一度公園内を覗いても、その人はそのままだった。梅本は冷たいコーヒーを飲みながら、恐る恐る歩き出した。
しかし、近寄ってみると何のことはない。肩から脱力して鼻息が漏れる。トラックのタイヤが埋め込まれているだけだった。これも遊具の一つだ。こんな物が人に見えるということが、また心の動揺を誘った。コーヒーではなく、アルコールが飲みたくなった。
「何だよ、もう……」
梅本はフェンスを背にしてフニャフニャとしゃがみ、見え隠れする三日月の、わずかな反射光では照らしきれない暗い地面と同化した。こぶしを額に当てて、茫洋と目の前にある住宅を眺めた。隣もその隣も、今は寝静まっている。
何秒くらいそうしていただろうか。ふと視界の端に動くものを捉えたような気がして、座ったままで首だけを右へ捻った。
今度こそ本物の人だ。三人いる。たぶん三人とも男だ。
しかし、横並びで話しながらではなく、三人が一列に並んで向かってきていることに違和感をおぼえた。梅本には全く気付いていない様子だ。
その男たちは角地の住宅の駐車場前で止まると、あたりをキョロキョロと見回した。三人ともが一度は梅本のほうへも一瞥をくれたが、誰もいないはずだと思い込んでいるのか、一向に気づいた様子はなかった。
どう見ても、家主が遅くに帰宅したというふうではない。その様子があまりにも怪しくて、梅本は動けなかった。
そのうちに、男たちがその家のカーポートの奥へと消えていった。車の向こうでしゃがまれては、梅本の位置から、それ以上を窺い知ることはかなわなかった。
――車上荒らしだ!
そうとわかっても、滅多な正義感は自分の身を危険にさらしかねない。何せ相手は三人だ。
一旦バイクを取りに戻って、あの家の前で「なにやってんだ!」と叫んでやる。
クラクションを響かせ、ご近所様を巻き込んで騒いでやる。
そして、さっさと逃げる。……これが一番の安全策か。
梅本は背中のフェンスに気遣いながら、静かに立ち上がった。
いや、もしかして、ここの住人が友達を連れて帰宅したが、家族を起こさないように裏の勝手口へ回っただけ、ということも考えられる。
かかわりたくない、と本音が漏れ、梅本はその家の正面にあるお宅のカーポートへ移動して、身を潜めた。もう少し様子見だ。
クッと顔を覗かせると、車の向こうに中型くらいのバイクがあった。そこに蠢く人影もある。
――バイク泥棒?
梅本の胸中に、エイプを盗まれたと知った朝の、あの腹立たしさがぶり返してきた。大破したエイプと再会した雨の夜が脳裏に浮かんだ。
――俺のバイクを盗んだのも、お前らか!
そして予想通りにバイクが出てきた。ロックの掛かった前輪だけを小さな台車に載せ、三人がかりでゆっくりとバイクを運んでいた。
あれの主を思いやると怒りに打ち震えるが、完全にタイミングを逸している、と思った。今から出ていっては、こっちが逃げられないかもしれない。判断の遅さが招いた結果だ。
そうして梅本が歯噛みしている間にも、男たちはアスファルトまで出てきて、静かに方向転換を試みている。ここからそう遠くない所にトラックでも停めてあるのだろうか。彼らが来た方向へ、バイクの頭が向いた。
警察へ通報するか……ここの住所が今一わからない。どこかに書いていないだろうか? 通報するときに、スマホの光に気づかれてはマズい。それくらいは大丈夫か。
また男たちが周囲を警戒し出した。
梅本はなるだけゆっくりと後退する。すると突然、梅本は照らし出された。
梅本が潜んでいたカーポートの防犯ライト、人感センサー付きの仕業だ。
男たちが一斉に反応した。梅本は心の中で悲鳴を上げた。
すぐに一番大柄の男が、訝しみながら肩を揺らして近づいてきた。後の二人はバイクを支えている。
こうなってはしかたない、と梅本も背筋を伸ばして出ていった。
「こんばんは。あれ、何か見ちゃった?」
野太い声だが意外にも口調は軽い。
男の口元はニヤついているものの、目が泳いでいるように見えた。しかし、向こうも緊張しているとわかったところで、何の優位性も感じない。
「こんばんは。バイクくらい、自分で金ためて買えよな」
男がススッと見回す。――梅本が一人きりだとわかったようだ。
「ハッ、なに言ってんの、お前。声が震えちゃってんじゃん」
「そっちこそ。さっき警察に通報したけど、逃げなくていいのかよ」
男は一瞬ピクリと反応したが、すぐに笑みを浮かべて言った。
「へぇ、じゃあ通話記録を出してみろよ」
梅本がグッと詰まる様子を見るや否や、男がポケットからバタフライナイフを取り出した。「ついでに財布も出してみようか」
梅本はウエストポーチを後ろから腹に回した。男の見ている前でチャックを開いていく。
そして、右手に拳銃を持ち、左手にスコップを握った。
男はプッと噴きだした。
「お前、俺をナメてんの?」




