藤
四時半を少し過ぎている。梅本はいつものリュックを背負い、バイクで走っていた。
新聞配達以外にも数人、こんな早くから活動している老人がいた。散歩だろうか。止まっているようにしか見えない。
梅本は、昨日に走った峠道を越えて、さらにもう一つの峠に差し掛かった。少し前から、本当にこの道で合っているのか、と不安に襲われている。
花川から聞いたところによると、途中から一本道になっているので迷いようがないらしいのだが、先ほどから、いくつも脇道を目にしていた。一番太いと思われる道路を選んで進んではいるのだが……。
日の出まではもう少し。峠の闇と静けさが、梅本の不安を一層あおるようだった。
不安解消のためにも、一度停車してスマホで確認してみようと思った。
電波が弱々しいうえに、LTEの速度制限がかかっていて、地図の表示が極端に遅い。地図の縮尺から、てきとうにもう三キロくらい先かなと諦めて、また発進した。
すると、峠の中腹にいきなり開けた場所が現れて、そこに運輸倉庫らしき建物が現れた。とにかく行ってみる。違っても誰かに尋ねることができればいい。
しかし、出入り口に守衛のブースはなかった。その代わりというわけではないが、塀に大そうなプレートが嵌まっていて、藤ノ浦運輸とあった。――ここで間違いない。
梅本はホッと息をついて、時刻を確認する。五時十五分前。ほど良い時間だ。また呼ばれて来ることもあるかもしれない、と周囲の風景を記憶した。電車もなければ、バスも通っていなさそう……。車がなければどうしようもない所だった。
梅本はそのままバイクで進入して、一番近い建物の横に駐車した。
「おはようございます」
事務所内で煙草を吸っていた数人が、一斉に梅本を睨んだ。老若どの顔にも一様に凄味がある。
「あの、カンネスサービスから来ました、梅本ですが」
手前の数人とは少し離れたデスクで、一人パソコンを打ち込んでいた男が「はいはい、こっち」と、声をあげた。鼻にちょいと引っ掛けた老眼鏡からの上目遣い。手招きをしている。社長なのか、事務員なのかは不明だ。
「フジモっちゃんも、ちょっと来てくれや」
そう呼ばれた痩せ型の男は、面倒くさそうに梅本の傍までやって来て、机の角に尻をのせた。白髪が半分くらい混じった角刈りの頭をコリコリと掻き、煙草はくわえたままだ。
「根本くんが、今日は来れないって言うからよ。彼がその代わり。初めてだから丁寧に教えてやってくれや」
「梅本です。よろしくお願いします」角刈りの男に向かって軽く頭を下げる。
男は煙草をちょいとあげて、
「藤本です。最近腰の具合があまり良くないから、よろしく頼むな」と、意外に優しい口調で言った。
「何だよ、また根本がサボりかよ~」
「アイツ先々週も二回くらい休んでなかったか?」後ろの数人からヤジが飛ぶ。
「まぁ後の詳しいことは、このフジモっちゃんに訊いてくれや」
「はい。……あのぉ、バイクで来てるんですが、そこに駐めさせてもらって差し支えなかったでしょうか?」
建物内から見えるわけもないが、バイクのほうを指差す。
「あぁバイクで……。ずっと奥のほうに駐車場があるんだけどな。ま、それもフジモっちゃんから教えてもらってくれや」
「はい、わかりました」
藤本は同僚が囲む灰皿へ帰っていく。梅本もついていった。彼はそこで煙草をもみ消し、ぐっと伸びをして言った。
「勝手がわからんだろうから、ちょっと早めに出るとするか。梅本くん、一件目がロングドライブになるから、今のうちにトイレへ行っといたほうがいいぞ。トイレはあっち」
とくにしたくなかったが、せっかくの忠告と受け止めて、梅本はトイレを覗きにいった。
藤ノ浦運輸の中に、理美容業界を得意先としている部署があって、メーカーで研修を受けた者が、それを専門に配達設置を請け負っている。藤本はその資格を有する者の一人で、今日は二件の修理依頼と八件の配達、うち半分の四件が設置までを行うそうだ。
運転、設置、修理とすべては藤本任せ。それで梅本が何をすればいいのかと尋ねると「補助」。その都度説明する、とのことだった。
藤本はバインダーに留められている依頼伝票を繰りながら車庫に向かっていた。梅本はその後ろを、バイクを押してついていった。
見えてきたのは、パワーゲート付きの三トントラックで、キャビン後方の鳥居からパワーゲートまでを、濃緑のポリエステル帆布がすっぽりと覆っている。商品の積み込みは前日にしておくのが決まりだそうで、いつでも出発できるようになっていた。
「ところで、梅本くんも神山町から来てんのか?」
「はい、そうですけど」
「それならちょうどいいな。最後の配達先が神山町の隣町だわ。そのバイクをトラックに積み込んでしまってよ。全部終わったら、そこから家に帰ってくれていいや。ここまで帰ってくる必要はないし、梅本くんもそのほうが楽だろ」
「えっと、それは助かりますけど……」
「おっきいのは無理だけど、それぐらいのバイクなら、積むスペースは開いてるぞ」
このトラックがコンテナ車なら、是非ともお願いしたいアイデアだったが、分厚いトラックシートの下で、バイクのミラーやハンドルをごりごりと擦られるのだけは御免被りたい。
「助手席の後ろに工具が載ってるから、ミラーだけ外しといてくれ。ちょうどいいくらいのアルミカバーがあるんだわ」
梅本の心配事などもちろん承知といったふうに、藤本は倉庫の入り口付近に置いてあったフォークリフトに乗り込んで、倉庫の奥へ走っていった。
断わるタイミングを逃してしまった梅本は、不承不承といった様子で工具を出してくると、ミラーの根元のナットを緩めていく。
そしてミラーをリュックにしまうと同時くらいに、フォークリフトが帰ってきた。プラスティックのパレットにアルミの箱を載せている。
「これこれぇ、ちょうどぐらいじゃねぇか?」
――なるほど、そういうことか。
アルミの直方体は自重でペニャペニャと撓んでいたが、これならバイクの屋根として充分使えそうだ。
「いいですね。それ」
載せる前に一度二人で試してみた。高さ的にも余裕があった。
さっそくシートを捲り上げ、パワーゲートのリモコンを操作した。バイクを積み込み、虎ロープで固定した。
「それじゃ、行くとするか」
「はい、お願いします」
今はバイクに乗ることじたいが愉悦なので、ここから峠を越えて帰ることに、何ら煩わしさを感じない。しかし、(わしっていい奴だろ?)と言わんばかりの藤本のしたり顔に、梅本は感謝の眼差しを返すしかなかった。




