ない
暗闇の中で目を開いた梅本は、しばらく寝転んだままでボーっとしていた。
カーテンは常に閉めている。右上の隙間から淡い街灯の光が差し込んでいる。確実に夜だ。たしか、枕があったはずだが、どこかへ飛んでしまっているようだ。
梅本は正午頃には帰宅していて、シャワーを浴び、スーツを上下とも洗濯機に放り込んでから、布団を敷いた。脱水の音と振動で起こされるまでの間だけ、ちょっとだけ横になるつもりだった。
無駄に流れ去った昼の時を後悔しつつ寝返りを打つと、目覚まし時計の文字盤が薄らと緑色に光っている。その光はすでに七時十分を差していた。
この時間までスマホが鳴らないということは、明日も仕事がない可能性が高い。こちらから電話して、ちょうど良い仕事があった試しがない。あれば午前中、顔を出したときにでも打診されていたはずだ。どうせ明日はバイクの納車日なので、それでもいいと思った。
ちなみに花川は休みだった。「明日も仕事が……」と言っていたのは、やはり断る口実だったようだ。
のそのそと起き上って、部屋の電灯を点けた。
振り返って、正方形のガラストップテーブルを見る。上にはコンビニに無料で置いてあった、薄い中古車情報誌が載っている。その他には、財布と銀行の封筒。封筒の中身は、バイクの購入代金として帰りに下ろしてきた三十万円だ。雑誌が歪に浮き上がっているのは、その下にエアコンとテレビのリモコン、それとスマホがあるからだろう。
梅本は洗濯機からスーツを取り出して、バサバサと振った。湿っていると、それなりに重い。型崩れなんて気にしない。アイロンで何とかなるものだ。それを部屋干しにして、一段落。
コーヒーを淹れて、ひと口、ふた口。軽い前屈ストレッチで体を覚醒させているときに、ふと思った。
陣内がサイン伝票のことを気にしているかもしれない。店に電話して、明日の昼以降にお邪魔する、とでも伝えておいたほうが親切でいいかもしれない。
さっそく梅本は情報誌を持ち上げた。
しかし、そこにスマホはなかった。
室内を見渡す。布団をたたんだ。……見当たらない。
スーツと一緒に洗濯機へ放り込んでしまったのか? いや、そんなはずはない。財布と封筒は抜き出して置いてある。いやいや、やっぱりあり得る。帰宅時、いつもの癖で無意識のうちにトンットンッと置く四角い物体……持ち慣れない封筒が、スマホの代わりになってしまった可能性がある。
梅本は立ち上がって、吊るしたばかりのスーツのポケットをあさった。
――上ない、内ない、下ない、尻ない!
洗濯機の中も覗いた。いつものリュックにも手を伸ばす。昨夜は持って出ていないが、逆さにして振った。もちろん出てこない。これでは鳴らないはずだ……。
漏れ出るようなため息とともに座り、コーヒーをすすった。スマホを最後に見たのはいつだったか、と思考を巡らせていた。
コインロッカーにタヌキをあずけて、時刻を確認したときはあった。派遣事務所から帰るときに、同じく見た。
――あれ、それっきりだ。
梅本はスマホでゲームをしない。携帯依存症でもない。だが、ないとやはり困る。この部屋に固定電話がないので、あれ一つで外部と連絡を取っているのだ。
誰かが拾ってくれているかもしれない。そんな期待を抱かくしかない。
日本では、たとえ落し物をしたとしても戻ってくるんだ。なんて素晴らしい国なんだ、と海外では褒め称えられているそうだ。とりあえず、自分のスマホに掛けてみよう。案外、玄関を出た所ら辺で、鳴って震えて踊りだすかもしれない。……その電話器がない。
梅本は下だけジーンズに履きかえて部屋を出た。
鍵をかけていると、後ろから「こんちには」と声をかけられて振り返った。
「あぁ田井中さん、ちょうどいい所に」
田井中は隣の住人だ。単身赴任者で妻子持ちの三十八歳、梅本とはとくに親しいというわけではないが、会えば挨拶くらいする程度の仲だった。作業着のまま、手にコンビニ袋をぶら下げている。仕事帰りなのだろう。
「じつは俺のスマホが見当たらなくて、その、すんませんけど、ちょっと鳴らしてもらえませんか?」
田井中は、あぁと納得して胸ポケットから電話を取り出した。梅本の言う番号に掛けてくれた。
梅本はもう一度部屋の鍵を開け、ドアを開け放して耳を澄ました。スタンバイOKだ。
「今、鳴ってるけど」田井中は言った。
しかし、辺りはシンっとしていた。
「あぁ留守電に切り替わったよ……」
あぁ、なんだ、そこにあったのかよ~。……身近で手早く解決、の線が消えた。
「すんませんでした。心当たりのある場所へ行って探してみます」
田井中は「そう」のひと言で帰っていった。
ないと言えば、最近は公衆電話がない。携帯電話の普及率からすると当然なのかもしれない。
よく行くコンビニの前にはなかったと記憶している。そこからちょっと行った所にあるドラッグストアはどうだったろうか? 駐車場の端に自販機コーナーがあって、その横ら辺に一つだけポツンとあったような、なかったような……。
公衆電話の設置場所、で検索すればすぐにわかりそうなものだが、考えるのも空しい。
とりあえず、で梅本は確実に設置されている駅へと向かうのだった。




