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4 家庭教師

知らないはずのことを何故か知っている。

まるで、ずっと以前から私の中にあったかのように、それはあまりにも自然と思考へと滑り込んできた。

『あの時』という、具体的な形を持たない言葉。

探ろうとしても、霧に阻まれるように何も思い出せず、ただ焦燥感だけが胸を焼く。


思い出せない。

思い出さなければならないのに。

混乱する脳を必死に動かそうとしていた時だった。


「大丈夫か?あまり食が進んでいないようだが」


お父様の心配するような声が、思考の渦から私を無理やり引き上げた。


「大丈夫です、お父様。ただ・・・その、王子殿下とお会いできると聞いて少し緊張してしまって・・・」


嘘では無いけれど、本当のことを今は口にできない。


「もう緊張しているのか?心配するな。これからしっかり学ぶのだから、ヴィオレッタなら大丈夫だ。それに、王子殿下はお優しい方だから多少の粗相をしても咎めたりなさらないだろう。」


「そうよ。安心しなさい。」


両親から優しい励ましの声が、今は少しだけ遠くに聞こえる。

それでも、私は心配かけまいと、頷いた。


「はい、ありがとうございます。」


これ以上、この場で考えを巡らせるのは危険だ。

きっと表情や態度に出てしまう。

せっかく両親と囲んでいる、このあたたかい朝食の時間を壊したくない。

失って初めてわかる、何気ない日常の輝き。


(さっきのことは、後で考えましょう。今は、この時間を大切に・・・記憶の整理は落ち着いてからしよう)


そう心に決め、目の前の美味しそうな食事に再び手を伸ばす。

両親との他愛のない会話に意識を集中させるうちに、心のさざ波が少しずつ穏やかになっていくのを感じた。

そうだ、この平和こそ、私が今世で守りたかったものなのだ。


久しぶりの両親との朝食は、いくつか不穏な影が差したものの、それでも代えがたい、幸せを感じられる素晴らしい時間となった。











穏やかな朝食の時間は終わりを告げた。

自室に戻り、重厚な扉を静かに閉める。

外の喧騒と切り離された空間で、私は1つ、深く息を吐いた。


───さて。始めましょう


あの恐ろしい記憶の、そして私自身の過去を探る作業を。


最初に思い出した記憶では、周りには多くの動かなくなった人々の姿があり、私は胸を突きさされて息を引き取った。


情景や自分の心情、苦痛は思い出すことができるが、それまでに至る経緯や殺された理由などは全く分からない。

両親との朝食の時間に思い出したものは、記憶とは言い難い経験からくる後悔のようなものだった。


朝食の時の会話が何かきっかけになったのだろうか。

会話の内容を覚えている範囲で振り返ってみるけれど、それらしい会話はなかった気がする。

強いて言うならば、王子殿下の話になった時であったことくらいだろう。


それならば、やはり王子殿下と関わるのは控えた方が良いかもしれない。

今度お会いする際はなるべく印象に残らないように心がけよう。



今思えばそもそも、私は自分の殺されかけた記憶を思い出したきっかけが何なのか全く心当たりがない。

あの日、頭を打ったり、何か言われていたりしたならば、きっかけとして可能性があったのだが、そのようなことがあった覚えはない。

一体なぜ思い出したのだろうか。


「うーん、正直全く分からないわね。」


つい口から声が漏れてしまう。

今後また思い出すことがあれば、それを記録して似ているところを探して考えるしかない。

思い出した方が良いのか悪いのかは分からないが、同じようなことは繰り返したくないため、原因だけは知っておきたい。


「すべて思い出すまでは慎ましく過ごすことにしましょう。」


自分にだけ聞こえる声量で自身に言い聞かせるようにそう呟いた。











「ヴィオレッタお嬢様、お客様が来られました。」


「ありがとう、すぐに行きますとお伝えしておいて。」


お父様が今日家庭教師の方が来て下さるとおっしゃっていたからその方だろう。

有名な方のようだし、影響力も大きそうだ。

何か粗相をしないように気を付けなければいけない。

もちろん、今後のためにもしっかりと学ばなければならないのだから真面目に授業を受けよう。


そう気合を入れながら家庭教師の方が待っておられる応接室に向かう。





応接室に入ると美しい灰色の髪が目に入った。

まるで物語から出てきたかのようなスラっとした長身の男性がこちらに気が付いて立ち上がると、ふわりと花の匂いが香る。

まるで彫刻のような美しい男性に目を奪われて挨拶をすることすら忘れてしまう。

私が固まってしまっているのを察してか、その男性は美しい所作で先に挨拶をした。



「お初にお目にかかります、エピステーメ嬢。本日より、家庭教師を務めさせていただきます、アッシュ=シルヴァンと申します。どうぞ宜しくお願い致します。」



こちらを見るルビーのような赤い瞳に吸い込まれるような感覚を覚え、言葉が出てこなくなってしまう。


なんて美しい瞳なのかしら。

所作まで美しいなんて、外見だけで人気が出そうな方だわ。

そんなことを考えながら、かろうじて出てきた「えぇ、よろしくお願いします。シルヴァン先生。」という言葉とともにカーテシーをする。


先日、お母様に教わっておいて良かったわと思いながらシルヴァン先生を見ると、少し目を見開いて驚いたような反応を見せている。



何か粗相をしてしまったかしら。

カーテシーが下手だったとか?

驚く理由になりそうなことを考えながら「どうかなさいましたか?」と尋ねてみると、先生は何事もなかったかのように優雅にほほ笑んだ。


「いえ、噂とは当てにならないものだと思っただけです。」

「噂、ですか?」


私、何か噂になるようなことをしていたかしら。

先生はきょとんとしている私をみて、可愛らしいものをみたというような笑みを浮かべる。


「はい、エピステーメ嬢のお噂を耳に入れることが何度かあったのですが、事実とは異なるようです。噂とは当てにならないものだと分かっていながら、その枠に当てはめて考えてしまっていたようです。大変申し訳ございません。」


「いえ、気になさらないでください。」


突然丁寧に謝罪をされたことに驚いたが、とても誠実な方なのだということが伺えた。

これからの授業が楽しみだわと思いつつ、社交界でとても人気がありそうな方なため、誰かに知られてしまえば話の種にされそうねとため息をつきたくなった。


今後の社交に少し憂鬱な気持ちになりながら、目の前にあるお気に入りの紅茶に口を付けた。


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