2 侯爵令嬢の決意
「おはようございます。ヴィオレッタお嬢様。昨晩はよく───」
いつもの穏やかな朝の挨拶。
だが、侍女リアの声は途中で途切れ、その目に驚愕の色が浮かんだ。
「お嬢様っ、どうなさったのですか?!そのお顔・・・!」
リアは慌てて駆け寄ってくる。
その心配そうな顔に、私は自分が泣いていたことを思い出した。
慌てて目元を拭うが、冷たい雫の感触はまだ残っている。
「・・・問題ないわ。少し、夢見が悪かっただけよ。」
努めて平静を装ってみる。
だが、リアの表情は晴れない。
それどころか、彼女の視線は私の顔色、そして微かに震える指先を捉えているようだった。
「私、そんなにひどい顔をしてるかしら。」
鏡を見るまでもなく、自分の状態が良くないことは分かっていた。
リアは「お顔が真っ青で、お身体も震えていらっしゃいます。」とやはり心配そうに告げる。
それは確かに誰から見ても調子が良いとは言えない様子である。
しかし、今日を無駄にする訳にはいかなかった。
「平気よ。今日は、お父様とお母様との大切な朝食の日だもの。」
そう、滅多にない、家族の時間。
この日を、どれほど楽しみにしていたことか。
こんな顔で両親に無用な心配をかけたくない。
そして何より、この貴重な機会を体調不良で逃すなんて、絶対に嫌だった。
「リア、お願いがあるの。少し、顔色がよく見えるようにしてくれる?」
私の頼みに、リアは僅かに目を見開いたが、すぐにプロの侍女の顔つきに戻り、頷いた。
鏡の前に座る。
そこに映し出されたのは、自分でも息を飲むほど憔悴しきった顔だった。
泣いて腫れた灰色の瞳は赤く縁取られ、血の気の失せた肌は陶器と言うより蝋のようだ。
手入れが行き届いた、肩下まで伸びる淡いピンク色の髪が、かえってその痛々しさを際立たせている。
本当に隠せるのだろうか。
そんな不安も、侯爵家の侍女の手にかかれば杞憂だった。
彼女の指が魔法のように動き、生気が、血色が戻ってくる。
「ありがとう、リア。流石ね」
鏡の中の私は、もはや先程の人物と同じとは思えなかった。
それどころか、いつも以上に洗練された美しさになっている。
リアは私の感謝の言葉に少し驚きつつも嬉しそうにほほ笑んだ。
その笑顔に、ふと胸が締め付けられる。
この穏やかな朝。
微笑む侍女。
両親との食事。
当たり前だと思っていた全てが、奇跡のように尊いものに思えた。
───私は思い出してしまったから
断片的な前世の記憶。
華やかな生活。
そして、突然の『死』。
冷たい刃の感触。
裏切り───
なぜ殺されたのか。
何があったのか。
詳細は霧がかかったように思い出せない。
けれど、事実として私は『殺された』のだ。
殺されるだけの理由があったのかもしれない。
もしかしたら、ただ巻き込まれただけなのかも知れない・・・
(・・・嫌よ)
再び震えが襲う。
(二度と、あんな死に方はしたくない・・・)
鏡の中の、自分と目が合う。
その瞳の奥に、強い意志の光が灯る。
この人生では、穏やかに、安らかに、天寿を全うしたい。
そのためには、言葉を、行動を、慎重に選ばなくては。
───今世では殺されないように。
深く、深く息を吸い込む。
震えを意志の力で押さえつけ、私は部屋の扉へと向かった。