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1 前世の記憶

いつもと違う。

廊下に満ちる異様な喧騒が、肌を粟立たせる。

1歩踏み出した瞬間、目の前に広がる光景に息を奪われた。

そこは、私が知る穏やかな場所ではなかった。



笑顔で挨拶を交わしていたはずの侍従や侍女の姿はそこにはなく、まるで魂の抜け落ちた置物のように廊下に転がっている。


見るものを魅力するほど美しかったはずの廊下は、元から赤だったかのように染め上げられ、美しさとは程遠い姿になっている。


普段なら聞こえてくるはずの鳥の鳴き声は悲鳴に変わり、廊下を行き交う侍女たちの柔らかな布切れ音は無機質な鎧の音に変わっていた。



「お逃げください・・・!」



すぐ傍にいたはずの侍女の、恐怖と決意の入り交じった表情と言葉が脳に焼き付いて離れない。

しかし、ただその言葉だけが恐怖に染まる女の足を動かした。


女は胸に下げたペンダントを強く握りしめる。

普段は決して走ることなどない、長い廊下を必死に走った。

背後から迫ってくる冷たい金属音は、遠くなるどころか、ますます迫って来ている。


涙で視界が歪む。

高いヒールのせいか、動きにくいドレスのせいか。

それとも運命に見放されただけなのか。

不意に足がもつれ、女は無様に床に打ち付けられた。

女を見下ろす男の顔には、なんの表情も読み取れない。

ただ、冷たい瞳が女を映していた。






地面に倒れる音と遠ざかっていく金属音だけが、しんと静まり返った廊下に響く。

胸に穿たれた剣の痕から、止めどなく溢れ出す赤い液体が、また新しく廊下を染め上げていく。

これまで感じたことのない痛みに意識が霞むなか、何故か胸のペンダントだけが暖かく感じられ、握りしめる。





(あぁ、もっとあなたの傍にいたかった・・・)





声にならない、届くはずもない想いを抱きしめたまま、女はゆっくり目を閉じた。














目を開けると、そこは見慣れた自室の天井だった。



心臓がまだ感じた恐怖を忘れることができずに動き続けるせいで、浅く速い呼吸音だけが、静かな部屋に響く。


あれほど暖かく感じたはずの胸に、今は何の温もりもない。

恐る恐る触れてみると、血が付くはずの手には何もついておらず、綺麗なままだった。

見下ろしてみても、そこに赤いしみひとつ見当たらない。




窓の外からは、穏やかな陽光が差し込み、鳥のさえずりが聞こえる。

まるで、あの地獄なような光景など、最初から存在しなかったかのように。





(夢・・・だったのかしら・・・)





いや、そんなはずはない。

夢であったならば、こんなにも鮮明に恐怖や痛みを感じるはずがない。


夢だったならば・・・この胸を締め付けるほどの深い、深い悲しみが残っているはずないのだ。



自身が悲しみを感じているということに気づいた瞬間、彼女は自分の瞳から涙が流れていることに気が付いた。

しかし、彼女にはその悲しみがなんなのか分からなかった。

何故悲しんでいるのか。

『あなた』とは誰なのか。



それを思い出そうと、理解しようとする度に脳内で再生される光景は思い出すには耐え難く、悲惨なものだった。


『あなた』

という人物を思い出すには、あの光景を思い出す必要がある。



しかし、それは彼女にとって拷問に等しかった。

自分のために命を失うことになった人が何人もいるという事実を再認識させられ、あの恐怖をまた味わうということになるからだ。



(思い出したくない・・・あれをまた体験したくなどないわ・・・)


考えないようにしようとしても、私の脳裏に焼き付いている光景は私を逃がしてはくれなかった。



多くの使用人が殺された。

一面に広がる血の海が目を閉じても、開けても鮮明に浮かんでくる。



私は、もう動くことの無い人も、まだ少し動いていだろう人も全て見捨てて逃げた。

ただ自分の命のために



見殺しにしたのだ・・・



見捨てて逃げたくせに、私は結局殺されてしまった。




そう、殺された。




私は、殺されたのだ。



(そっか、夢なんかじゃない・・・)



これは、私の記憶だ。





夢であってほしかった。

何度も夢であると思い込もうとした。

しかし、忘れようとしてもこの体の震えが、魂に刻まれた恐怖が、それが紛れもない現実であったと私に告げている。

あれは、私の前世の最期なのだと。




もうあんな死に方はしたくない。

怖い・・・

怖い、怖い、怖い

心の底から怖くてたまらない。




何も要らない。

ただ、平穏に生きたい。

穏やかに、ただ生きていきたい。



そう心の中で強く願っていた彼女の元に、ガチャとドアの開く音が聞こえる。

たった今、自分の前世を思い出した彼女は侍女がドアを開けたその小さな音ですら、恐ろしく感じた。


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