第拾刻 〈鈴の音が遠くから聞こえた〉
皆は役目を終えてホッとしたようだった。普段あまり顔を合わすこともないような仲間も揃った場に、談笑の輪が広がっていた。
だが、黎にはまだ役目が残っている。
師の元へ行くと、師もそのことを分かっていたようで、無言のまま深く頷いた。
「師、その前に、一つお伺いしたいことがあります」
「何だ」
「先ほど、あの“主”が現れた時に何か知ってらっしゃるようでしたね。教えて頂けますか?」
黎は、そうしていれば師の顔に答えが浮き出てくるとでもいうかのように師の瞳を真っ直ぐに見据えた。あまりに真剣な黎の表情を見て、師は頬を緩めた。
「そんなに怖い顔をせんでも教えてやるぞ? 前に会ったことがあってな。バケモンの学校の校長だ」
――そういう事だったのか。だから、“主”。
ようやく合点がいき、黎は一人で頷いた。
「あの女の子も生徒ってことですか」
「恐らく、な。全く、どこの世界にも悪ガキはおるってことか」
かかか、と笑った師の目は、黎をしっかりと見据えていた。黎は不満そうに口を尖らせながら頭を下げた。
「ありがとうございました。少し用があるので、僕はこれで失礼します」
「おう。襲われても自分で何とかするんだぞ」
祝宴ムードになっている他の仲間たちを、師は呆れたように見つめた。
――確かに。これは呼んでも助けに来てくれなさそうだ。とはいえ、そう何度も襲い掛かってくるようなモノに出くわすこともなかろう。
黎は一礼すると公園を出た。
「……お待たせ」
公園から彼女を置いてきた地点までは、予想以上に距離があった。休むことなく走り続けたために、黎の息は上がっていた。
肩で息をしながら座り込んだ黎を、少女は笑顔で迎え入れた。
彼女の笑みに、黎は言葉をのどに詰まらせた。
彼女が大切に思っていたあの狐は、幼女の姿をした化け物に食われてしまった。そのことをどうやって伝えればいいのだろう。
黎が考えあぐねていると、少女は黎の前に立ち、満面の笑みで口を開いた。
「けひひ。お疲れ様」
「……っ!?」
彼女の笑い声は、憎らしい狐のそれだ。しかし、表情や仕草は黎が知っている少女のもので、何がどうなっているのか黎にはさっぱりわからなかった。
「狐さん、逝っちゃったみたいネ」
「うん……。わかってたの?」
「まあねェ。長い付き合いだったかラ」
狐そっくりの口調で少女は言う。伏せられた長い睫に、目尻に浮いた涙。淋しそうな笑顔だった。
狐のことを忘れないために、あえて似せて喋っているのだろう。
「あんまりアイツに引きずられちゃ駄目だよ」
苦笑しながらたしなめた黎に、少女は小さく頷いた。
「わかってますヨ。今だけは、許しテ?」
けひひ、と嗤う姿に、あの嫌らしさはなくなっていた。
「それで、あなたは私をどうするつもリ?」
少女に問いかけられて、黎は最初の目的を思い出した。この町でしばしば目撃され、半ば都市伝説と化しつつあった彼女を救うために黎はここへきたのだ。
「別に、いいんじゃないかな」
「えッ?」
「もう、泣いたりしないでしょ? ただここに居るだけなら、別に構わないと思うよ。……僕個人の意見だけどね」
黎はきょとんとしている少女に笑みを向けた。
「人に危害を加えたりしないように。それだけ守って」
「それは……もちろン」
少女はかくかくと頭を大きく振った。そのたびに大きく波打つ髪は、妖しげな美しさを持っていた。
――これは別の意味で有名な都市伝説ができそうだ。
黎は微笑んで別れを告げた。少女も今までで一番の笑顔で礼を言う。
「そうだ。名前、思い出した?」
「はイ。私の名前は……」
ちりん。
遠くから鈴の音が聞こえた。師が身に着けている鈴だ。
「……っつ、いっけね。師に見つかったら怒られるかも。じゃあ、いつかまた。名前、次に会ったときに教えて!」
少女の名前を聞くこともなく、黎は鈴の音の聞こえた方へ走り出した。




