表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

後編

 花瓶が二つ置かれた教室。皆は声をひそめ、噂話を繰り返すばかり。

 一人目は、偶然。でも二人続くとなれば、必然……。

 祐は湧き上がる怯えをひた隠し、学校へ通い続けた。両親は共働きで、学校を休めば一人きりになってしまう。その方が不安だった。

(また、今日もある……)

 毎朝、変わらず机に入れられる文庫本。

 メッセージに宿る狂気に、祐は追い詰められていく。

『だいぶ静かになったね。もうぼくたち教室で話しても平気かな? でも、邪魔者がもう一人いるか』

 祐は、隣に座る須藤の横顔を眺めた。仲間が二人死んだというのに、飄々とした涼しげな眼差しをしている。

 そんな姿に、死んだ二人も憧れていたのだ。そして須藤も、楽しげに二人の世話を焼いていた……。

 祐の胸に、一つの決意が宿った。

(もううんざりだ。ハッキリさせてやる……!)

 放課後、担任から須藤の連絡先を聞き出した祐は、駅前のファミレスに須藤を呼び出した。「僕も未だに信じられないんだけど」と前置きし、須藤に全てを打ち明けた。

 無表情で聞いていた須藤は、氷の溶けたアイスコーヒーを一気に飲み干すと、地を這うような低い声で呟いた。

「ヤツの家、どこだよ」

「もしかして、乗り込むつもり?」

「ああ。住所教えろ」

「ちょっと待って。僕も住所なんて知らないし、その前に、危険だよ」

 波がかった茶髪の前髪をグイッとかきあげ、須藤が祐を睨みつけた。鋭い眼光は、高階の比ではない。ドクドクと脈打つ心臓を抑え、祐は伝えた。

「まだ証拠があるわけじゃないし、何より二人が死んだのは、単なる偶然って可能性もある……むしろ、そっちの方が確率高いし。もっと慎重に動こうよ。まずは証拠を見つけないと」

 有能なブレーンである祐の説得は成功した。須藤はふっと視線を緩めると、店員に手を振りコーヒーのお代わりを頼む。その二の腕の太さや、耳元で揺れる複数のピアスが、今の祐にはやけに心強く思える。

(もし山岸と高階が、何か“物理的な”方法で殺されたなら、それは油断があったからだ。須藤なら、油断さえしなければ大丈夫……)

 祐は窓の外を見やり、溜息をついた。

 車のヘッドライトが、残像を残し次々と通り過ぎて行く。店内にもたくさんの客がいる。目の前には、誰よりも頼もしい味方がいる。

 それでも祐は、不安を消し去ることはできなかった。

 暗い闇の中に、血を流す瞳が浮かんでいるような気がして。


 ◆


 澄み渡る夜空には、無数の星が瞬く。その片隅に浮かぶ赤みを帯びた満月が、自転車を漕ぐ祐の影を、細く長く見せる。

 祐が待ち合わせ場所のコンビニに到着すると、そこには既に一台のマウンテンバイクが止まっていた。しかし、店内の雑誌コーナーに人影は無い。携帯を取り出すと、須藤からメールが入っていた。

『早めについたから、この辺ぶらぶらしてる』

「全く、協調性が無いヤツ……」

 祐は溜息をつき、『予定通り、今からマルオの家に向かうよ』と返信した。

 夜遅くに、突然クラスメイトの実家を訪問するのは、高校生としての道徳に反する。でも今回はそれが目的だ。

 今日祐は、教室で須藤に一発殴られた。もちろん、マルオに見せるためだ。

 マルオは常に“祐”を中心に動いている。山岸が死んだのは、本を買う資金を奪われたせいで、高階のケースは祐に乱暴したせい。その後マルオが大人しくしていたのは、須藤が祐に対して何もしてこないから。

 つまり『恨み』というエネルギーがなければ、マルオは何もできない。祐はそう睨んでいた。

(この行動は、危険な賭けだ。でも何かしなきゃ、僕の頭がおかしくなる)

 逆恨みしたマルオが怪しい行動をしないか、マルオの自宅をチェックする。まずは祐一人で出向いて安心させ、何か起きたら近くに控えている須藤に合図する。そんな作戦だった。

 プリントアウトした地図を片手に、祐は歩き出す。コンビニから先は、雑木林の間を抜ける細いあぜ道。

「なんか、一人肝試しって感じだな……」

 暗闇への恐れを無理やり笑い飛ばし、祐はザクザクと草を踏みしめて進む。幸い雑木林はこぢんまりとしたもので、すぐに木立はまばらになり、視界に赤い屋根が迫ってきた。

「うわぁ……」

 その家は、祐のイメージを遥かに越える豪華な邸宅だった。

 例えるなら、ゲームに出てくる森の奥の魔女の館。メルヘンチックなデザインの門に、玄関に繋がる緩やかな煉瓦のポーチ。庭先には、巨大な常緑樹。真横に伸びた太い枝には、ニ本のロープと板をくくりつけた、手作りのブランコ。

 薄い雲がかかり、月明かりが弱まる。その一瞬、祐は幻を見た。

 ブランコを漕ぐマルオと、背を押す父親、微笑む母親。笑顔が溢れる、楽園のような庭――。

 再び月明かりが庭を照らし、幻は消えた。楽園は一気に色を失う。

 割れたまま放置されたレンガ、雑草に覆われた庭、苔むし緑色に変色した白壁。ロープが片方ちぎれ、板がひっかかるだけのブランコの残骸……。

 祐はその光景に背を向け、玄関へ向かった。なけなしの勇気を出してチャイムを鳴らす。

 出迎えてくれたのは、にこやかに微笑む車椅子の男だった。


「そう、良広のお友達……今アイツは風呂に入ったばかりなんですよ。まあ、上がってください」

 男は手慣れた様子で車椅子を操り、祐を居間に招き入れた。小太りなマルオとは似付かない、精悍な顔立ちに引きしまった体躯の男だった。

 祐は以前テレビで見た、パラリンピックの選手を思い出す。自分の身体を腕だけで操るためには、相当な体力が必要なのだろう。その努力を越えれば、車椅子はこうして見事な足代わりになってくれる。

 通されたのは、オレンジの間接照明が灯る、モダンなリビングルーム。天井は二階分吹き抜けになっていて、剥き出しになった太い梁が数本、空間を横切っている。梁につけられた大きなシーリングファンが、カラカラと音を立て回る。

 ダイニングテーブルに腰かけた祐は、落ち着かない気分で室内を見渡した。男はテーブルに置かれたままの、いつ使われたか分からないティーセットを膝の上に乗せ、カウンターキッチンの奥へ運ぶ。ガチャガチャと音を立てて洗い、新たにお茶を注ぎながら、独り言のように身の上話を語る。

「以前は、建築士として腕を振るっていたんですよ。この家も自分で建てたんです。試しに導入した最新のバリアフリー設備が、まさかこんな形で役立つなんて……皮肉なものですね」

 男が笑う。片方の唇の端だけを浮かせる、不自然な表情で。

「あの、すごく立派な家だと、思います」

 祐はなんとか愛想笑いを返した。須藤の武勇伝とは比較にならない、いたたまれない話だ。

 その後男は、止まらない昔話を続けた。出された紅茶の湯気が薄れていく。祐は時計を気にしたものの、さほど時間が経っていないことも分かっていた。

 短い時間をこれだけ苦痛に感じるのは、男の話のせいだけではない。この室内に漂う『悪臭』のせいだ。

 モダンな家にそぐわない、吐き気をもよおすような生ゴミの臭い。

 よく見れば男の肌は脂ぎり、髭も髪も伸び放題だ。この不潔さも、空気を読めない会話も、祐の思い描くマルオの父親像にピタリと当てはまる。

「そこで提案したんだ。『せっかく立派な木があるんだから、ここにブランコを作ればいいじゃないか』ってね。うちの妻も良広も大賛成で……」

 さすがに辟易し、祐は目の前の男から視線を外した。窓の外の暗闇には、赤い瞳がチラつく。

(二人の死は、きっと偶然なんだ。だってマルオは僕と同じで非力だし、放課後はこの父親の世話で手一杯なんだから……たまたま重なった事故に、あの本の内容を重ねて自己陶酔してるんだ)

 心に浮かぶ疑惑と、それを否定する理性。葛藤する祐を前に、男の舌は滑らかだった。

 男の中で、記憶のアルバムが少しずつ捲れていく。と同時に、穏やかな顔つきが徐々に変わっていく。苛酷な仕事に行き詰った末の悲劇。身体が不自由になった彼に対し、態度を豹変させた妻への恨み事。祐はもう愛想笑いすらできず、その話を聞き流した。

『――ボーン、ボーン、ボーン……』

 柱時計が、夜九時を告げる鐘を鳴らす。と、男は不意に笑顔を取り戻し、祐に問いかけた。

「そうだ。わたしも良広も、昔から本が好きでね。かなりの蔵書があるんだ。ちょっと見てみるかい?」

「あの、マルオ……良広君は、まだ?」

「ああ、今日はずいぶん時間がかかるな。呼んで来よう。あそこが書庫だから、好きに見ていてくれ」

 男が黒ずんだ指先を伸ばし、リビングの奥の引き戸を示す。

 誘いをかけるようで、その言葉は強制だった。祐が重い腰を上げるのを見届けると、男はギシギシと車椅子を動かしリビングを去った。その音が遠ざかるのを確認し、祐はパーカーのポケットから携帯を取り出す。

 須藤に電話しようかと思い、まだ早いと止めた。『何かあったら連絡する』という手筈だ。あの須藤のことだから、連絡がきたとなれば、血気盛んに乗り込んでくるだろう。

(まずは、証拠を見つけてからだ。マルオがあの二人の死と、何らかの関係があるような……)

 思考を巡らせた祐は、妙にあの『書庫』が気になった。何か証拠を漁るなら、フリーで動ける今がチャンスだ。

 なけなしの勇気を振り絞り、祐はゴミが散らばり虫の這いずる床を、恐る恐る踏み進む。

 引き戸になっている厚いドアを開くと、中は四畳半ほどの広さの部屋だった。窓が無いため、漆黒の闇が広がっている。リビングの淡い照明では、暗過ぎて何も見えない。ただ、全ての壁面がみっちりと本で埋まっていることだけは分かった。

 部屋の明かりを求めて壁際を見やれば、ちょうどスイッチの上に枯れ葉のような黒い虫。伸ばしかけた手を瞬時に引っ込める。怖気を堪え、暗闇に携帯のディスプレーをかざしながら進んだ。

 携帯の頼りない明かりが、最低限の情報を伝える。すぐ右手の本棚に並ぶのは、建築関係の本と時代小説に、哲学書。そのまま左へずれて正面の本棚は、母親のものだろう。ガーデニングや料理など、女性らしい実用書……と、祐の目が一冊の本を捉えた。何の変哲もない、バスルームのインテリア本だ。

 途端に、心臓が激しく騒ぎ出す。手のひらに汗が滲む。

(あのマルオが……こんなに長く、風呂に入るか?)

 何かがおかしい。咄嗟に踵を返した祐は、携帯を滑り落とした。

 ――ゴトン!

「っと。ヤバイ」

 屈みこんだ祐は、床を凝視したまま固まった。

 カーペットの上に、何か奇妙なモノがある。再び携帯を手にし、ディスプレイ画面を床に向ける。

 くすんだ灰色のカーペット。その上に赤黒いペンキで、不可解な模様が描かれている。中央には大きな円、その内側には梵字のような奇妙な形のマークが散りばめられている。

 あの本に描かれていた、忌わしい魔術の紋様――

 円陣の中心に横たえられた人形が、ターゲットの魂を吸い込んで……。

「そ、そうだ、須藤に連絡を……」

 祐は携帯を手に立ち上がった。ガクガクと震えながらも通話ボタンを押した、その刹那。

 虫が飛ぶ音がする。いやに規則的な『ブーン』という音が、小刻みに聴こえる。

 激しく高ぶる胸を抑え、祐は振り向いた。視界の先、部屋の左奥隅に小さな青い光。蛍の灯のような儚い点滅。

 足が勝手に、その場所へ向かう。かざした携帯のライトが、真実を映し出す。

「――ッ!」

 床に転がり、チカチカと光る『着信アリ』の印。

 その脇にあったのは……。

「あ、あああぁあああああぁあ……」

 本棚を背にし、マネキンのようにもたれかかる須藤。くたりと胸へ落ちた頭部はぐっしょりと濡れ、Tシャツは鮮やかな赤に染まっている。

 後退ろうとするも、強張った身体が言うことを聞かない。

 まだ車椅子が戻ってくる気配はない。今のうちに、早く、早く――

「おや、どうしたんだい? 西野君」

 その瞬間、部屋の明かりがつき……振り向いた祐の鼓動は、止まりかけた。

 男は、自らの“両足で”立っていた。右手には、血糊のこびりついた斧をぶらさげて。

「な、なんで……その足……」

 薄汚れたカーペットの上、虫の死骸を踏みながら、祐は紋様の上を後退していく。室内の空気は澱み、自ずと全身の毛穴から汗が噴き出す。

「良広が治してくれたんだよ……あの子は、この世界の神なんだ。だからあの子を虐げる者には、天罰が下る……」

 男が恍惚とした眼差しで微笑む。目眩に襲われた祐は、堪え切れずその場にへたり込んだ。

 男の血走った目が見開かれ、祐を初めて見る相手のように見つめる。不思議そうに小首を傾げ、手にした斧を高く掲げる。

「やめろ、来るな……」

 祐の理性は消えて無くなる。僅かに残った本能が、祐に「逃げろ」と叫ぶものの、身体が言うことをきかない。禍々しい部屋の中央に座り込んだまま、歯の根をガチガチと打ち鳴らし、掠れ声を漏らすことしかできない。

 男が一歩一歩、歩み寄る。

 振り上げた斧が、祐の目の前に迫ったそのとき――

「止めて!」

 祐の目からは、いつしか涙が流れていた。ぼやける視界の中、見慣れたあの顔が迫ってくる。

 飛び込んで来たのは、マルオだった。本当に入浴していたのだろうか、べっとりと額に張り付いた前髪から、ポタポタと水滴が落ちている。

「西野君は殺さないで!」

 祐の前で立て膝をつき、両腕を真横に伸ばす。肩越しに見える男の顔には、明らかな戸惑いが浮かんでいた。

「良広……」

「N君は……西野君は、ぼくの大事なひとなんだ。何度もそう言ったよね?」

 男はバツが悪そうに下唇を噛み、項垂れた。その眼に、先程までの殺意は感じられない。それでも祐は、そこから一歩も動けなかった。完全に腰が抜けてしまったようだ。

 床についた手の甲を、黒い虫が這いずる。背後からは「うう……」と鈍い呻き声が聴こえる。須藤はまだ死んでいない。命だけは助かるのだという微かな期待が安堵の涙に変わり、祐の頬を止め処なく濡らす。

 マルオはそんな祐を穏やかな眼差しで見つめ、ポンと肩を叩いてきた。そのままのそりと立ち上がり、後ろ歩きに遠ざかっていく。男と良く似た、唇の端を持ち上げる微笑で。片手には、なぜか小さな人形を握っている。マルオが一歩後ずさるたびに、床にはナメクジが這ったような水跡が残る。

(何だ……何かが、おかしい……)

 祐は眉を顰めた。素早く瞬きし、涙を追い出してマルオの姿に目を凝らす。

 良く見れば、マルオは全身びしょ濡れだった。奇妙な白装束姿に、青褪めた頬。濡れた前髪の奥には、どこか嬉しそうに細められた二つの瞳。

 刹那、祐の心に蘇る一つの挿絵。山岸が死んだ日、薄暗いパソコンルームでパラパラと捲った、おぞましいホラーに出てくる『儀式』のシーン。

(そうだ……確かあの小説の主人公は、新たな操り人形を生み出す前に、こんな格好をしていた……)

 錯乱しかける頭を何とか動かし、祐は記憶の糸を手繰った。

 主人公が『儀式』を行うために必要なアイテムは、操りたい相手の髪や持ち物。そして器にする人形。術者は水に打たれ禊ぎを行った後、円陣の中に人形を置く。

 ストーリーと今の状況を比べて、決定的に違うのは人形の位置だ。

 本来円陣に置かれるべきは、マルオが手にした“人形”の方。

 しかし、今ここに居るのは祐で、人形はマルオと一緒に……。

「マル、オ……?」

 祐の声は完全に掠れ、喉の奥に絡まった。マルオは右手に握った人形をチラリと気にし「上手くいくかなぁ」と囁いた。

 そして、マルオの裸足の足が、紋様の円陣からはみ出した瞬間。

 ――プツン。

 一瞬、祐の視界はスイッチを切ったように、漆黒の闇に覆われた。同時に襲いかかる、猛烈な寒気。まるで液体窒素を浴びせかけられた植物のよう。身体は強張って硬直し、身じろぎ一つできない。ただ「暗い、寒い」という鮮烈な感覚だけが祐を支配している。祐は思わずあえぎ声を漏らし……

(――ッ?)

 声が出ない。それどころか、唇を動かした感覚すらない。

 戸惑う祐の頭上から、奇妙な声が響いた。耳鳴りのように歪で、圧倒的な存在感を示す――神の声。

「良かった、成功したみたいだね」

 次の瞬間、祐はようやく暗闇から解放された。しかし眼下に広がった世界は、にわかに信じがたいものだった。

(まさか……そん、な……嘘だ――ッ!)

 絶叫――したはずが、何も聞こえない。そんな祐の頭をそっと撫でる『指』。「ちょっと待ってね」の言葉と同時に、視界がぐわりと揺れ動いた。ぶれた写真を思わせる残像を描きながら、遠くへ。

 祐は心のどこかで、自分が“放り投げられた”のだと悟った。そう、誰かの手で軽々と、まるで人形のように……。

 床に落ちた痛みは感じなかった。動くことの無い四肢を横たえ、天井の明かりを見つめる祐に、スッと影が差した。

 そこには、嬉しそうに微笑む、巨大な『自分の顔』があった。

「いいよ。“そっち”は殺しちゃって」

 頭の中に直接響く、邪悪な神の声。再び抗えない力で持ち上げられ、身体の向きを変えられる。

 見せつけられたのは、虚ろな目をして佇むマルオ。その奥に立つマルオの父親が、命じられるままに動く。斧をゆらりと高く掲げ、愛する我が子へと一気に振り落とす。

 一瞬、何もかもが赤に染まった。

 深々と斧がめり込んだマルオの身体は、力無く床に崩れ落ちた。頭蓋骨は砕け、赤黒い血液が激しい勢いで四方へ飛び散る。床にも天井にも、マルオの着ていた白装束にも、手斧をだらりとぶら下げた男の全身にも。

 残酷な光景をまざまざと見せつけられたというのに、祐の身体が怖気に震えることはない。心は恐怖に張り裂けそうなのに、目を閉じることも、顔を背けることもできない。

 そんな祐の前に、再び巨大な『祐の顔』が迫る。潤んだ瞳に歓喜の光を浮かべ、祐を正面から覗きこんでくる。

 形良い唇が薄らと開かれ、もたらされた最期の台詞は……。


 ――キミの全部を、ようやく手に入れた。心も、身体も。


 ◆


 その後、小さな町は騒然となった。

 気が狂い、妖しい魔術に傾倒した男が起こした惨劇。妻を殺して庭に埋めた後、溺愛する息子をいじめていたと目される人間を次々と殺害、最後はその息子まで手にかけた。

 彼自身も、ありえない事故の犠牲になった。自宅で最後の殺戮を行った直後、リビングに取り付けられていた巨大なファンが落ち、即死だったという。


 生き残った祐と、九死に一生を得た須藤の二人は、真新しい墓石の前に佇んでいた。須藤が『丸尾家』と記された墓標に花を添え、手を合わせる。

 須藤は頭に包帯を巻いているものの、自力で歩けるくらいには回復した。髪を丸刈りにしたせいか、不良には見えない、牙を抜かれた獣のような顔つきをしている。「借りてた金、返すよ」と千円札を数枚、ライターの火で燃やす。

「おい、お前もやれよ」

 須藤の横顔に見とれていた“祐”は、慌てて墓石の前に立った。一応須藤に倣い手を合わせたものの、悲しみも痛みも、何も感じなかった。ただ、ゆらゆらと立ち上る線香の煙が、どこか悲しげに蠢いているように見える。

 そのままぼんやりと墓石を眺め続ける祐に、須藤が「行こうぜ」と声をかける。

 祐は頷くと、真夏の太陽に向かって大きく伸びをした。持ち上がった黒いベストの奥、Tシャツの胸ポケットから小さな人形が一瞬顔を覗かせる。祐はその人形の頭を、指先でそっと撫でた。まるで聞きわけのない子どもをあやすように。

 そしてもう一度墓石を見つめると、唇の端を軽く持ち上げ、囁いた。


「さよなら、マルオ君――」


↓解説&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。













この作品は某サイトのミニ企画用に書いたものでした。お題は『ライトノベル』と『愛』……うん、これしかねぇなと。日頃からDVやらストーカーやらの偏愛モノを書いたりしてるのですが、この作品が一番キモくなったと思います。特に男子読者様は「プラトニックラブ発言」でゾゾゾとなっていただけたのではないかと……。一応続編二つ分で三部作にする構想はあるのですが、いつとっかかれるか分からないので、これはこれとして楽しんでくださいませ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ