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アリシア・ヴェリタス【哲学リョナ小説第3弾】  作者: ギデオン・ヴァンツ@週刊コロッセオ記者
・●第9章:ヴェリタスの天秤3 楽園の崩壊

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第9話:Extreme Ways

主題歌:ジェイソン・ボーン/Extreme Ways

https://youtu.be/ftm1hiXgYsA?si=ZEfXw3QVaaw2Mz6N

これを手に取ったあんたに、最初に言っておくことがある。

俺はかつて、数々の「真実」を書いてきた。

世界最強の科学者エラーラ・ヴェリタスの狂気。

時空を超えた戦士ナラティブ・ヴェリタスの武勇。

そして慈愛の独裁者アリシア・ヴェリタスの革命。

世間は彼女たちを「奇跡の家族」「世界を救った三女神」と崇め奉り、その絆は永遠だと信じて疑わない。

だが、俺、ギデオン・ヴァンツは知ってしまった。

光が強ければ強いほど、その足元に落ちる影は濃く、そして冷たいということを。

これは、俺が再び出会ってしまった、歴史の教科書には決して載らない「崩壊の前夜」についての記録だ。

もしあんたが、この三人が仲睦まじく暮らすハッピーエンドを信じているなら、今すぐこの紙束を暖炉にくべて、甘い夢の中に逃げ込むんだな。

ここから先に書かれるのは、あまりにも正しい二つの正義が正面衝突し、愛し合うがゆえに殺し合う未来が確定した……「断絶」の瞬間だからだ。


王都の高級住宅街に鎮座する、ドミトリー・ヴォルコフの屋敷。

かつて「不動」と呼ばれ、大陸最強の男として名を馳せた彼の応接室は、今や世界で最も危険な火薬庫と化していた。

俺は、震える手でメモ帳を握りしめていた。


「……それで、先生。最近の王都の治安について、どうお考えで?」


俺はどうにか声を絞り出し、正面に座るエラーラ・ヴェリタスに問いかけた。

彼女は相変わらずの白衣姿だが、その目は退屈そうに宙を彷徨っている。


「治安?ああ、素晴らしいね。データ上は完璧だ。犯罪発生率は激減。スラムの消滅により衛生環境は劇的に改善し、平均寿命も延びた。ああ!……実に、素晴らしい『飼育箱』だよ!」


「……飼育箱、ですか?」


俺が聞き返すと、隣に座っていたアリシア・ヴェリタスが、ピクリと眉を動かした。

純白のドレスに金のケープ。国防教育省長官として国を導く彼女は、優雅に紅茶のカップを置き、静かな声で言った。


「おかあさま。言葉を選んでいただけますか? これは『保護』ですわ。わたくしは、人々を無意味な痛みから守っているのです」


「同じことさ、アリシア!」


エラーラは、悪びれもせずに言った。

そして、その発言こそが、この部屋の空気を決定的に変える引き金となった。


「君のやっていることは、生態系から『外敵』と『病原菌』を完全に取り除いた無菌室の管理だ!……確かに個体は長生きする。だが、種としての進化は止まる!」


エラーラは、ニヤリと笑った。それは、マッドサイエンティスト特有の、純粋すぎて残酷な笑みだった。


「だから私は、昨日、王都の地下水道に新種の合成魔獣を放っておいたよ!」


「……は?」


俺の声が裏返った。ドミトリーが「ひっ」と息を呑む音が聞こえる。

アリシアの表情が、凍りついた。


「……今、なんと仰いましたの?」


「適度なストレスだよ、アリシア。致死性は低いが、繁殖力が高く、噛まれると激痛が走る虫だ。……これを駆除するために、人々は知恵を絞り、身体を動かし、協力し合うだろう? 『痛み』というリスクがあるからこそ、人間は思考し、工夫し、自由意志を獲得するのだ!アハハハハハ!」


エラーラは、両手を広げて宣言した。


「痛みは自由を肯定する! 恐怖こそが生の実感を与える! ……君の愛する『安全』とやらで去勢された家畜たちに、私は『野生』という名の自由をプレゼントしてやったのさ!」


静寂。

絶対零度の静寂が、部屋を支配した。

アリシア・ヴェリタスの顔から、表情が消えていた。

彼女が掲げる「愛」と「保護」。

エラーラが掲げる「学」と「進化」。

どちらも、間違っていない。

人は守られなければ生きられない。だが、守られすぎれば弱くなる。

だが、エラーラのやり方は――アリシアが人生をかけて築き上げた「傷つかない世界」への、明確なテロリズムだった。


「……おかあさま」


アリシアの声は、低く、美しく、そして底知れぬほど恐ろしかった。


「即刻、回収なさい。……さもなくば、わたくしが軍を動かして、地下水道ごと焼き払いますわ」


「おやあ?怒ったのかい? データを取りたかっただけなんだがねえ!」


エラーラは肩をすくめる。

俺は見た。

この二人の間にあるのは、単なる意見の相違ではない。

魂のレベルでの「断絶」だ。

同じテーブルを囲んでいても、彼女たちは全く別の世界を見ている。

そして、その二つの世界は……決して共存できない。


「……まあまあ!二人ともさ、やめようよ!」


重苦しい空気を裂いたのは、ナラティブ・ヴェリタスだった。

漆黒のドレスを着た彼女は、居心地悪そうに身をよじっていたが、耐えきれずに声を上げたのだ。

彼女は、不安そうな目でアリシアを見た。


「姉さん、お母様は悪気があるわけじゃないのよ。ただ、ちょっと実験が好きなだけで……」


「ナラティブ」


アリシアは、妹の方を見ずに言った。


「貴女は、一体どちらの味方ですの?……まさか、貴女も『痛みが必要だ』と仰るのですか?」


「えっ……い、いや、あたしは……!」


ナラティブが言葉に詰まる。

彼女の本質は「戦士」だ。未来の荒野で、血と泥にまみれて生き抜いてきた。

彼女の強さは、痛みを知ることで培われたものだ。

だから、本能的にはエラーラの理論を理解できてしまう。

だが、彼女の心はアリシアを求めている。姉に嫌われたくない、姉を守りたいという一心で、ここにいる。


「あたしは……姉さんが笑っててくれるなら、それでいいのよ!そう!……地下水道の虫なんて、あたしが全部潰してくるから!」


ナラティブは、必死に笑って見せた。

だが、アリシアはその笑顔を見なかった。

アリシアは、ナラティブを愛している。

愛しているがゆえに、ナラティブが「暴力」という手段でしか解決できないことを、悲しく、そして疎ましく思っているのだ。

「戦わなくてもいい世界」を作ったのに、妹はいつまでも「戦士」のままだ。

その事実が、アリシアを孤独にする。


「なら……行きなさい、ナラティブ。でも、貴女の拳は、虫潰しのためにあるのではありませんわ」


突き放すような言葉。

ナラティブの顔が歪む。愛しているのに、届かない。守りたいのに、拒絶される。

最強の戦士が、たった一言で、捨てられた子犬のような顔になった。

そして。

その一部始終を、部屋の隅からじっと見つめる視線があった。

リウ・ヴァンクロフト。

金髪の画家であり、ナラティブの親友であり、アリシアの護衛。

彼女は、スケッチブックを抱えながら、沈黙を守っていた。

俺は気づいてしまった。

リウの視線が、ナラティブに向けられたものではないことを。

彼女が見つめているのは、常にアリシア・ヴェリタスだ。

ナラティブが傷ついた瞬間、リウの眉が一瞬だけ動いた。親友としての同情。

だが、次の瞬間、彼女の瞳はアリシアの横顔に吸い寄せられ、そこに浮かぶ「女王の憂い」に、陶酔にも似た熱を帯びたのだ。


(……なんてことだ……)


俺の背筋に、冷や汗が流れた。

リウは、ナラティブの親友だ。

だが、彼女の「魂」が跪いているのは、ナラティブではない。

彼女は、アリシアの「絶対的な愛」に魅入られている。

ナラティブという太陽のような陽の強さではなく、アリシアという月のような冷たい引力に、抗えなくなっている。

リウは、察しているのだ。

ナラティブとアリシアの断絶を。

そして、いずれ訪れる決裂の時、自分がどちら側に立つことになるかを。

彼女は、親友を裏切り、愛する主人の剣となる覚悟を、すでに決めている。


「……ギデオン様?」


不意に、アリシアが俺の方を向いた。

その碧眼が、俺の心臓を射抜く。


「顔色が優れませんわね。……何か、怖い想像でもなさいました?」


「……い、いえ。ただ、皆様の議論が高尚すぎて……」


俺は嘘をついた。

怖い想像? 違う。

これは「予知」だ。

エラーラは、人類を進化させるために、必ずまた「災厄」を撒く。

アリシアは、人類を守るために、必ずエラーラを「排除」しようとする。

ナラティブは、二人の間で引き裂かれ、最終的には「姉を守るための暴力」を振るうだろう。

そしてリウは、アリシアの命じるままに、かつての親友ナラティブに刃を向ける。

この部屋にいる四人は、今はまだ「家族」という枠組みで辛うじて繋がっている。

だが、そのロープはもう千切れかかっている。

「愛」も「正義」も「真実」も、それぞれが別々の方向を向いている。

そのベクトルが限界を超えて引っ張り合った時、弾け飛ぶのは彼女たちだけではない。

……この世界そのものだ。


「……面白い、記事になりそうですわね」


アリシアは、意味深に微笑んだ。


「タイトルは……そう。『楽園の崩壊』……なんて、いかがかしら?」


彼女は、自覚している。

自分が作ろうとしている楽園が、エラーラという異物によって、あるいは自分自身の潔癖さによって、いつか崩れ去ることを。

それでも彼女は止まらない。

愛という名の独裁を、完成させるまでは。


「……検討しておきます」


俺はペンを置いた。

これ以上、書けない。

これ以上書けば、俺の手が震えて文字にならない。

帰り際。

ドミトリーの屋敷を出た四人は、見た目には仲睦まじく歩いていた。

エラーラが何かを熱っぽく語り、ナラティブが困ったように笑い、アリシアが優雅に歩き、リウが静かに従う。

美しい光景だ。

だが、俺には見える。

彼女たちの背後に、巨大な、どす黒い影が伸びているのが。


「……戦争だ……」


俺は、雨上がりの空を見上げて呟いた。


「次の大戦は、魔獣でも侵略者でもない。……正義と正義の、愛と愛の、殺し合いだ」


俺、ギデオン・ヴァンツは知っている。

この平和な日常は、巨大な爆弾の導火線が燃えている時間なのだと。

そして、その爆発の瞬間を、俺は一番近くで記録することになるだろう。

涙と、血と、そして絶望でインクを薄めながら。


「……神様よ。もしいるなら、あいつらに……救いを……与えてやってくれ……」


俺の祈りは、風にかき消された。

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