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ヴェリタスの最終定理Ⅰ 真理の証明(下)  作者: LIU WANPAI
幽霊少女

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第2話:幽霊少女(2)

西都の朝は早い。

商人の街らしく、夜明けと共に競りの声が響き渡る。

しかし、ナラにとっては、不愉快極まりない朝だった。

昨夜、ミオという少女の魂を救済し、清々しい気分で王都へ帰ろうとした矢先のことだ。


「おいコラ!校長を出せ!金払え言うてんのが分からんのか!」


茜小学校の校門前で、ドスの効いた怒号が響いていた。

ナラが足を止めると、そこには異様な光景があった。

小太りで、脂ぎった顔をした中年男が、校門を蹴り飛ばしている。男は趣味の悪い金色のネックレスをジャラジャラと鳴らし、手には何かの請求書のような紙束を握りしめていた。

周囲の教師たちは青ざめ、子供たちは恐怖で固まっている。


「……何ですの、あの騒音公害は」


ナラは眉をひそめ、近くにいた警備員に尋ねた。


「あ、あれは……『ゲンゾウ』です。……亡くなったミオちゃんのお父さんですよ」


「父親?」


「ええ。なんでも、『娘の幽霊が生徒を守る警備員の仕事をしていたのなら、その労働対価は親権者である俺が受け取る権利がある』とか言い出して……。過去10年分の給料と、精神的苦痛の慰謝料を払えと……年収300万クレストとして10年分だから3000万クレストを……」


ナラの中で、何かが「プツン」と切れる音がした。

娘を虐待し、死に追いやり、10年間放置しておきながら。

娘が死後も健気に徳を積んでいたことを知るや否や、それを金に換えようとする。


「……規格外のゴミクズですわね」


ナラが鉄扇に手をかけた、その時だった。

小さな石ころが、ゲンゾウの額に命中した。


「痛っ!? ……誰や! 誰が投げよったんや!」


ゲンゾウが怒り狂って振り返る。

そこに立っていたのは、一人の少年だった。

小学4年生くらいだろうか。野球帽を目深に被り、半ズボンの膝には擦り傷がある。体は震えているが、その目は燃えるようにゲンゾウを睨みつけていた。


「……帰れ!ミオちゃんを……ミオちゃんを侮辱するなッ!」


少年が叫んだ。

ゲンゾウの顔が朱色に染まる。


「ガキが……! 親の教育がなっとらんのじゃ!」


ゲンゾウが少年を殴ろうと、太い腕を振り上げた。

少年は目を瞑り、身を固くした。

だが、衝撃は来なかった。


「……子供に暴力を振るうなんて。あんた、それでも霊長類?」


ナラが、ゲンゾウの手首を鉄扇で受け止めていた。

涼しい顔で、しかし絶対零度の瞳で見下ろしている。


「な、なんやオマエ!部外者はすっこんでろ!」


「ええ、部外者よ。通りすがりの、ただの一流のレディですわ」


ナラは手首を捻り上げ、ゲンゾウを地面に転がした。


「……今日は日柄が悪いようですわね。出直してらっしゃい」


ゲンゾウは這いつくばりながら、捨て台詞を吐いた。


「覚えとけよ!裏の組織使ってでも、きっちり回収したるからな!……あと、そこのガキ! お前もただじゃ済さんぞ!」


ゲンゾウは逃げ去った。

後に残されたのは、震えが止まらない少年と、溜息をつくナラだけだった。


「……ありがとな、お姉ちゃん」


少年はボソッと言った。


「俺、ケンタっていうんや」


「あたしはナラよ。……それで、ケンタ。あんた、ただの正義感であんなことをしたわけじゃないわね?」


ケンタは缶を強く握りしめた。


「……俺、会ったことあるんや。ミオちゃんに」


ケンタは語り始めた。

1年前、彼が転校してきたばかりの頃。

道に迷って一人で下校していた時、野良犬に襲われそうになった。

その時、ボロボロの女の子が現れて、犬を追い払い、家まで送ってくれたのだという。


『……ごめんね』


別れ際、ミオはケンタにそう言ったらしい。


『もっと早く助けてあげられなくて、ごめんね』


「ミオちゃん、俺を守ってくれたんや。……だから、俺、許せへん。ミオちゃんを虐めるやつを……あいつを、倒したいんや!」


ケンタの目には、涙と決意が光っていた。

それは、「弱くても抗おうとする者」の輝きだった。

ナラは、口元を緩めた。


「……いい目をしてるわ。合格よ、少年」


ナラは立ち上がり、鉄扇をケンタに向けた。


「ミオの魂は、もう救ったわ。でも、現世に残った『ゴミ』の掃除がまだのようね。……あんたが勇者になりたいなら、あたしがコーチになってあげる」


「……ほんまか!?」


「ええ。ただし、あたしの冒険は厳しいわよ?

……準備はいい?」


ナラの指導の下、二人が最初に向かったのは、西都の繁華街の裏路地にある雑居ビルだった。


「敵を倒すには、まず敵を知ること。そして、敵の『力の源』を奪うことですわ」


ゲンゾウが経営する「高利貸し事務所」だ。

彼はただの父親ではない。西都の裏社会と繋がり、違法な取り立てや詐欺で金を巻き上げている小悪党なのだ。

彼が学校を脅せるのは、バックに暴力団まがいの組織がいるからだ。


ナラとケンタは、排気ダクトを通って事務所への侵入を試みた。

ケンタは体が小さい利点を活かし、狭いダクトを匍匐前進する。


「うう、埃っぽい……」


「文句を言わない。一流は埃すらも味方につけるのよ」


事務所の中では、ゲンゾウが手下たちと酒を飲んでいた。


「ガハハ!あの学校からむしり取れば、借金もチャラや!」


金庫の前には、屈強な見張りが一人。


「どうするん、お姉ちゃん」


「正面突破は二流のやることよ。……これをお使いなさい」


ナラが渡したのは、爆竹と、ナラ特製の「スモークボール」だった。

ケンタは勇気を振り絞り、通気口からそれを部屋の中へ投げ込んだ。


「うわあああ!襲撃か!?」


部屋中がパニックになる。

その隙に、ナラが音もなく天井から降り立った。

鉄扇の一撃で、見張りの首筋をトンと叩く。気絶。

ナラは金庫を解錠し、中から「裏帳簿」と「違法取引の証拠データ」を抜き取った。


「確保完了。ずらかるわよ、ケンタ!」


二人は混乱する事務所を後にした。

これで、ゲンゾウの「資金源」と「社会的信用」を崩す準備が整った。

だが、これだけでは奴の心は折れない。

奴がミオを支配していた、「恐怖の象徴」を破壊しなければならない。


次に二人が向かったのは、西都の港湾地区にある古い倉庫街だ。

ケンタの情報によると、ゲンゾウはここに「特別な宝」を隠しているという。


「ミオちゃんが言ってたんや。『パパは、怖い道具を倉庫に隠してる』って。それがある限り、パパは誰にも負けないって……」


「……厄介な魔導遺物の類かもしれませんわね」


倉庫街は、夕暮れと共に不気味な静寂に包まれていた。

野良犬の遠吠えが聞こえる。

二人は、指定された「第13倉庫」の前に立った。

錆びついた扉。そこからは、禍々しい気配が漂っている。

中に入ると、そこは異様な空間だった。

壁一面に、お札や奇妙な骨が飾られている。

そして部屋の中央には、黒い布を被せられた檻があった。

突然、闇の中から異形の影が飛び出した。

ゲンゾウが番犬として飼っていた、魔力で強化された「ドーベルマン」だ。

目が赤く光り、牙からは酸が滴っている。

ケンタが腰を抜かす。


「ひっ……!」


「下がってなさい!」


ナラが前に出た。

ドーベルマンがナラの喉笛に食らいつこうとする。

だが、ナラは動じない。

鉄扇を開き、犬の鼻先を強打。さらに、ドレスの裾を翻して犬の視界を塞ぎ、背後に回って首輪を掴んだ。


「お座りッ!」


犬を地面に叩きつける。

ナラの気迫に負け、強化犬は「おうん」と鳴いて縮こまった。

ナラは犬の頭を撫でた。


「よしよし。悪いのはあんたじゃないわ。飼い主よ」


ナラとケンタは、中央の檻の布を取った。

中にあったのは、怪物でも宝石でもなかった。

それは、一本の「鞭」だった。

古びた革の鞭。だが、そこにはどす黒い怨念が染み付いている。


「……これは……まさか?」


ケンタが震える声で言った。

ゲンゾウはこの鞭を使い、ミオを支配し、時には「お仕置き」と称して暴力を振るっていたのだ。

そして、この鞭には、打たれた者の「恐怖心」を吸い取り、持ち主の力を増幅させるという、悪趣味な呪いがかかっていた。

ゲンゾウが異常に威圧的で、誰も逆らえないのは、この鞭の呪いのおかげだったのだ。


「ケンタ。あんたがやりなさい」


「えっ? 俺が?」


ナラは、落ちていた鉄パイプをケンタに渡した。

ケンタは、震える手でパイプを握りしめた。

目の前には、ミオちゃんを苦しめた元凶。

怖い。でも、ミオちゃんの方がもっと怖かったはずだ。


「……う、うおおおおおおっ!!」


ケンタは叫び、パイプを振り下ろした。

バキンッ!!

鞭が真っ二つに折れた。

同時に、黒い霧のような怨念が霧散していく。

倉庫の空気が、ふっと軽くなった。


「やった……。俺、やったで!」


「ええ。上出来よ」


ナラは微笑んだ。

これで、ゲンゾウの武器は消えた。

あとは、奴本人を成敗するだけだ。


そして、最終決戦の時。

場所は再び、茜小学校。

ゲンゾウは、手下を引き連れて校庭に乗り込んでいた。


「金払わんかい!こっちは法的手段も辞さんぞ!」


校長先生が胸ぐらを掴まれている。

そこへ、校内放送が響き渡った。


『――お知らせします。校庭にいらっしゃる、ゲンゾウ様。至急、ミオさんの代理人が到着しました。給料の受け渡しを行いますので、直ちにバックネット裏までお越しください』


声の主は、もちろんナラだ。


「お!?……行ったろうやないけ!」


バックネット裏。

夕陽が長く影を落とすその場所に、ナラとケンタが立っていた。


「ようこそ。……ここがあなたの屠殺場よ!」


「あ!?……テメェら……朝のガキと女か!俺の事務所荒らして、倉庫壊したのはテメェらか!」


ゲンゾウは、懐から拳銃を取り出した。

もはや金などどうでもいい。プライドを傷つけられた報復だ。

手下たちもナイフを構える。


「やっちまえ!」


手下たちが襲いかかる。

ナラは優雅に舞った。

鉄扇が夕陽を反射して煌めく。

ナラは致命傷を与えず、手下たちの関節を外し、武器を弾き飛ばしていく。

まるでダンスを踊るように、屈強な男たちを無力化していく。

最後に残ったのは、ゲンゾウ一人。

彼は震える手で銃を構えた。


「来るな!撃つぞ!」


その時、ケンタが前に出た。


「おっちゃん!もうやめーや!」


「うるせぇガキが!」


ゲンゾウは銃口をケンタに向けた。

殺意の篭った引き金。

だが、ケンタは逃げなかった。

彼は、ポケットから一枚の紙を取り出し、掲げた。

それは、ナラが盗み出した「裏帳簿」のコピーではなく――

ミオが死ぬ前に書いた、一枚の「絵」だった。

資料室の隅に挟まっていたのを、ナラが見つけたのだ。

そこには、笑顔のミオと、まだ優しかった頃のゲンゾウが手を繋いでいる絵が描かれていた。

『パパ、お仕事がんばってね』という拙い文字と共に。


「……あ、あ……」


ゲンゾウの動きが止まった。

その絵を見た瞬間、呪いの鞭によって麻痺していた彼の「良心」の欠片が、強烈なフラッシュバックを起こしたのだ。

妻を亡くし、借金に追われ、酒に溺れ、いつしか娘を金蔓としか見られなくなっていった日々。

でも、確かにあった幸せな記憶。


「ミオちゃんはな……最期まで、あんたを待ってたんやぞ!あんたが迎えに来てくれるって、信じてたんや!」


ケンタの叫びが、ゲンゾウの心臓を刺した。

銃を持つ手が下がる。

膝が震える。


「俺は……俺は……」


そこへ、ナラが歩み寄った。

彼女は鉄扇を閉じ、ゲンゾウの顎をクイッと持ち上げた。


「あんたがやったことは消えない。虐待も、放置も、死なせたことも。一生、その罪を背負って生きなさい」


ナラは、ゲンゾウの足元に、警察への出頭命令書を放り投げた。


「でもね……ミオは、『誰も呪わなかった』。……その『意味』を、独房の中で一生かけて考えなさい。」


遠くから、パトカーのサイレンが聞こえてきた。

ゲンゾウは、その場に泣き崩れた。


「ミオ……ミオォォォッ……!」


それは、10年遅すぎた、愚かな父親の慟哭だった。


事件は解決した。

ゲンゾウは逮捕され、彼の組織もナラが提供したデータによって壊滅した。

茜小学校の子供たちは、もう幽霊に怯えることはない。

ミオの噂は、「生徒を守ってくれた小さな天使」の話として、優しく語り継がれることになった。



西都の駅。

ナラは、王都行きの列車を待っていた。

見送りには、ケンタが来ていた。


「……ナラ姉ちゃん、行くんか?」


「ええ。あたしの仕事は終わったもの」


ナラは、ケンタの野球帽を直してあげた。


「ケンタ。あんたは立派な勇者だったわ」


「……へへ。俺、大きくなったら、姉ちゃんみたいな探偵になるわ!」


「あら、大きく出たわね。……まあ、悪くない目標よ。でも、コーヒーの味だけは覚えなさいよ?」


ナラはウィンクをした。

汽笛が鳴る。

ナラは列車に乗り込み、窓から手を振った。

夕暮れの西都。

ホームで大きく手を振り返す少年の姿が、小さくなっていく。

その隣に、一瞬だけ――満面の笑みを浮かべた少女の姿が見えた気がした。


「……ふふ。幻覚を見るなんて、あたしも焼きが回りましたわね」


ナラは、座席に深く腰掛けた。

手元には、ケンタが「お礼」にとくれた、西都名物のお菓子があった。


「……やれやれ。お母様には、この三流の味をたっぷり自慢してあげなくちゃ」


ナラティブ・ヴェリタスは、クッキーを一口かじった。

しょっぱくて、甘くて、少しだけ切ない味がした。

列車は、夜の帳が下りる荒野を、王都へ向かって力強く走り抜けていった。

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