夏風に浮かび上がる円盤なる人に
やはりヤツはここにいた。律儀というか何というか。
「やや。これは面妖な」
「ってぇか、あんたまだ一人でも補習で来てるのか?!」
とんでもねぇ野郎。さぼれよ。
しかも、いつも教壇に座ってやがる。
気に入ったのか? その場所が。
「それ、勉強になるのか?」
「一人になりたい事もありますゆえ」
「そこんところは…まったく」
「申し訳ない」
俺はどすり、と重い腰を下ろした。
「邪魔だったらごめん…俺もちっと…煮詰まってるもんで」
「家に一人でいると…くだらない事ばかり考えちまってさぁ…気晴らしに来てみた…邪魔か?」
ヤツは教壇に座り、はらはらと本のページをめくっている。穏やかに。
その姿は無関心な様で、こちらの言葉を待っている様で…いつもの毒々しい武者小路ではないみたいだ。
「一人にしてくれって言うのなら、出て行くけど…遠慮なく言っていいよ」
「そうでも…話し相手が秋元氏ならば許容範囲です」
「許容範囲じゃない人もいる、と言う事か…」
微かに、ほんの微かに眉をひそめ、武者小路は言う。
その声にも少し棘が混ざっている。
「良く人生相談を持ちかけられるのですが」
「これが一番嫌いです」
「…そんなムチャでうざい事、言う奴がいるの?」
「何聞かれんの?」
「どうしたらそんないい成績が取れるのですか?とか」
「つまらねぇ事聞くなぁ」
勉強すっからにきまってんじゃん。
「その通りですが、その人には真剣なんでしょう。そう言う質問にはこう答えています」
「一日が三十時間あったらその二十九時間を当てる、それが秘訣です、と」
だろうね。
俺は思わずにやにやと笑い出していた。
「なるほど。大納得。くくく。そう言うヤツだよ。あんたは」
「そう言ってくれるのは例外中の例外。怒り出す人もいます」
「そんな事出来るわけない、で話は大概終わります」
武者小路の口調はいつもの様に、頭の中でこねくり回した様なあの小難しい口調ではない。
今日は違う…と言うよりこの間から違ってきている。
そして、その目は、紛れもなく、真剣な輝きを宿している。
「もし私に才能などというものが欠片でもあるとしたら、それは覚悟する事」
「こういう血筋に生まれ、生活の中で少しずつ吸収していった武門の家風」
「覚悟する、と言う事だけなのだと思っております」
「一日が三十時間あったら…?」
「当然、使います。二十九時間は無理でも」
「為す、と決めたのは私ですゆえ、私が為す、ただそれだけです」
「…かてぇなぁ。かちかち。でも…らしいと言えば、これ以上らしい事はないけど」
「お褒めの言葉として受け取っておきましょう」
武者小路のバカがにっこりと微笑んだ。
お前…そう言う笑い方も出来るんだな。ちょっとびっくり。
「秋元氏は…私の目の届く範囲にいる人々の中で、もっとも…相談を必要としていない人間ですので」
「はぁ…」
そうかぁ?
「何故そう考えるに至ったのか…その経過が興味がある、と言う事です」
「自ら決め、その事を楽しむ…それが自然に出来る人、そういう風に見受けられます」
「そう言う所に…興味を感じましたね」
「私と対局にいる様に見えて、実は私と一番近い所にいるのではないかと…」
何を話しているのかは、正直よくわからない。
しかし、いつもとは違う武者小路の話し方には、見た事のないヤツが居たのも確かだった。
「話してみてどう思った?」
「その通りだと」
「いいっすね。美しいっすね友情は」
「だったら…あの腰縄は何とかしろよ!!」
話題が逸れると、武者小路のバカ天才の態度も変わる。あのおなじみの陰険さに満ちあふれた引きつった様な笑顔が戻ってくる。
「それとこれとは話が別なので…くくっ」
そうだ。それだよ。お前って言う奴は!
なじみの武者小路が、目の前に現れた事に少しだけ俺は安堵した。それなら…こっちもいつものペースでいける。
「だからオマエは武者小路だ!って言われるんだよ!!」
ちらっとだけ考える振りを見せたあと、極めて冷静な声で野郎は言いはなった。
「…よく言われますね。そう言えば」
「ちっ…ボケ殺しめ。ツッコんでこいよ」
ボケ殺しのムシャ、と言うあだ名を影で流行らせてやる。
「ペーソス溢れる会話。誠に重畳」
武者小路はいつになく、上機嫌な顔で呟いた。
「何言ってやがる」
そうはいったが…俺の顔もにやけている事を悟られてはならない。
まぁ、こいつの事だ…。もう気付いているのかもしれないけど。
こう言うのも…なかなかだ。
なかなかだな。
うん。
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午後は用事があるとかで、武者小路は帰っていった。
一人取り残された教室で、俺は考え続ける。
もう、行く所は一つしかなかった。
考える事も。
思いはまだ決していない。
だが、武者小路には言わなかった理由が、俺の足をここまで進ませている。
階段の端にある階段。
その上にある扉。それを二回開ける。
思いはまだ決していない。
ただ、俺はその動作を機械的に行っていた。
おみやげはある。黄色い円盤だ。プラスチック製の平たく軽いやつ。
鞄の中からそれだけを持って、ここにやってきた。
草原は相変わらず美しかった。
風は心地よく、草の波が風の軌跡を映し出す光景は目に心地いい。
最初に感じたインスピレーションは正しかった。
ここは欺瞞で充ち満ちている。
最初に感じたインスピレーションが正しかった。
ここはどこにもつながっていない。
牢獄だ。
そして、俺が見る事が出来る芙実花は、ここにしかいない。
いつも。
芙実花は、樹の下で待っていた。
サマードレスが、風に揺らぎ、手を振っている様だ。
「持って来ましたぁ?」
明るい声だった。
俺は黄色い円盤を差し上げて振ってみる。
芙実花の笑顔が弾ける。
その円盤を軽く投げる。ふわりと浮き上がったフリスビーは芙実花の頭上を少しだけ高く超えて、後ろに飛び去っていく。
「へたですよぅ」
芙実花が文句を言いながら、振り返り、草原に柔らかく着地した黄色い円盤を取りに行く。
「今のは取れるだろー?」
俺も、言い返した。
芙実花が運動音痴である事が判明。なんでアレが取れないかな。
「目の前三十センチを通り過ぎてるのに!」
両腕を上下に広げて挟もうとして、見事にタイミングを外した。
つーっと流れていくフリスビーを照れくさそうに取りに行く。
「だって…風がぁ…」
「はいはい」
どうやら芸術的センスはあっても、この手の遊びは苦手らしい。
「ドッジボールは得意だったんですよっ」
芙実花が拾い上げたフリスビーを投げ返してくる。それはどう走ったって届かない所に流れていった。
「これは何の訓練なんだよ。ただ、左右に走るだけか? 反復横跳びじゃねぇんだから?」
「すいませ~ん! どんまいどんまい!」
「ふるぅ。イマドキ言わないよ。それ」
「そんなことないですよぅ」
フリスビーでのキャッチボールとは名ばかり。事実上、千本ノックと言った方が近い。
へとへとに疲れ果てた。
がそれでも、ぬぐった汗は、爽やかな風にすぐ乾き、この世界の快適さを失う事はなかった。
一息ついて芙実花に寄っていく。
「疲れた。少し休む。つぶされちゃうよ」
「体力無いんじゃないんですか?」
「あんだけ走らせといて言いますか、それを」
俺達はただ、並んで立って風を見つめていた。
「今日だけは…あそぶの…そうきめたから」
芙実花がぽつり、と呟く。
「今日だけ…?」
「そう、今日だけ」
「おもいっきりね」
芙実花の手を握り、引っ張る様に走り始める。
「きゃぁ!」
慌てて走り出す芙実花の身体がふわりと浮き上がる。
「やぁぁ…これ、もう一度やりたかったんです! 気持ちいーい!」
はしゃいだ声が高く腕を上げて走る俺の頭上から聞こえた。
ふわりふわりと風になびく芙実花の身体が、旗の様に揺れている。
「手ェ離していいっ?」
「だめぇ!」
「どこまで飛ぶか試してみたくてうずうずしてるんだけど!」
「それじゃまるで紙飛行機扱いですよぅ!」
「そうとも言う!」
「ひどぉい!」
なだらかな坂を駆け上がる様に、芙実花をなびかせて走り、その頂上で走りを止めた。
芙実花がサマードレスの裾を気にしながら、目の前にふわりと降りてくる。
「あっ! 影!」
芙実花が指さしたその先には、盲目でのろまで間抜けな“影”が、俺達を捜しうろうろと歩き回っている。
見えてさえいれば、そんなのろまな動きには捕まらない。
「こっちこっち!」
わざとギリギリまで近寄っては、さあっと逃げてくる。
鬼ごっこの鬼をからかう様に二人ではやし立てても、こちらの動きについて来れない、その藻の様な闇は右往左往するだけだった。
「いきましょ!」
こんな単純な遊びはすぐ飽きるのか、芙実花は俺の手を取って走り出す。
みるみる置いてきぼりにされた影は、俺達の姿を見失い、またうろうろと手探りで歩き回っている様な動きに戻った。
その姿も、あっという間に遠ざかる。
俺達は易々と逃げ切り、大声を空に響かせて笑った。
並んで草原に横たわる。
目に映るのは美しさ。世界は美しい。ただその事だけ。
その事だけで作り上げられている。
ここには動物が見あたらない。虫もいない。俺達と樹と影。あとは草原と空。流れる雲。
それが総てだった。
ただ横たわり、指先がこつりとぶつかり、俺はそれを握りしめた。
それだけで、すべてが満たされていた。
そして、芙実花が語り始めた。
自分の事を。
「小さい頃…両親が離婚して…お母さんは、お父さんよりステージの方を選んだの…」
「母は声楽家で、しょっちゅう家を空けてコンサートとかに行ってて…その事が父には気に入らない事だったんだと思います…本当のところはわからないけど…」
「どちらが私を引き取るか、と言う事で…騒ぎになって…私、どっちも選べなくて…どうすればいいか、どう考えてもわからなくって……」
「お父さんも好きだし…お母さんも好きだったの…どうして、どちらか一人とじゃなきゃ暮らせなくなるのかその頃は理解出来なくて…」
泣いている様な声だった。励ます様に、握りしめた指に力を入れた。
それぐらいしか、俺の力なんてなかった。
「いっそ、二人とも私の事が嫌いだったら良かったのに、と思った」
「私も二人とも嫌いだったら……こんな…痛い事………ただ、ばいばい、で別れられるのに…と思って…」
くすっ、と笑みを浮かべた。笑いながら言える事だとは思えなかったけど、芙実花はおかしい事を思い出した、と言わんばかりに小さく笑って言った。
「本当に、私の両手を掴んで引っ張り合いっこしたのよ」
「あの、大岡裁きの二人の母親の話を後で聞いて、笑っちゃったぐらい」
「うちの場合は、二人とも手を離さなかったけど…いくら泣いても」
何も言う事は思いつかない。すでに起きてしまった事。もう変えられない事。
そして、芙実花は引き裂かれた。
愛されたい。愛したい。愛されたくない。愛したくもない。
愛すれば、愛されればあの時の痛みが蘇る。
引き裂かれる痛みが。
「結局…父方に引き取られる事になって…父と二人暮らしで育ってきたの」
「不思議だけど……母と別れて暮らす様になってから…とても歌が好きになって……もう、喉がむずむずするくらい歌いたくなって」
「家で歌うと、それが鼻歌でも、うるさいって怒鳴られちゃうから…近くの河原で一人で歌ったり……」
「歌う事で……母とのつながりを忘れないようにしよう、と思ってたのね…きっと…」
「つい最近の様な気もするし…遠い昔の様な気もします……事故にあったのは」
「自転車で走ってて、はねられて……こんな夏空を見上げてたの、憶えてる……」
「鎖骨が折れて…喉に刺さったの」
「声はもう出せないってお医者さんに言われて……ほうら、罰が当たったって思った…」
「何で? そんな?!」
「私が望んだから……」
「その後…入院していた病室に母から訃報が届いたの。自殺だって」
「……」
「歌いすぎで喉を壊して、それで…はかなんで……」
「…そんなことでっ? て言う人もいるけど、母を知っている人はみんな静かにうなずいた」
「歌が総ての人だったから……って」
「その後を追う様に……父も…いなくなりました」
「……身勝手だ。そんなの…」
「そうかも知れないけど…結局、父は母の事を愛していたんだなぁって…思いました」
「届いた母の遺物の中のアルバムを見たの…」
「何で、家で歌ったらいけないのか、お化粧したらいけないのか、すぐわかった」
「私、母にそっくりだから」
「見てるのが辛かったんだと思います…」
「もう何もかもどうでも良くなって……気付いたら…あの樹の根本にいたの…」
「ここに辿り着き、ここで行き止まり…ここで共に消える、あの樹の根本に」
俺の目に映る、このいつか無くなる世界は、どこまでも輝き、美しい。
何故、俺はここに来れるのだろう。
芙実花自身の深奥が、脱出口を欲している。
が、自ら打ち立ててしまった壁は崩せない。それは芙実花の限界。
荒々しく打ち崩す力が必要だった。
俺はそれを持ち得ているのだろうか?
それは果たして正義なのだろうか?
正しい事だと感じる事が出来るなら、いくらでも蛮勇をふるう事が出来る。
が、迷いのただ中で…俺は俺のあまりにもふがいない無力を知る。
変えていいのか、変える事は正しい事なのか?
変えてしまってどう後の事をする…?
変わってしまう事自体が微かに恐怖を生む、それを押しつぶすだけの僅かな力すら、今の俺にはない。
立ちすくんでいる。
何を信じればいいのか?
俺のくだらない、僅かばかりの力は……どう使えばいいと言うのか?
その事で芙実花は……救われるのか?
そんな事が俺に出来るのか?
従順で儚げで……その実、強情で頑固。というか、本当のところは彼女は自らのルールを変える事が出来ない。
それは、とてつもない恐怖なのだ。
誰かが彼女の声に応えなければならなかったのだ、と気付いた。
それは彼女の身の回りの人であるべきだった。
が、彼女の身の回りにそう言う人はいなかった。
「どうしたらいいのか、わからない……いつも…」
「いつもいつもわからなかった…の……」
「でも……自分の悪い所を見つけるのはすごく簡単で…」
「その事に納得しちゃう方が……楽なんです…」
「その方が心が軽くなるから…」
「どうせ、望んでも……」
俺達は草原に寝そべっている。芙実花はサマードレスの裾を少し気にしていた。
綺麗だ。どこもかしこも。
その中に張り裂ける様な心の痛みなど、影も見あたらない。
綺麗で、快い物に満ちている。しかし、それ以外の物はない。
それは…少女の夢の様に儚く、現実にいつも手折られる。
「有馬さんと手をつないだままなら…あの赦されざる世界でも、声は出せる…」
「不思議ね…」
不思議だ。
今、俺達がここにいる事が。
ここに居続ける事も出来ない。
ここから動く事も出来ない。
ただ、並んで横たわり続ける。手をつないだまま。
永遠にここにいられたら、そう願っていた。
きっと二人とも。
しかし、そうするわけにはいかない。そう判っていた。
きっと二人とも。
そして俺はここにいる。
何もかもから遠く隔たって。ただ横たわっている。
感じられるのは芙実花の手のひらの熱さだけだった。
俺はいつまでこの世界にいられるのだろう…?
いつまでこの世界は……俺を赦してくれるのだろう。
眠くなってきた……。
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目が覚めたら…世界はまだあった。
指先は絡まり合ったまま。
「芙実花……?!」
影が食らいついていた。芙実花の身体に。
慌てて起きあがり、手で払う。
それで、無くなる様なものではなかった。
立ち上がって、見渡す。
世界は、色褪せ始めていた。
薄れている。何もかも総てから鮮やかさが消え失せつつある様に見えた。所々、草原に染み込んでいった黒いもやが、草原の色を奪っている。
「芙実花!」
抱きかかえ、起こそうとする。
その芙実花の身体を蝕んでいる黒いもやの部分に触れた。
すう、と指が潜り込んでいく。
消えかけている…。
その影は…少しずつ、芙実花の身体を染めていく…。
「ちょっと淋しいけど……ここまで…」
「で、いいのか?! おい!」
「もう…何をしたいのかわからない…」
芙実花が力無く目を閉じると…もやが一層、広がっていく様な気がした。
「いつから淋しかったのか……ずっと昔からだったのか…」
「それを人に知られたくない、と考え始めてからだったのか…もうよくわかんないですけど…」
「ずっと…淋しかったのが……もう、終わります…」
「連れていく……俺の都合に巻き込む! いいよな?!」
「俺の好き勝手だから! 俺がしたい事だから!」
芙実花を抱きかかえると…俺は、もう草原のあちこちに広がりつつある黒いもやの中に飛び込んだ。
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俺が居る限り…そのまま消滅はしないはず。戻れるはずだ。
俺が居る限り…そのまま消滅は…させない…芙実花。
総てを諦めきった、涼しげな笑顔で…芙実花は微笑んだ。
哀しげに。
救えない。救えない。救えない。
救いたい。
俺は無力だ。
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気がついた時、俺は俺の世界に戻されていた。
芙実花と手をつないだまま。
そこは学校の屋上。もうすでに日は暮れ、とっぷりと闇があたりを覆い尽くしている。
「手を離さないで…ね…」
芙実花ははっきりと、呟いた。
街中に向けて歩き出す。
芙実花が、少し歩きたいと言ったからだ。
特に行く先を決めていたわけではなかった。
日の暮れた街は、きらきらと輝きに溢れ、陽気な音楽を垂れ流している。
そうだ。今気付いた。今夜は……イブだった。
「母は昔…クリスマスの夜はいつもどこかで歌ってました」
「家で、掃除をしている時も歌っていたんですよ…私もそれに合わせて…」
「二人で声を合わせて歌う事は…鳥が歌うのと同じくらい自然な事だったの…」
芙実花はサマードレスのままだった。
「寒くないか? 一度俺の家に言って何か……」
「ううん…大丈夫。って言うか…もうあまり…感じなくなってきたから…」
「戻ろう! それ、ヤバい……」
「そう言う意味じゃなく。もう、“赦されざる世界”は…こんな存在の私を赦さない、と言う事だから……」
「何…………」
「今も少しずつ、あの喉の痛みが戻ってきている…あの張り裂ける痛み…喉も…心も……」
「赦される世界も揺らいでいる……。いずれ消えるでしょう。そして、あるべき姿だけが残る……」
「あるべき……惨めな姿だけが…」
「もうそこに戻る気は…」
浮かれた連中が、待ちきれずはしゃいだ声で通り過ぎる街中を俺達は並んで歩いた。
手をつないだまま。
赦される世界はあまりに甘く、赦されざる世界はあまりにも苦い。
何故留まっていてはいけないのか…戸惑いながらも、知っていた。
進まなきゃいけない、と。
どんな痛みを払ってでも。言うのは簡単だ。そうするべきだ、と知ってはいる。ただ…。
そのための勇気が見つからない。
それは心のどこにあるのだろう…?
ここでお別れ。そう芙実花は決めている様だった。
「なぁんだ……もう夢が終わっちゃった……」
そんな芙実花の呟きにはっとし、つないだ手を持ち上げ、眺める。
芙実花の手が薄れ始めている。
「いいのか?!……これで?……」
「だって……それが赦されないという事ですから」
薄れ行く芙実花は、哀しげに微笑んだ。
その笑みも淡いものに変化していく…。
「諦めるな! 望む事を!」
その言葉に芙実花は寂しく微笑んだ。
どんどんと、芙実花の姿は薄れていく。その陽炎の様な姿が遠くのイルミネーションを透かしてきらきらと輝き、光の中に埋もれていく。
その笑みが哀しかった。
消え去る事に、納得している事が。
空いてる手が胸に伸び、自らプレゼントのペンダントを千切った。
その手がゆっくりと開き…紅玉が手から滑り落ちていく。
それは凍り付いた路面で弾け…いくつかのきらきらとした紅い破片に分かれた。
「ほら…もう、私…いない…」
慌てて両手で芙実花の手を握る。その俺の手も現実を伝えるわけにはいかなかった。
俺の心が弱まっている。俺の迷いが、現実を遠ざける。俺の手から。
そして、俺はその手を離した。自ら振り切る様に。
救えない。芙実花がそう望んでいる。望んでいるのだ。
そう…判断するしかない。ないのだ。そうだ。きっと。
してしまった。その時は。そうだ。もう遅い。
するしかない。たぶんそう。決まってる。そうに…
目の前が揺れた。
手を離した時、闇に消え失せていく。
哀しげな顔を残して。
心が凍った。
自分の無力が、心を凍らせる。
耐えがたい胸の痛みに膝をつき、目を閉じた時、それに気付いた。
それでもまだ。
きみのこえがきこえる。
後悔する。出来る事はあったのに。まだ言うべき事は残っていたのに。
何故手を離してしまったのか。
何故それに思い至らなかったのか…。バカ野郎。
出来る事はある。芙実花を影に食わせるものか。
走り出す。夜の街の中を。
歌を探し求める。耳を澄ませて。
それは夜のイルミネーションの中に微かに響いていた。
歌えるのか? ここでも。まだ歌えるのか…?
俺は間に合うのか?
それとも。これは俺の錯覚、幻聴なのか?
追いついてみれば判る事だ。
俺はただ、人並みを掻き分け、走り続けた。
夢を信じるほど強い人間ならば、どんな夢だって意志の力で創造し、現実に変える事が出来るはずだ。
そのはず。そのはずだ。俺は夢を信じる。
心に焼き付くほど、その言葉を繰り返す。
頭に刻み込まれほど、何度も。
祈る様に。
足が自然に止まった。荒い息が白く、吐き出されているのが見える。
路上に立ち止まる。流れる人並みが俺を避けていく。
芙実花は見つからない。
それでも。
きみのこえがきこえる。
今日はクリスマスイブだ。
奇跡の起こる夜。
探すべき場所に迷いがあった。
微かな迷い。それが、俺の腕から現実を遠ざける。
賭けるしかない。時間はもう残り少ない。
今日こそは、その日のはずだから…。
今日こそは…
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選択肢
ビターエンド?
トゥルーエンド?
その1 街中を探す
その2 草原を探す
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