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グレゴリオ  作者: abso流斗
オープニング
1/16

オープニング

元々ADV形式のゲームシナリオです。

途中で分岐します。

まずそこまで。







輝く場所の夢を見る。いつも。

それがどこだか…。

今の俺には判らない。

でも。

そこに辿り着けば素晴らしい事が待っている。

そんな予感が胸にはち切れんばかりに溢れ出す。


約束された土地。

目に浸みる蒼。果てなど無い蒼穹。どこまでも続く緑の草地。

心のど真ん中を通り抜けていくような風。

夢から覚めた時、胸の奥に残りたなびく芳しい予感。

それは干し草の薫りに似て、いつかどこかで嗅いだ事がある様で…。

その場所はそんな場所だった…。



xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx


しかし、夢は夢。現実は…灰色。

雨でくすんだ街並みの重く湿った世界。

一言で言えば…クリスマスまで後一週間だってぇのに!

「何で、あんたと並んで通学せなならんのじゃい?! 女の子は?女の子は女の子は?」

「秋元有馬氏の今の発言を鑑みるのなら…それは言外に、この私、戸籍名称、武者小路景光、十七歳四ヶ月、余す所十八日…に女装しろ、と言う意味を秘かに含んでいるのでありますか?」

…………………………。

ちげーよ。

考え込むんじゃねぇ。


「…不可能ではない、と結論しましたが?」

「そんな結論棄てちまえ!!」

「最大の問題点は! 何でもうみんな冬休みだっちゅうのに! 何でやろーと二人並んで学校に行かねばならんのか、と言う点にあるっ!」

「期末テストの点数に関係がありますね。私の推測する所では」

「冷静すぎるよぅ!!あんたっ!!」


天才は何考えてんのやら。

このバカ天才は何が面白くなかったのか、書き込めばいくらでも点取れる頭の持ち主のくせに!全テスト白紙で出しやがったのだ。

本気でやって、極めつけの本気モードで! 全科目補習の人間の立場はっっっっ?


xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx


秋元氏(うじ)

「…」

誰ですかそれは。

私の事ですか? 

戸籍名称、秋元有馬こと、この私、十七歳二ヶ月と十五日の事ですか?

「何よ、その“うじ”ってーのは」

「ウチはサムライの家系でござる」

嘘くせぇぇぇ!!

ござるってーのが強烈に嘘くせぇぇぇぇ!!!!

「コンビニにて、ちと所要ある身。いささかお待ち願いたいと所望すればそれは可成りや、と問うのは不遜でござるか?」

「え………あ~…」

何を言っているのか、瞬間的に判断出来ない。

なんなんだよ。その言い回し。 癖か?! 癖なのか?!

「五秒以内に返答がなかったので…了承されたものと認識いたします」

そんな強引な…。


「では、しばしお待ちを」


薄ら笑いを残して、武者小路のバカ天才はコンビニの中に消えていった。


「ふぃぃ……」

一人路上に取り残された俺は、太い溜息をついた。

疲れる…体の芯から疲れる………アイツとつきあうのは。



ウチの学校は、期末の成績上位二十位は黒で、下位二十位は赤で、でかでかと廊下に張り出す、と言うイヤミなシステムを採用している。

紅い文字で書かれた武者小路景光、と言うキザったらしい名前が張り出された時………学園は激震した。

緊急職員会議と臨時PTA会合が行われた。

障気の様に立ち上る黒い噂があまたの人心を覆い、生徒の間で囁かれる。

その名前はいつも黒々と上位の端っこに書かれているはずの名前だった。

上に1、と言う数字を乗せて。


武者小路バカ天才大先生は今回、赤の二十番をゲットしていた。

全科目白紙だ。その位置以外に置きようがない。



ふと気付くと、このひょろりと背の高いめがねくん、がコンビニの袋を下げ、買い物を済ませたのかそばに立っている。

「それでは行きましょうか。我々二人とも補習という、為す事或る身ですゆえ」

いやいやと首を振る俺を憐れみを八十パーセント含んだ目で見下ろすと、このバカ天才、武者小路の野郎は、俺の肩をグイと掴み、歩き出した。

そんなご無体なぁぁぁぁ…。あーれぇぇぇ………。

時代劇の帯くるくるの女の人の気持ちがよくわかる。今なら。


「妙な奇声を発する時間を惜しみ、教室内で学問に励む、という建設的な活動に快く賛同して貰えると有り難いのですが」

「何故だ? 何故、いつもあんたが迎えに来る?!」

「昨日までは友人として。今日からは教師役として、秋元氏に勉学を叩き込む事になったのです」

「はぁ?」

「教師とはいえ公務員。貴重な休暇をこの様な些細な用件で削減される事は、給付される毎月の金額から比較検討して割に合わぬとの判断から、私に代役の依頼が来たのです。はい」

「…」

「煩わしい詮索を拒む為にも、私にとっても利となる提案でしたので、快く承諾いたしました」

「……」

言葉を失った俺は、引きずられるままにふらふらと学校に向けて歩き出した。

それ以外に何が出来るというのか…。

ああ…。

目の前に映る…

総ての景色は、灰色だった…。



xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx




補習ですか?! 今日も補習ですか?!私は?

冬休み入って、毎日学校って! しかも!

親は海外旅行って!!

誰もいないのは有り難くもあるけど、三日も自炊すりゃ飽きらぁ。

自由も…所詮すぐ飽きるものなのだな。うん。

俺は人生の真理を悟ったよ。


「目をつぶり、ぶつぶつと誰ともなく呟く気味の悪い行動は、精神の健全を疑うに十分な論拠となります」

「疑えよ。いくらでも」

「生物。百七十二ページ」


有無を言わさずかい。


誰もいない教室に二人っきり。

窓の外はちらちらと降り出した雪が校庭に白い花を所々に咲かせている。

世界中の音が吸い込まれてしまった様な、静謐な景色…。

クリスマスまで後一週間…何となく、独り身が寂しいこんな季節……。

お互いの声だけが響く、がらんとした部屋の中で…熱く見つめ合う………

って!

男とだよ!!

しかも、こんな気味の悪いバカ丁寧なしゃべりの男とだよ!!!

ばかやろうぅぅぅぅ!!

人生のバカ野郎ぅぅぅぅっっっ!

むやみやたらに意味のない本を読みまくり、ネットオークションの隅々まで買う気もない品物を見て回る…そんな熱烈な逃避行動さえしなければ…あああ。

…カニ安かったよな…カニ。あれ、ホントに一円で買えるのかなあ…。


「妄想癖は性犯罪との密着性が高い、と最新のプロファイリングデータでは結論されています」

「うるせぇよっ! カニだよカニ!!」

「論理の飛躍が甚だしいのは性犯罪者の…」

「どうしても俺を性犯罪者にしたいのか?! あんたは!!」


くくっ…

俺は机に俯せた。

ここは地獄に違いない、とズキズキと痛む頭で考えながら。



xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx



「…はぁ……はぁ……はぁ…」


廊下には誰もいない。

俺は一人、無人の校舎を駆けていた。



「…はぁ……はぁ……はぁ…」


…ヤツが思いつきそうもない場所は…どこだ…?


「…はぁ……はぁ……はぁ…」


…離れろ…とにかく……

…教室から……一番遠いとこへ……。



「……はぁ…………ふぃぃぃ…」

俺は足を止めて、太い息を一つ…吐いた。

ここまで逃げ切れば…大丈夫なはずだ。

ふぅぅぅぅぅ。

バカ武者小路めが。隙を見せおって。ひひひ。

だぁれが、んな長時間、野郎と二人っきりで教室で見つめ合ってられるかってんだ。

精神に変調をきたしてしまう。


さて…帰るかな。無事脱出は…可能か?

俺は足を速め、窓から校門をのぞける所まで移動した。



よっしゃ。ここからなら、校門がのぞける。

さて…。

壁際にへばりつき、そっと片眼だけをのぞかせた…。

バカ野郎…。いやがる。

このクソ寒いのに校門で張ってやがるバカ天才め…。

帰れよ。いいから。 執念深いにもほどがある。



さて、どうするかなぁ。

手っ取り早いのは図書館でも行って暇つぶし。もしくは裏門を当たって…。

でもなぁ、鍵がかかってたらそれまでだし。

適当に通りがかった教室の扉を開けてみる。

がちっ、と音がして、やはり、開かない。

思った通り…使わないとこは鍵がかかってるか…。ウチの教室だけなのか? 開けてあるのは? 

外は寒いが、中だって暖房が効いていなければ寒い事には変わりない。

もう、真冬と言ってもいい時期だ。

汗が冷えてきて、身体が冷たくなってきていた。

手っ取り早く暖が取れる場所…しかし、野郎がそれを予測して張っている事も…う~む。

ぶつぶつと呟きながら歩いていくと、突き当たりまで来てしまった。う~む。

ん?

ひらめいた…か?

天体観測部だ…部室は確か…屋上にあるはず…。

この冬休み、夜の観測があるって言ってたから…そうだ、そんなサムい事するんだから、絶対暖房があるはずだ。

この寒さの中、屋上に行くとは…バカ天才とはいえ思いつかねぇだろう。

……試してみるか。うん。あったらみっけもん。

俺は端の階段をすたすたと歩き始めた。

その先に、確か非常階段の扉が…あったはずだ。


xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx



開くかな?

鍵が閉まってる可能性も…低くはない。

俺はドアノブに手を伸ばした。

思わずひゃっとするほど冷たい金属の感触は呆気なく、ゆっくりと回った。

ふぅ。

安堵の息を吐き、その重々しい扉を開ける。

開けた。


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開けたはずだった。


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…………………………。

あれ…?

開いたはず…掌のその感触が…。

もう一度試す。ドアノブはやはり簡単に回った。

つかれてんなぁ…俺。



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あれ…?

なんで…?

一歩踏み込む。その足下は草。

土の感触が伝わってくる。

それは間違えようもなく、コンクリートではない。

ここは…?

暖かい風が頬をなぜる様に吹き抜けていく。

幻覚ではない事を確かめる様に、足下の草を踏みつけた。

草だ。この十二月に。

青々とした草は、軽くふまれてもゆっくりと立ち上がってくる。


二三歩入り込んだ時、背後で聞き覚えのある音がした。

ばたん。

慌てて振り返った。聞き間違えようもない、ドアの閉まる…音だ。



そこには何もなかった。何もない。あるはずのドアも。帰る道も。手段も。

ただ、茫洋と草原が続いている。

「おい…?!」

悔やんでも遅い事は明白な事実だった。

ノブから手を離すんじゃ…なかった、と。

「…どうやって…でりゃいいんだよ………」

その問いに答えてくれるものも誰もいない。

ただ、風だけが草をざわめかせ、通り過ぎていった。


歩いていくより他、しょうがないだろう。

どこに行き着くかは全く見当も付かなくても。進んでいけば、何かが見えてくる。

そう自分に言い聞かせると俺は草を踏み、進んでいく。




そこは夏だった。

風は爽やかに吹き抜け、一面の緑の野原に草をなびかせ、その軌跡を永く永く引き、どこかへ過ぎていく。

巨大な城の様に堂々とした真白い雲が、黒い影を引きずりながら、ゆっくりと移動していく。

その平らになった雲の底は何かが隠れているかの様にうねりを見せている。

いくら遠くに目を向けても、その空に果てはなかった。

何処から来て、何処へ去るのかも知れない雲と風だけが、目の届く彼方まで続いている。

雲の影が去ると、一面の草原に露がきらきらと輝いて、水面の様な揺らめきを見せた。

何もかも綺麗なもので満ちていた。

風景が生命力で満ち溢れている。そんな思いを抱かせる。

ここは心地よい場所だった。

安らぐための場所。ただそれだけの為に神が作りたもうた場所…そんな感じがした。


誰だ…?

女の子の声だ…。


xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx


風が渡り来る方向に、一つの樹が立っていた。

何もない原っぱに唯一の目印。

声はそこから流れてくる。ゆったりと風に乗って。

俺はその方向に歩いていった。




草の匂いが風に乗り、流れゆく。

彼女のサマードレスの裾を優しく揺らして。

彼女は歌っていた。


誰なんだ…どうしてこんな所に…ここはどこ…どうやって帰る……。

ありとあらゆる疑問が一斉に俺の中に湧き上がり、頭の中でざわめく。

頭の中で何十人もの俺が一斉にしゃべり立てている様な、煩わしい疑問が渦を巻いている。

が。

口から出たのは一言だけだった。


「…なんで…?…歌ってるの…?」


その声が耳に届いたのか、彼女ははっと俺の存在に気付き、息を呑んだ。

まんまるの瞳を向けてくるその顔。

何故か直視しちゃいけない様な気が不意にして、目をそらしてしまった。

驚かせちゃいけない、と思ったが…驚かせてしまった。その事が恥ずかしかった。

突然、彼女は座り込み、頭を抱え、目を固く閉じて叫んだ。


「ごめんなさいっ!……お父さん……すいません……すいません……」

とっさに反応出来ない。え……?

「え…? あの、ちょっと……」

「ごめんなさい……もうですか……ここも…終わりなんですか…」

「なんのことかわからねぇって……おとうさん…?」

傍目にもわかるほど、ぶるぶると震えている。目を固くつぶり、かたくなにこちらの方を見ようとはしない。

何故、そんなに怯えるかなぁ。

そりゃ、乱入したのは俺だけどさぁ。

俺は、つい、そのあまりといえばあんまりの反応に……少し腹を立てていた。

「何にもしないから。とにかく、帰り道……」


ようやっと、彼女が顔を覆う手を外し、俺を見た。

それもそぉっと……おそるおそる、という感じで。

「……お父さん…じゃない…の…」

「誰がお父さんだよ」

誰に見えているんだ。俺は。

しかし…離れてみていても彼女の肩は怯えきり、震えているのがわかる。

「誰…なんですか……人ですか?……」

それ以外の何に見えるのか、是非とも知りたかったが、そうは言わない。

どうせ怯えるのが目に見えている。

「え~と……迷子です。おうちに帰りたいのですがぁ、どっちに行ったらいいでしょう?」

「…知りません。ここはここですから………」


俯き、それで精一杯、とでも言う様な細い声で彼女は呟いた。



彼女はゆっくりと立ち上がった。スカートの裾に、枯れ草がまとわりつくのを軽やかにはたく。それでもまだ、目線を合わそうとはしない。


弱ったな。というか…何かちっと情けなくなってきた。

「そんなに、俺、怖そうな人に見えるんだ……ふぅ」

「…よく見ると……普通に見えますけど…誰も入れないはずなんです。ここは」

「私の世界…私の牢獄ですから」

そう呟き俯いた彼女の顔に影が差す。


「…よくわかりませんが……ここには他に誰か?」

「誰も。この樹だけです。後は空と草原」

「誰も来ないはずなのに……」

「俺も来るとは思ってなくて来ちまったんだけど…一人だけ?」

「…一人だけです」


視線を遠くに投げる。

見たこともないような広々とした草原。

大きく広がる空。美しく快いもので満たされた空間。


彼女はそこに一人でいる。


「え…おー………なんつうか……どうやって帰るのか、それだけ知りたいんだけどなぁ」


これ以上は邪魔だ。俺はこの世界の邪魔者だ。そういう気がしていた。

この世界は綺麗なもので出来上がっている。綺麗なものだけで。

その事が、どこかでちくちくと胸に痛い。

俺もそんな綺麗な世界を思い描いた事がなくもない。

目一杯自分に都合がいい理想の世界、というやつを恥ずかしながら、空想してみた事がある。

いつも晴れている空。爽やかに吹き抜ける風。そして、美しく優しい恋人。

自分を棚に上げ、目一杯お綺麗に仕立てて…ふと、気付いた。

その世界に自分を置くと、自分一人だけやけに薄汚れている。

その事にえらく失望した。

理想の世界には住めない。

身勝手で一方的な理想でこねくり上げたその世界の中で…俺一人だけが…理想的ではなかった。

その世界の中で一番劣っているものが自分自身だ、と言う事に耐えられそうもない。

現実の世界は理想的ではない。だから、安心して住めるのかも知れない、なんて思ったりした。

ここは、その時の理想の世界を思い浮かべさせる。

異質なのは俺一人だ。彼女は…綺麗だった。この世界は…綺麗だった。

でも、俺は…そうではない。

そうではない事を強く意識させられている。今。

優しく吹き抜ける風の中で、俺はものすごく居心地が悪かった。



囁く声が聞こえる。

それは、流れる風と並んで駆けていく千切れた草の様に、軽やかに舞い降りてきた。


「来た扉は……? どうなりました?」

「閉まると同時に消えた。どういう事なの……」


「呼んだのかも……」

「誰が?」

「私がそうしてしまったのかも……でも…こんな形で…」

びくびくとしている事には変わりない。

目線すら合わせようとはしなかった。


「ここは赦される世界だから…」

「え…?」

「ここでしか…歌えないんです…」


「わからない。何も、何一つわからない。納得のいく説明をくれ!」

「“影”です。日増しに大きくなってきて……私を呑みこもうとしていて…」

「ここはどこなんだ?!」

「呑みこまれたら……この世界は消えるんです」

「そして私も…」

両腕を掴み、自らを抱き締める様にぶるぶると震えている。

この初夏を思わせる世界の中で、彼女一人が寒さに震えている。

話が通じない。結局の所、つかめたのは。

ここは美しく不可解な場所である事だけ。


「影って、どんなの?」

「黒くて……」

そりゃ影は黒いだろうさ。

「ああいうのか?」

俺は彼女の背後、数メートル先を這い回る黒いもやの様なものを指さした。

「やぁっっ!」

彼女が慌てて、俺の後ろに隠れる。

「あれですっ!」

「あれが怖いの?」

左肩の後ろにすがりついた彼女がコクコクとうなずく。その瞳は怯えきっていた。

演技とか遊びとかではなく、真剣そのもので。

「そう、動きが速いものでもないけどな」

実際それは、のろりのろりと蠢き、まるで何かを探してでもいる様に言ったり来たりを繰り返していた。

「どうーいうーもんだ、よっ!」

もやの様なものを蹴り飛ばす。感触は藻の様な感じがした。

その地面を這う黒いもやは、簡単に蹴り飛ばす事が出来た。

ひょー、と飛んでいって、風に流され、かなり離れた所に落ちた。

「大したこと無いじゃん」

「すごい……触っても大丈夫なの…?」

「とりあえず」

その彼女の顔が驚きで瞳をまんまるにしてるのを見て、俺は少し調子に乗った。

「大したことないって。大丈夫」

その言葉に彼女が気弱に微笑んだ。

「私には……無理……かも…」

「そんなこたぁないよ。こんなのっ」

もたりもたりと近寄ってくるその“影”を蹴り飛ばす。

ひょー、と飛んでいって、また、ぽさり、と草原に落ちる。

「そーれっ!」

俺は調子に乗っていた。調子に乗っている、と言う事にも気付かないくらい。

その黒いもやを思い切り、踏みつける。

と、底がなかった。

「ん?……んんぅぅぅ???」

ずっぽりと身体が傾斜していく様に、影の中に呑みこまれていく!




「きゃぁぁ!」

彼女の悲鳴が細く細くなっていく。

俺は暗闇の中を落ち続けていた。

一切が掻き消えた。

どこにいるのか…俺は。どちらが上で、どちらが下なのかすら一瞬、判らない。

右を見ても左を見てもそこは漆黒。いきなり目が使えなくなってしまった様だ。


突然!背後から声が響いてきた!

それは何度も聞いた事のある…………イヤな声だった。


「なかなかいい着眼点です。正直に告白しましょう。予想外でした」


はっっっっ!!!!!!


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気が付くとドアノブを握りしめて硬直している俺。

その背後から響くこの声は…………む…武者小路バカ先生……。


振り返るとそこに悪夢が! 現実の苦い象徴が! 零下一千度の瞳で!! 俺を見下す武者小路がいた。

「可成り、貴重な時間を浪費してしまいました」

「義務に対する神聖なる忠誠心、と言う観点から秋元氏とは、いささか議論の余地があるのではないかと」

め、め、め、目がマジっす。武者小路ちゃんってば。

無言のまま、ふっ、と動き出した武者小路が影の様に背後に回る!

 

ぴぃんちぃ!

しなやかで強靱なバカ天才の細い腕が、素早く!俺の顔にするり、と巻き付いていく!

同時に、ねじり上げられた片腕ががっちりと固められた!!

「むごぉぉぉぉ!!!!」


ち、チキンウィングフェイスロック!

な、なつかしいぃぃぃ。

「いささか気分を害しておりますので、ご無礼をば」

そのまま、ずるずると引きずられていく俺!

野郎…どこにこんな力がっ!! 第一! これ議論じゃないしっ!!

「むぐぅぅぅっっっっ!!」

いやもおうも、口きけない状態の俺が連行されていった先は…。

逃げ出したはずのあの地獄…。

男と男が熱く見つめ合うあの空間だった…。


いゃっすぅぅぅぅ。あそこだけはぁぁぁぁぁ。



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何だ、この腰縄は。

連行される容疑者か。ジャンバーで隠せよ。

それがせめてもの思いやり…いや、そうじゃない。考える事違うぞ、俺。

その端が机に結んであるって…

「俺は犬か」

「行動不能にすると排泄行為に支障が出ますから」

「がらがらと引きずっての移動行為が可能です」

「その音で居場所が確認出来ますから、ご心配なく」


してねぇよ。つうか、ほどけこの。


「日没時に未だ下校出来ず、となればさぞ寒気に苛まれる事でしょうねぇ…」

「…勉強したいなぁぁぁ。ボク。さぁ! がんばろっと!」

「…時間の浪費なのは自明の理なのですがねぇ…ふぅ」

「じゃ、帰ろうぜぇ。俺達二人なんだし。なぁ……口裏合わしゃバレっこねぇってぇ…ひひひ」

「義務に対する忠誠心が赦しません。私自身を」

「けっ」

「完璧と徹底を愛しておりますゆえ、心に憂いを残したくはありません」

「臆病モン」


あれ…?

何だよ…黙るなよ。


「数学。二百四十三ページ。例題一から」


…やはり、有無を言わさずか…。

俺はその例題を解く振りをしながら、さっきの扉の事を考えていた。

あの草原は…いったい何だったんだ…。

あの女の子は…?

何で……何が……どうして…どうやって………。

一つとして、答えの出る物はなかった。

ただ、いつまでも頭の中に…あの草原を走る風が草々を揺らし、見えない風の姿を写す…その光景だけが何度も何度もリフレインしていた。

あの女の子はまだ、影に怯え、逃げまどっているのだろうか?


沈黙が教室に満ちる。

武者小路も沈黙のままだ。


窓の外から舞い落ちる小雪と、あの青い生き生きとした草原の薫りがふと重なった。







次で分岐します。

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