34、聖女候補と王太子の出会いは必然的に
その後、王太子ヴェルスがイグナルスに声をかけてくることはしばらくなかった。その代わり、視線は時折向けられていた。
それでも、イグナルスは平和な生活を送っていた。少しずつ話せる相手も増えていったが、それでも元からの友人達と話しているのが1番楽しい。
そうは言っても、男子と女子が長いこと一緒にいるのは外聞が良くない。その結果、イグナルスはアデルバートといる時間が長い。
「最近、静かだけれど、相変わらず熱視線だね」
「アデル」
アデルバートに小声で話しかけられ、イグナルスは彼の名を呼んだ。アデルバートが少し笑いながら、イグナルスの近くの椅子に座る。
「結局、何考えているか良く分からないよね」
「うん。僕のこと、嫌いなのかな?」
「嫌いなら、わざわざ見ないんじゃない?」
「確かに」
王太子のことは気になるが、話しかけてこないから、とにかく放置しても良さそうだ。そもそも、そんなことをしている暇はなく、学校は忙しい。イグナルスは次の授業の範囲の教科書を流し読みをしながら、ときおりアデルバートと話をしていた。
そのとき、近くを通り過ぎようとしたラウローリエが、イグナルスにだけ聞こえる声量で囁いた。
「イグナルス。今日の放課後、時間をちょうだい」
「……? うん」
頷いたイグナルスを見て、笑みを浮かべたラウローリエはそのままマグダレーネやクラスの女の子達へと合流していった。
ラウローリエとは休日にも会っているから、急ぎでなければその時に話せば良いはずだ。なんの用事があるのだろう、とイグナルスは首を傾げた。
◆
放課後の教室は、一応開放されているが、すぐに帰る人が多い。その中で、ラウローリエから声をかけられていたため、イグナルスは椅子に座って待機をしていた。
「ごめんね、イグナルス。時間は大丈夫?」
誰もいなくなった時間に、ラウローリエから声をかけられ、イグナルスはすぐに振り返った。
「うん。それで、どうしたの?」
ラウローリエは一度視線を落としたあとに、真っ直ぐにイグナルスの方を見た。その目には、僅かに怯えがあるものの、確かな覚悟が宿っていた。
「漫画の中の世界と同じような出来事が、本当に起こっているのか確認したくて。私の記憶が間違っているのか、あるいは私がこの世界に来たことで変えてしまったかは分からないけれど。付き合ってくれない?」
「うん」
ラウローリエは迷っているようだが、イグナルスはラウローリエの望むとおりに動くだけだ。すぐに頷いたイグナルスに、ラウローリエは頬を緩めた。
「ありがとう」
◆
イグナルスは、ラウローリエと共に学校の中庭にやってきた。そこが王太子と聖女の出会いの場らしい。
ここでは、噴水や散歩道があって充実している。学校にこんな場を作ることに意味があるかは知らないが、誰の趣味なのだろうか。
イグナルスが周囲を見渡しながらそんなことを考えていると、ラウローリエに服の裾を引かれた。彼女が木の裏に隠れようとしているため、イグナルスも大人しくそれに従った。
ラウローリエがイグナルスの耳元に口を寄せる。
「王太子と聖女が会う場面がそろそろのはずよ」
「……」
「イグナルス?」
「ううん。なんでもない」
ラウローリエからふわりと甘い香りがして、イグナルスは身動きがとれなくなった。頬の体温が勝手に上昇するが、それを悟られないように、必死で心を落ち着けた。4年前からラウローリエと関わりがあるはずなのに、時折こういうことがあった。彼女に心臓を掴まれたような心地がして、動けなくなることが。
「あ、来たわ」
ラウローリエの小さな声で、一気に現実へと思考が戻された。とにかく、今は王太子と聖女の出会いを見ることに意識を向けなくては。
聖女、いや、まだ聖女候補とされている彼女は、「フローラ」という名らしい。太陽の光によりきらきらと輝く銀の髪に、甘いものを煮詰めたような桃色の瞳。可憐といった印象を受ける少女だった。
大人びているラウローリエとは違い、どこか無邪気さを持つ彼女は、王太子と何かを話しているようだった。残念ながらここまで声は聞こえない。
イグナルスがぼーっと見つめていると、横から服を引っ張られた。驚いてそちらを見ると、ラウローリエが複雑そうな表情を浮かべていた。
「どうしたの?」
「見惚れているの?」
「いや……、そうじゃなくって。何の話をしているんだろうって思って」
イグナルスがそう伝えると、納得をしたのか頷いたラウローリエが教えてくれた。
「ああ。道に迷った聖女が、王太子と知らずに話しかけるのよ」
「……なんで王太子殿下に? そもそも、なんで殿下は1人でここに?」
「護衛を振り切って逃げてきたのよ」
いろいろと問題がある気がする。まず、聖女候補ともあろう人間が王族の顔を覚えていないのはどうなのだろうか。
そして、王太子も。この前イグナルスと話した室内とは違い、ここは外だ。そんな外を1人で歩くとは問題ないのか。狙撃されるかもしれないし、来たのが聖女ではなく暗殺者だったら不味いだろうに。
「……やっぱり、2人は出会うのね」
ぽつりと呟いたラウローリエに、イグナルスは目を向けた。彼女の表情は暗い表情だった。
「出会わない方が良かった?」
イグナルスが思わず尋ねると、数秒間黙ったラウローリエがゆっくりと首を振った。
「……どうかしら。分からないわ」




