八咫烏 4
暗い暗い夜の山の中。元の中年男性の姿に戻った恵介、美奈子、山祇、カティアの4人は、車の通れない木深い山道を進んでいく。周りは月の光も届かない闇がどこまでも続いているよう。
4人が歩く音だけが聞こえてくる静寂の世界。周囲から動物の鳴き声も聞こえてこなければ、照らしているライトに向かって飛んでくる虫もいない。風すら吹かずに、木々が揺れて葉が擦れる音さえないのは不気味だった。
30分ほど歩いていくと、半分崩れた鳥居が見えてきた。朽ち果ててからどれくらいの年月が経っているのだろうか。色は完全に変色して、辛うじて鳥居であったことが判別できるくらいにしか形が残っていない。
「着いたわよ」
ここで美奈子が静かに口を開いた。
「着いたって? ここか?」
恵介が周りを見渡すが、朽ち果てた鳥居以外に何かあるわけでもない。鳥居の先は暗くて見通せないが、道も途絶えているようだった。
「ここですよぉ。それじゃあ、行きましょうか」
どこか楽し気な声でカティアが言うと、恵介の背中を押してどんどん進んでいった。
「えっ!? ここ? 何もない――」
カティアの手に背中を押されて、恵介が鳥居だった場所を通っていくと――
一瞬で景色が変わった。先ほどまで何もなかった筈の場所に大きな神社の境内があった。その奥には立派な本殿も見える。派手さはない質素な神社ではあるが、その大きさと荘厳さから、そこにいるだけで身が引き締まる思いだった。
「な……ッ!? えッ!?」
恵介は驚きながら振り返る。美奈子と山祇も入ってきたところだ。先ほど通ってきた道も見えている。確かに、あの朽ち果てた鳥居の先の場所で間違いはない。
「驚いてますね。でも、恵介君は魔障の異界化に巻き込まれてるんだから、これくらいのことで驚いてちゃダメですよ」
「ここは神聖な場所です! 魔障による異界化と一緒にしないでください!」
美奈子が厳しい目つきで反論した。
「原理は似たようなものよ」
反省した様子はなく、カティアは美奈子の反応を面白そうに見ている。
そんな時だった、突然、大きな風が巻き起こった。目を開けていることも難しいほどの強風が、神社の境内に吹き荒れる。まるで怒っているかのような暴風だ。
「何故、その女がいるのです?」
暴風が止むと正面奥から、人間の肉声とは明らかに違う声がした。現れたのは三本足の巨大なカラス。艶のある漆黒の羽に真っ黒な瞳。一軒家ほどの大きさのある、巨大なカラスだった。
声の感じからするに、歓迎しているようには思えない。
「あらぁ、私がいたら駄目だったかしら?」
巨大なカラスを前にしても、カティアは変わらず、どこか人を小馬鹿にしたような態度だ。
「ここは神聖な場所です! あなたのような存在が入っていい場所ではありません!」
巨大なカラスは毅然とした態度で言い返す。
「ええー、そんなこと言わないでよー。私だって試練に興味があるんですもの。ちょっとくらいいいでしょ?」
「あなたの事情は知りません! 出ていかないのであれば強制的に排除しますよ?」
「いいの? そんな、できもしないこと言っちゃって? 私、動物が好きだから、あまり虐めたくはないのよね」
カティアは不敵に笑って答える。自分よりも遥かに大きな相手に対しても、まるで怯む様子がない。
「その驕った性格、叩き直してあげましょうか!」
「ま、待ってくださいッ! 八咫烏様! カティアさんを連れてきたのは、すみません。どうしても、試練の結果を見てもらう必要があったのです! どうか、鎮めてください」
そこに美奈子が慌てて入ってきた。こうなることは予想済みだったが、事前に連絡をする方法もないため、今、ここで対処するしかなかった。
「あなたは、確か天津の」
「はい、天津 美奈子と申します。この度は八咫烏様の試練を受けるためにやってまいりました」
「あなたも天津の人間なら、分かっているのでしょう? この女を入れることの意味くらいは?」
「はい……。理解しております……。ですが、ご無礼を承知で、カティア アカーシャが立ち入ることをお許しいただきたいのです」
美奈子にしては珍しく、焦りの様子が見られる。予想していたこととはいえ、ここまで荒れるとは思っていなかった。
「……難しいことを言いますね」
「はい……。重々承知しております……」
八咫烏は美奈子とカティアを交互に見やる。カティアは微笑んでいる。それがまた苛立ってくる。美奈子の方は真剣な眼差しだが、不安と焦りが見える。そして、八咫烏は暫し逡巡した後、仕方がないという風にため息をついた。
「……一つ貸しにしておきますが、よろしいですか?」
「あ、ありがとうございます。尊大なお心に感謝いたします」
美奈子はそう言って深々と頭を下げた。後ろにいる山祇も一緒に頭を下げ、恵介もそれに倣って頭を下げる。
意外と簡単に八咫烏は了承してくれたが、それには理由があった。天津家との関係だ。神話の時代において、八咫烏は天照大神の使いとされている。なので、天照大神の力を借り受ける権限、即ちアマテラス因子を持つ血筋である美奈子の頼みとなれば、ある程度の無茶は聞いてくれる。これは、防衛相特殊自然災害対策室の思惑通りでもあった。
「ふふっ、そういうことだから、よろしくね。カラスちゃん」
カティアは茶化すように言う。その言葉に、美奈子が思いっきり睨みつけた。
「この愚か者は、天津の人間の努力を無にしたいのですか? 知性が欠片でもあるなら、これ以上は黙っておきなさい!」
さすがにこれ以上は不味いだろうと思ったのか、カティアは大人しく下がっていった。
「数々のご無礼、申し訳ありません」
再び美奈子が頭を下げる。これだから本当はカティアを連れて来たくはなかったのだが、恵介が試練を受けるところを見てもらい、何か特別なものがあるのかを見極めてもらう目的があるので、仕方なかった。
「ふんッ。今回は天津の名に免じて不問とします。それで、試練を受けるのは、あなたでいいのですか? 天津の子よ」
八咫烏も渋々といった様子である。
「いえ、試練を受けるのは私ではありません。ここにいる、柳 恵介という人間です」
美奈子はそう言うと、恵介の方に手を向けた。
「あ、あ、あ、あの……。こ、この度は……、お、お、お時間をいただき、誠に、ま、まことに、ありがとうございます」
想像していたよりも数倍の大きさを持つ八咫烏に、恵介は完全に臆していた。さっきのやり取りもあるため、相手は相当機嫌が悪い状態だ。その状態で試練を受けないといけないという不安に押しつぶされそうになっていた。
「この人間ですか? 確かに、天津に関係のある者のようですが……。私の試練を受けるに相応しいとも思えませんが?」
八咫烏がもっともな意見を言う。魂性変異術式を使っていなければ、アマテラス因子も活性かしていない状態だ。そうなると、恵介はただの中年のおっさんでしかない。
「柳 恵介は私の元夫になります。アマテラス因子も宿しております。今後、娘の恵美を守るためにも、八咫烏様の試練を受けたい所存でございます」
ビビり散らかしている恵介に代わって美奈子が答える。今の恵介の様子を見て、やはり無理なことだと美奈子は確信していた。それでも、一応、仕事なので試練は受けさせないといけない。
「なるほど、娘を守るためですか。いいでしょう。試練を受けるに相応しい目的ではあります。ただし、命の保証はしませんが、よろしいですか?」
「はい。覚悟の上です!」
「ま、待てッ!」
この発言には恵介も慌てて声を上げた。事前に聞いていた話と違う。
「どうしたのよ?」
美奈子が不思議そうな顔で聞いてきた。
「命の保証はないとか、そんなこと聞いてないぞ! 最低限命は保証してくれるんじゃなかったのか!?」
山祇の話では、命の危険はほぼないということだった。相手がただの中年男性だと分かれば、八咫烏は呆れて手を引いてくれるという話だったはずだ。
「八咫烏の試練がそんな甘いわけないでしょう! あなたも男なら覚悟を決めて!」
「今は、そんな時代じゃないだろう! いや、そんな時代でも覚悟は決められないわ!」
恵介は大声で喚きながら、山祇の方へと目を向けた。山祇は苦笑いをしながら、“すみません”といジェスチャーをしている。殴ってやろうかと思った。
「恵美を守るためよ! あなたも父親ならそれくらいの覚悟は決めて!」
「……っく!? いや、しかしだな……。恵美を守る前に死んだら意味ないだろう……?」
歯噛みしながらも恵介は巨大な体躯の八咫烏を見やる。
「話はついたようですね。では、他の者は下がっていてもらいます」
何をどう判断したのか、話が終わったということで、八咫烏は試練を始める様子だ。
その言葉を聞いて、美奈子やカティア、山祇は境内の端まで下がっていった。
「ちょッ!? まだ、まだ話は終わってない! こんなのどう考えても無理だろッ! な、なあ? 八咫烏さんもそう思うでしょうッ!」
恵介は必死になって懇願する。見たままの中年男性が、まとに戦えるわけがないことくらい想像がつくはずだ。
「分かりました。では、只今よりあなたの力を試させていただきます」
「分かってないッ! こいつ何も分かってないッ!」
恵介の叫び声が境内に響き渡る。
「では、参ります!」
八咫烏はそう宣言すると、大きく羽ばたいて宙へと浮き上がる。それだけで、竜巻のようば暴風が吹き荒れ、恵介を直撃する。
恵介は腕でガードを固めるも、ほとんど意味はなく、なす術もなく飛ばされ、転がっていく。
「ゲッホ、ゲッホ……ゲホッ……」
何とか起き上がるが、力の差は歴然だった。圧倒的とかそういうレベルではない。種としての絶望的な力の差がある。
「どうしました? まだ始まったばかりですよ?」
八咫烏はさらに羽ばたいて暴風をまき散らした。
「うッ……ぐぐぐッ……」
恵介は立っていることすら難しい状態。地べたに這いつくばるようにして、この強烈な風を耐え忍ぶしかない。
少しだけ風が収まり、ふと顔を上げると、八咫烏が空から鋭い爪で強襲を仕掛けるところだった。
「うっ、うわあああああああッ!」
転がるようにして必死に体を動かし、何とかこの攻撃を回避。すでに体のあちこちから痛みが出ているが、そんなことを考えている暇もなく、立ち上がって逃げることだけに専念する。
「逃げているだけでは試練は終わりませんよ? 死にたくなければ、本気で戦ってください!」
八咫烏は、冷たい目線でそう言い放った。




