第9話:記憶の封印が解けるとき、彼女は神になる
──辺境の村・焼け跡の広場──
剣がぶつかり合う音が、夜の静寂を切り裂く。
「遅いぞ、カイン=アレスト。まるで、昔の落ちこぼれに戻った気分だ」
そう言って剣を払ってきたのは、アルヴィス。
魔法と剣を両立させた王国最強の騎士──その手に握られた黒銀の刃が、僕の頬をかすめる。
「そうかい。なら、こっちは“落ちこぼれ”らしく、勝ち筋にしか賭けない」
僕は剣を引き、距離を取った。
この戦いは正面から挑んでも勝てない。
奴は僕より速く、魔力も多く、冷静で、何より“聖女の力”を熟知している。
でも、奴が知らないことが一つある。
「君は、エリスを“力”としてしか見ていない。
けど、俺は……彼女を、“人”として見てる」
「その甘さが敗因だ。力に心など不要。必要なのは制御だ」
アルヴィスが詠唱を始めた。
《雷撃陣・螺旋式》──広域焼却魔法。
この村ごと吹き飛ばす威力がある。
(――まずい、避けきれない……!)
でもその瞬間だった。
空気が反転する。
魔力が巻き戻るような錯覚。
視界が揺らぎ、地面に敷かれた魔法陣が、逆再生のように“未発動”の状態に戻った。
「……まさか……!?」
振り返ると、そこに立っていた。
ボロボロの外套をまといながらも、まっすぐな瞳で、僕を見ていた。
「カイン……私、思い出したよ」
エリス=ルーナ。
その目に宿るのは、かつて僕が一度も見たことのない――神域の光だった。
「私は、時間を癒す聖女なんかじゃない。
私は、“因果の概念”そのものを改変する存在。世界の過去すら、書き換えることができる」
「……“神”……なのか、君は」
「違う。私は“人間”だった。カインがいてくれたから。
でも、もしこの力が、誰かを傷つけるだけなら──もう、これ以上は……」
彼女は手を掲げ、魔力を放つ。
《時間術式・絶対制限》。
それは、自らの“巻き戻し能力”に制限をかける魔法。
“他人の命を救う時にしか発動できない”よう、因果律を上書きする禁術。
「もう、私は“全て”は救えない。……でも、“一人”をちゃんと守れる私でいたい」
魔力が光に変わり、彼女の身体を包む。
そして、次の瞬間――エリスの背後に展開された《神域陣》が、アルヴィスの魔力制御を完全に停止させた。
「な……この術式、そんなバカな……!」
「カインを、傷つけさせない……!」
エリスの声が響き、アルヴィスの剣が、まるで時間が止まったかのように“寸前で止まる”。
彼女の力が、“攻撃そのものの因果”を否定したのだ。
アルヴィスは剣を落とし、膝をついた。
「……バケモノだ……君は……世界の敵になる……!」
でも、エリスは静かに首を振った。
「私は誰の敵でもない。カインの“味方”でいるって、決めたの」
戦いが終わったあと、教会の裏に二人で座った。
「……ねえ、カイン」
「ん?」
「ありがとう。名前だけは、ずっと覚えていたよ」
僕は思わず涙が出そうになった。
それはただの一言だった。
でもそれは、彼女が何度も何度も巻き戻し、忘れて、また願って――ようやく守った“記憶”だった。
「……次、どうする?」
「王都に行こう」
「え?」
「世界に言わなきゃ。
“聖女は神じゃない。普通の女の子で、恋をして、笑って、怒って、泣く”ってこと」
その時、彼女がほんの少しだけ、頬を赤らめた。
「……“恋をして”って……いま、私のこと?」
「さあ、どうだろう?」
「もう……意地悪」
そう笑った彼女の顔は、どんな神よりも美しかった。