第8話:記憶の限界と、“壊れた神”の兆し
──辺境・廃教会、夜──
「カイン、最近……変な夢を見るの」
エリスが、小さな声で打ち明けた。
「どんな夢?」
「白い場所にいるの。終わりのない空間。何度も何度も、同じ場所に戻って……繰り返してるの。
誰かが私の名前を呼んでるのに、私……その人の名前、どうしても思い出せないの」
胸が締めつけられた。
それは夢なんかじゃない。
時間を巻き戻すたびに消えていった現実の記憶が、無意識に彼女の心に残っていたのだ。
(やはり……記憶の限界が近づいている)
記憶の容量には“魂の耐久域”という限界がある。
それを超えて干渉すれば、人格そのものが崩壊する。
そして今――エリスの夢が“繰り返される”ということは、
彼女の記憶の一部がループを始めているということだ。
世界が壊れる前兆に似ている。
だがその朝、さらに最悪の報せが届く。
──近隣の村が、騎士団に制圧された。
──村人たちは拘束され、「聖女を出せ」と告げられている。
それはつまり――人質。
「カイン、行こう。私が、私の力で助けるから」
「だめだ。今、君が使ったら……!」
「放っておけないよ。私、“聖女”だから」
その言葉に、僕は目を伏せる。
彼女はまだ、“自分が誰だったか”を完全には思い出していない。
だから、記憶を削ってでも“救いたい”と言う。
(……だったら、僕が止める。君が“壊れる”前に)
「もう、手は打ってある」
僕は懐から、小型の魔術具を取り出す。
封印術式――エリスの“巻き戻し”の力を、物理的に封じる呪文刻印だ。
「……ごめん、エリス。今回は君に魔法を使わせない」
パシン、と彼女の手首にそれを貼ると、ふわりと光が走り、魔力が一時的に封じられる。
「えっ……? え、なんで……?」
困惑するエリスに、僕は言う。
「代わりに僕が行く。君の代わりに、人を助けてみせるよ。君の力なんて使わなくたって、僕にだってできるって証明する」
彼女は驚いた顔のまま、何も言えなかった。
──近隣の村・広場──
騎士団が村人を拘束し、中央には捕虜にされた子供たち。
その前に立つのは、あのアルヴィスだった。
「……ふむ。やはり来たか、“聖女の影”」
「子供を離せ。ここにエリスはいない」
「では、“彼女の意思”で来なかったというわけか。……残念だな。では代わりに、君の命を差し出してもらおうか」
その時だった。
村の奥で、爆発音が響いた。
「なっ……!」
それは、僕が仕掛けていた魔力式結界の解除音だった。
次の瞬間、空中から光が降る。
《術式・拡散幻影陣》。
対象の視覚情報を錯乱させ、戦場の視界を封じる結界魔法。
「今だ、村人を逃がせ!!」
僕の合図で隠れていた協力者たちが動き、子供たちを次々と保護していく。
アルヴィスが叫ぶ。
「追え! 聖女は必ず近くに──!」
でもその瞬間、彼は気づく。
魔力の流れに、“聖女の波長”が存在しないことに。
「……馬鹿な。力を、封じた……? 貴様、自分の女に使わせないためにそこまで……!」
僕は剣を抜く。
魔導学者が作った簡易魔力刀身。
「俺はもう、“あの子の代わり”じゃない。
これからは、“俺がこの世界を変える”番だ!」
その刃が、夜を裂く。
──その頃、廃教会──
エリスは、ひとりで空を見ていた。
腕に貼られた封印術式を、指でなぞる。
(……カイン。私……どうして、あなたにここまで守られてるんだろう)
(わからない。でも――)
(あなたの名前だけは、絶対に……消えてほしくないって思うの)
ふと、胸に熱い光が灯る。
その瞬間、術式が静かに反応し、再び彼女の中に“記憶の残滓”が流れ込んできた。
微笑む顔。
手を引くぬくもり。
自分を呼ぶ、優しい声。
「……カイン……!」
その名前を呼んだ瞬間、彼女の封印が一瞬だけ揺らぐ。
まるで、“心の想い”が、それすらも乗り越えようとしているかのように。
彼女は気づいていなかった。
それこそが――“壊れた神”の目覚めの第一歩であることを。




