最終話:時間を越えて、また君に
名前を呼ぶたびに、胸が熱くなる。
忘れてしまったはずの声、消えていたはずの記憶。
――それでも、私は確かに知っている。
あなたの名前を呼ぶとき、私は“私”に戻れるのだと。
──王都・記録棟地下 最深部
「リュミエル、君は本当に……“あの日の記録”に触れたいと思っているのか?」
カナエの問いに、私は静かにうなずいた。
あの夜、癒しの発動時に見た“少年の顔”。
彼の声、彼の涙、彼の名。
「カイン……彼を知ってる。忘れてたけど、思い出した。
それは、私の“記憶”じゃなくて……“残響”だったのかもしれないけど」
私は手を胸に当てる。
「それでも、あの声が、私を呼んでた。
なら、今度は私が、呼びに行く番だと思う」
カナエは深く息を吐くと、巨大な魔術式の扉を開いた。
「ならば――時を越えろ。
この“記録にない時間”に干渉する最後の鍵を、君自身で選べ」
──“記録の裂け目”へと、私は飛び込んだ。
──空が紅く染まっていた。
瓦礫の町並み。崩れた街路。
その中心で、ひとりの少年が倒れていた。
「……っ……カイン!」
私は走った。
彼の手を取る。温かい。まだ間に合う。
「癒し……巻き戻して……!」
その瞬間、世界が震えた。
時の流れが、私の意志に従って、逆流していく。
でも――それと引き換えに、私の中の記憶が崩れていくのがわかる。
それでもいい。
彼を――この人だけは、忘れても、助けたい。
「……カイン……」
彼の瞼が、静かに開いた。
「……君は……誰?」
私は微笑む。
「リュミエル。
でも……昔の私は、“エリス”って名前だったことがあるの」
彼は驚いたように目を見開き、それから――
「……嘘だ。君が、エリスの……?」
私は彼の手を握りしめる。
「思い出して。あなたが“私”を守ってくれた。
世界が何度壊れても、あなたは名前を呼び続けてくれた」
「……リュミ……エリス……」
彼の瞳に、あたたかな光が戻っていく。
「……ああ、忘れるわけない……! 君は、俺の――」
その言葉を聞いた瞬間。
私の記憶が、波のように押し寄せてくる。
笑った声。泣いた日々。
誰かを癒すたびに消えていった、大切な記憶たち。
でも今は、すべてが戻ってくる。
彼の声で、名前で、世界がもう一度“私”を思い出してくれた。
──そして、私はそっと、彼に言った。
「……あなたの名前、もう絶対に忘れない」
彼は微笑み、私の頬に手を伸ばす。
「俺も。今度はずっと、君の隣にいる」
夕陽の中、二人の影が重なる。
巻き戻しでも、記録でもない――
“本当の未来”が、ここから始まる。
第二部 完
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
この第2部では、「記憶と継承」「もう一人の聖女」「癒しの力の正体」など、
第1部から引き継がれた謎と感情に焦点を当てました。
“もう一人の聖女”であるリュミエルが、記録を越えて自分の存在を証明し、
かつて世界を救った“彼”と再び出会う物語は、
ある意味で「別れと再会」「奇跡と人間性」の対比そのものでした。
次章では――
聖女の力が生まれた本当の理由、
時間に干渉する“組織”の正体、
そして「世界そのものを巻き戻す存在」が浮かび上がるのを予定しています。
別れの先に、また再会を。
第3部でまたお会いできることを願って。