パンを買うこと
シリーズものになる予定です。
※一気にかけなかったため小出しにしているだけです。
冷たい風が吹いて落ち葉がカラカラと転がっていく。私はそれをぼんやりと眺める。
お昼なのにどんよりと灰色の空の下、公園のベンチに腰掛けて私は軍帽を脱いだ。持ってきたパンを一口食べたところで、あることを思い出して私は軍服の袖のボタンを握りしめる。おもわず独り言が漏れた。
「また、やっちゃったかも」
お金払い忘れてる。そう思って、気まずさを感じながらパン屋での出来事を思い返してみる。
お昼休憩に軍の資料館を出てすぐ、路面電車の線路を渡った先にお店がある。見慣れたガラス窓の付いた扉を押して中に入ると、いつも同じ”おばさん”が声をかけてくる。
「イリーチカ、今日もいらっしゃい」と、店の中の空気と同じ温かい声で「今日も寒いね」とか「あんたの写ってるポスター、店に貼ったんだよ」とか、たくさん話しかけてくれる。
見ると壁のポスターには栗色のショートヘアの少女が勇壮なスローガンを背景にして描かれている。私によく似たその子。戦友たちには私がこんな風に見えたことはなかっただろう。
返す言葉に詰まっておばさんには「あぁ」とか「うん」とか気の抜けた返事をして棚の黒パンを無造作に手に取り、そのまま店を出た。
そこまで思い出して私は天を仰いだ。お金を払いに行かないと。
そう考えるが早いか私はメモを取り出した。この街に住み始めてから平和な生活とのずれを感じたことを書き留めてある。”ドアを閉める”とか、”髪型を整える”とかもう何ページも書いている。
そのうちのひとつ”パンを買うこと”心なしか濃いめに書いてある行の横にマルを書く。もういくつ目だろう?溜まっていく一方の円にうんざりしていた。
おばさんも見ていたはずなんだから、ひとこと言ってくれてもいいのに。いつも私を甘やかして。
少しいらだって足早に公園を出る。ガタガタいうトラムの音を聞きながら急いで通りを戻る途中、初めてあのおばさんに出会った時のことを思い出す。
——二年ほど前だった。包囲から解放されたばかりの街。まだそこらじゅうに焦げた瓦礫や鉄くずが落ちていて、ひどいにおいが立ち込めていた。そんな中、露天屋台でパンを売っている人を見つけた。
私はそこに並んでいたものを補給品だと勘違いして、やっと食べ物にありつけると嬉しくなった。並んでいたパンを手に取った。
「どうもありがとう」
そう言って私はパンにかじりつく。すると屋台にいたおばさんは、ぎょっとした表情で私を見た。
それから数秒、私の出で立ちを観察した後「その銃、大きすぎないかい?」と一言。私は質問の意味が分からずぼんやりと見つめ返していると、続けておばさんは私の軍服の襟を正しながら「この服も、大きすぎるね」とさっきより優しい口調で言った。
そうしているうちに、パン屋の周りに部隊の仲間が集まり始め、口々に「パンが買えるのか?」「どうやって焼いたんだ?」みたいなことを話していた。「イリーナ、お金は持ってたのかい?」彼らの中から一人、壮年の男性が前に出てきて私に聞いてきた。
私は質問の意味も分からず、みんなは食べないのかときょろきょろ周りを見渡していた。私の代わりにおばさんが答える。
「いいんですよ軍人さん。こんなに若い女の子が戦ってここまで来てくれたなんて、どう恩返しをしたらいいのか」
そこから嗚咽で声を詰まらせながら「パンの1つくらい、いいんですよ」
そう言っておばさんはパンをくれた。それから私は上官の大目玉を食らったけど、私はそのことが忘れられずパンを買うときは必ずそこへ行くようになった。
そうしているうちにおばさんはますます私に甘くなった。買い物に行くとほぼ毎回、手編みの手袋とか、果物とか、おまけを紙袋に入れてくる。”そろそろいい男を捕まえたら?”なんて言われるのも最近は軽く流せるようになった。
そして気が付けばお金を払い忘れて店に戻ることまで習慣になってしまっていた。
最後までお付き合いくださりありがとうございます。
お察しの方も多いかもしれませんが、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ氏の著作の影響を多分に受けています。
空気感やエピソードに似通った点があること、ご留意いただけると幸いです。




