第3話 地下水道、回想
地下水道は蓋の格子の隙間から漏れる光でわずかに照らされているため真っ暗というわけではない。梯子を下まで下りたシャリアールはその先に布のかかった荷物を見つけた。
布を取ると中には口紐で閉じられた麻袋が置いてあった。
口紐をほどいて麻袋の中を見ると、上に紙が置かれていた。見れば、地下水道の地図だった。
シャリアールはそれ以上のものは後回しにして、麻袋の口紐を持って担ぎ上げ、地下水道の暗がりを足早に歩き始めた。この時のシャリアールの服装は上半身裸で、下に麻のズボン、足は裸足だった。
シャリアールは15分ほど水道脇の薄暗い通路を歩いていたが、足輪の鉄が足首を擦り、皮膚が破れ、ひどく痛んだ。
この痛みに耐えかねたシャリアールは立ち止まり、担いでいた麻袋を下ろして、自分も通路に直に腰を下ろして一休みした。痛む足首を見たら、皮がめくれてその下の筋がのぞいていた。
麻袋の中身を調べたところ、大きなものは、短剣とマントと水袋。他にランプと火打石と打ち金が布に巻かれて入っていた。
ありがたいことに、タガネとハンマーも入っていたので、ランプと一緒に取り出しておいた。あとは干し肉と干しアンズ。一番底の小袋の中には小銭のほかに金貨がかなりの数入っていた。
ランプに火をつけ、先に腕輪の蝶番にタガネを打ち付けて腕輪を外した。次に足輪の蝶番にタガネを当てたが、れだけでも鋭い痛みが走った。足輪をつけたままでは痛みでこれ以上歩けそうにもないので、覚悟を決めてハンマーを打ち付けたところ、文字通り歯を食いしばらなければならなかった。額に汗をかいて、さらにもう一撃。そしてもう一撃。これ以上は無理かと思ったが、最後にもう一撃。その一撃で何とか蝶番が壊れてくれて、足輪を外すことができた。外した腕輪と足輪は水道の中に投げ捨てた。
タガネとハンマーを麻袋に戻し、水袋を取り出して、破れた足の皮を洗っておいた。水袋から一口だけ水を飲んでしっかり蓋をしてから、麻袋にしまっておいた。
足の痛みをこらえてしばらく休んだ後、麻袋の中から突き出していた短剣と中に入っていた剣帯を取り出し、剣帯を腰に巻き短剣を装備した。
「ハサン。ありがとう」シャリアールはランプの明かりでわずかに明るくなった通路で声に出してそう言った。おそらくハサンは生きてはいないだろうし、かつての自分の護衛隊員たちも同じく生きていないだろう。彼らのことを胸に刻み、シャリアールは地下水道の終点、アフラ川を目指して歩き出した。
右手でランプを持ち、左手で麻袋の紐と地図を持ってシャリアールは歩いていく。幸い、歩いているうちに足首の血も止まり痛みも引いてきた。
痛みが引いてきたことで、歩きながらもいろいろなことが頭の中によぎっていった。
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1年半ほど前。父大公の体調がすぐれず、床に臥すことが多くなった。そして髪の毛も抜け落ち始めた。専属薬師に毎日のように薬を調合してもらったが、父の体調が回復することはなかった。
そんなある日、シャリアールの実の兄バフラームが、シャリアールの私室に誰も連れずふらりと現れた。シャリアールとバフラームは母が同じこともあり、仲が悪いわけではなかったが、お互い接点もないことから、ここ数年話すこともなかった。
「兄さん、珍しいね。どうしたの?」
「ちょっと思いついたことがあったから、ここに寄ったんだ」
「なに?」
「陛下の体調はすぐれないし、薬師の調合する薬はまるで効いていないようだ」
「そうだね。どんな病にでも効く薬があればいいのだけれど」
「それなんだが、頭のいいお前なら、今からでも薬学を学んで陛下に効く薬を見つけられるんじゃないか?」
「さすがに、それは無理だ」
「そうかもしれないが、お前が陛下のために頑張っていると知れば、陛下は喜ぶぞ。それこそ、病気に効く特効薬じゃないか?」
「兄さん、いいこと言うじゃないか。分かった。できる限りのことをやってみるよ」
「期待してるぞ」
そう言ってバフラームは部屋を出ていった。
その日からシャリアールは薬学関係の本を買い集め、私室の隣に実験室を作り、数百種に及ぶ植物、動物、鉱物試料と実験器具も揃えていった。もちろんそういった試料の中には毒薬になりうるものも多く含まれていた。
建前は父王の病の助けになる薬を見つけることだったが、薬学はシャリアールにとって楽しいものだったこともあり、薬学にのめり込んでいった。
とはいうもの、そう簡単に特効薬など見つかるわけもなく、父王の体調は悪化を続け、3カ月前には床から起き上がることもできなくなっていた。
シャリアールはそのことに責任を感じ、さらに薬学にのめり込み、これだ! という調合に達した。
調合した薬を先に館に隣接する治療院の病人たちで試し、良好な結果が得られたことから、父王に飲んでもらうよう薬を専属薬師に渡した。それが10日前のこと。
シャリアールが私室でサイダラの本をめくっているとき、護衛隊を押しのけて私室に踏み込んできた近衛兵に、その薬を飲んだ陛下がそのまま悶絶して崩御した、と告げられた。
それを聞いたシャリアールは目の前が真っ暗になり、そのまま近衛兵に引き立てられていった。
獄中にあったシャリアールは、バフラームが父の跡を継いだと獄卒に告げられた。
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歩みを再開してから一時間ほど進んだところで、前方に水道の出口の明かりが見えてきた。
ランプを消して地図と一緒に麻袋にしまい、明かりに向かって歩いていったところ、出口には半キュービット(肘から中指までの長さ)ほどの間隔で鉄棒が縦に並べられていた。
子どもなら容易に鉄棒の間を抜けられそうだったが、シャリアール一人の力では無理だった。
力を込めて鉄棒を押してみたが、わずかに曲がったものの、それでどうなるわけでもなかった。
荷物を下ろしたシャリアールは麻袋の中からタガネとハンマーを取り出して通路側の鉄棒の根本にタガネの刃先を当ててタガネの頭を叩いた。
ハンマーがタガネを打つたびに大きな音が水道の中で響き渡るので少し心配だったが、とにかく鉄棒をどうにかしないと始まらないので、冷や冷やしながらも半時間ほどそうやってタガネを叩いていたら鉄棒が切れた。その鉄棒の下の方を持って横に押したらうまく曲がってくれて、シャリアールは潜り抜けるようにして水道から外に出ることができた。
地下水道の出口はアフラ川の土手の途中に空いたもので、シャリアールは土手を上り、土手の上の道に沿って西に向かって歩き始めた。前方には遠くカビール山地の山並みが見えていた。
イスファハーンまでの道のりでは大きな砂漠はないのだが、街道が一本繋がっているだけで迂回できるような道はない。そしてその道にはキャラバン(隊商)を狙う盗賊が出没する。そのためキャラバンには護衛が同行している。
シャリアールのような個人が街道を歩いていれば、盗賊に捕まえてくれ、と言っているのと同義である。しかし、街道には4ファルサフ(注1)(約22キロ)ごとにキャラバン用の野営地とキャラバンサライが交互にある。
野営地には水場もあるし、キャラバンサライでは食料も買えれば雑貨も買える、そして屋根の下で寝ることもできる。従って、危険を承知で街道を行かざるを得ないとも言える。運が良ければキャラバンの後をついて歩くことで盗賊からの襲撃から逃れることもできる。ただ、今のシャリアールの風体は明らかに不審者なので、うかつに近づかないほうがいい。
なんであれ、今の着の身着のままでは夜は冷えるので上に着るものが最低でも必要だし、靴も欲しい。となれば、夜を徹してでも歩き続け、キャラバンサライにたどり着きたい。最初のキャラバンサライまでの距離はおおよその距離は8ファルサフ。足さえもってくれれば今夜中にたどり着けそうだ。
注1:ファルサフ
1ファルサフは人やラクダが平地を1時間に進む距離である。1ファルサフ=約5.4キロとしている。なお、1ファルサフ=3ミール。1ミール=約1.8キロ。




