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秋の亡霊  作者: 山口遊子


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第2話 サルヴァザール


 ハサン・サルヴァザールはシャリアール公子とともに育てられ、長じてシャリアール公子の護衛隊長の任についた。


 サルヴァザール家のサルヴァザール(聖なる糸杉の火)という名は、「王家カシュマールを守る炎」という意味を込めた、ハサンの祖父が当時の王から授かった名誉ある姓であり、すでに故人となっている祖父も父も近衛隊長を務めていた。ハサンも今の近衛隊長が引退すれば、その家柄だけでなく、大公の後継者として有力視されているシャリアール公子の護衛隊長であることからも、近衛隊長に就くだろうと周囲は考えていた。1カ月前までは。


 その1カ月前、大公が亡くなったとの知らせが飛び込んだ。しかも、それは大公の第二子であるシャリアール公子による毒殺であるとのことだった。

 公子が調合した薬酒を飲んだ直後に大公が亡くなったのだ。残った薬酒を猫に飲ませたところ猫はその場で悶絶して息絶えたという。


 それを受け、近衛隊がシャリアール公子を捕縛した。シャリアール公子の私室を捜査した結果、公子の私室に隣接した研究室の中から毒物に関する書籍と、毒の精製に使われたと思われる機器が見つかった。


 シャリアール公子は確かに薬学の研究をしていたのも事実であり、毒の研究も行っていたことはハサンも承知していた。しかし、それは父である大公の病を治したいという思いから始めたものだったこともハサンは知っていた。



 大公が亡くなった日の翌日。

 ハサンは昨日より部下に命じて情報を集めさせていたが、シャリアール公子の兄、バフラームが即位したとの情報とともに、シャリアール公子の死刑が確定したことも知ることになった。事態の進展のあまりの急な展開に、ハサンは驚き、そしてシャリアール公子の護衛隊長である自身の身の危険を感じた。


 彼は家に残る妹、シリーンに100ディナール入りの革袋を渡した。

「シリーン、何も聞かずこれを持って、アキールとともにイスファハーンに行き隠れろ」と告げた。

 アキールとは、サルヴァザール家の家宰である。


 シリーンは兄の言いつけに対して一言言おうと思ったが、家長である兄の言いつけ通り、わずかな荷物をまとめ、その日のうちにアキールとともに家を出た。


 ハサンの母もすでに世を去っており、シリーンが家を出たあと家に残っていたのは使用人たちだけで、彼らには少なくない金を渡して暇を出した。

 その日の夕刻、報告のため家に現れた部下たちに、彼らが良く使っていた街の酒場に集合するよう告げたハサンは家に残った金とサルヴァザール家に代々伝わる宝剣を持ち、家を捨てて街に出た。



 その日の夜。酒場の個室で。

「無実の公子が捕縛された以上、われわれにも嫌疑がかけられ、身に覚えのない罪を着せられるだろう。わたしは、公子を助け出すため、刑場に乗り込んで行こうと思う。それにはお前たちの力が必要だ。どうか公子のために死んでくれ」

 そこに集まった10人の男たちは無言でうなずいた。

「お前たちの家族にもかならず累が及ぶ。少ないが、家族を逃がしてやってくれ。すでにわたしの妹は家を出ている」

 ハサンは男たちに、それぞれ100ディナール入りの小袋を渡した。

 そのあと、ハサンは、公子の救出方法をみんなに説明した。


 小一時間ののち男たちは小型の陶器のジョッキに注がれたアニスの実(注1)で香りづけされたアラク(注2)を一気に呷り、一人ずつ部屋を出ていった。

 最後になった一人の男に対して、ハサンは、

「ケマル。お前は年老いた母親との一人暮らしだ。お前は母親を連れてカシュマールから逃げろ」

「母はわたしのことを分かってくれています。隊長、わたしもお供します!」

「これは、決死ではなく、必死だ。お前は連れて行けない」

「隊長!」

「俺の妹には、イスファハーンに逃げて身を隠せといっている。イスファハーンに行くことがあり、もしわたしの妹に会うことがあるなら、わたしのことを伝えてくれ。兄は立派に死んだと」



 その日ハサンは酒場に宿をとった。



 翌日からハサンは宿を転々と変えながら、街の中を巡って、シャリアールが逃走に必要なものを揃えていった。

 真っ先に用意したのは囚人用の鉄製の腕輪、足輪を外すためのタガネとハンマーだった。そして地下水道を移動するためのランプ。地下水道の地図は自分が記憶している限りのものを紙に書き記し、実際自分でも歩いて修正し完成させた。そして、食料と水袋。水袋は二日分の水しか入らないだろうが重さを考えればそれが上限だろう。それに小銭を取りまぜて100ディナール分の現金。ターバンとマント。最後に護身用の短剣と剣帯。それらを麻袋に詰めた。シャリアールの刑の執行間際、すなわち作戦遂行直前に、麻袋をしかるべき地下水道の場所に置くつもりだ。これらを買いそろえたあと、ハサンの手元には数ディナールしか残っていなかったが、今の彼にはそれで十分だった。




 シャリアールの刑の執行日。

 ハサンは麻袋に詰めたシャリアールの逃走用の荷物を館前広場からそれほど離れていない地下水道の入り口の下に隠し、それから9名の仲間を連れて、刑場前に向かった。各人は武器を布でくるんで隠し持っている。弓は大きかったが、弦を張らず3本の矢と一緒に布でくるんだことで武器には見えなかった。



 彼らが刑場を囲む群衆の中から前に出た時には、すでにシャリアールは一段高くなった刑場の上に立たされていた。


 周囲の群衆から隠すようにハサンとハサンの仲間が弓を持った男を囲んで、その中で男は弓を布から取り出し素早く弦を張った。

 刑務官が巻物を持って刑場に上がったところで、ハサンたちはそれぞれの武器をくるんでいた布から取り出した。

 刑務官が罪状を読み上げ、シャリアールが執行台の上に横向きに引き据えられたところで、男は矢をつがえ、執行台の向こう側に立つ執行人に狙いを定め、執行人が円月刀を振り上げたところで矢を放った。

 その矢を合図にハサンたち残りの9人が刀を抜いて刑場に突進していき、刑場を囲んでいた近衛兵たちと切り結び始めた。

 刑場の上では、先ほどの矢で胸を撃ち抜かれた執行人がゆっくり仰向けに倒れていった。


 ……。


 シャリアールを助け出したハサンは先に立って彼を導き、広場から遠ざかっていった。背後では、仲間たちが近衛兵と切り結んでいる怒声と剣戟の音が響いていた。


 追手が及ぶ前に、逃走用の荷物を隠し置いた地下水道への入り口にシャリアールを導いたハサンは、シャリアールが地下道への梯子を下りていったところで、出入り口の蓋を閉め、そこから大通りに向かって駆け去った。ハサンを認めた近衛兵たちが迫ってきたので、ハサンはそのまままっすぐ大通りを下っていき、適当な横道にそれて、近衛兵たちを待ち構えた。



 この日、ハサン以下10名の男たちが、近衛兵によって討ち取られ、彼らの首は国賊として館前の広場に晒された。



 ハサンの叔父は近衛隊の副隊長であったが、シャリアールの捕縛後、間を置かず近衛隊長からハサンと彼の部下の捕縛を命じられた。ハサンに対する罪状は『シャリアール公子をそそのかして弑逆させた罪』だった。

 彼は、部下を連れて館に併設された近衛隊の隊舎を離れたが、ハサンの家とはまるで異なる場所を捜査し続けた。そのことが後日露見し、彼は捕縛され、そして終身刑の判決を受けたが、獄中で額を壁に叩きつけて自死した。彼の死を覚悟した働きがなければ、ハサンは何もできず捕縛されていただろう。





注1:アニスの実

セリ科の香草。甘くスパイシーな香りが特徴だそうです。こういうのって言葉じゃ分かりません。


注2:アラク

透明で非常に強い蒸留酒。水を加えると白濁する。


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