欺瞞
自室で眠っていると、外から近寄ってくる者の気配を感じて目を覚ました。
握ったままのダマスカス鋼の短剣を鞘から引き抜く。
激しい雨音に交じる雷。
夕方に振り出した雨が夜中になって一際激しくなったらしい。
「ロンド、起きなさい」
ノックもなく扉を開け放ったのはラウラだ。
廊下側から雷の強烈な光が差し込んで、彼女の小さな身体を照らし出す。
「……どうした」
「雨漏りよ。どうにかならない?」
なるほど、見た目通りに古ぼけた屋敷だから、雨が降ればそういうこともあるか。
手早く身支度を整えて出ると、寝間着姿のラウラが待ちくたびれたとばかりに息をつく。
「夜這いに来たのかと思った」
とりあえず煽っておく。
「それも悪くないけど、まずは雨漏りの対処ね」
現場へ辿り着くと、ラウラの寝所に三か所からの水漏れがあり、滴る雫は適当に持ち出したのだろう銀食器が受け止めていた。
なんとも豪勢な使い道だ。
「……それで護衛はこのザマか」
長椅子で気持ち良さそうに眠るリリィにはシーツが掛けられていた。
派手に雷が鳴っても、雨が壁を打ち付けても、まるで起きる気配が無く夢の中で笑っている。
「可愛い寝顔でしょ? たまに起き出して、じっと眺めてることもあるの」
「襲うなよ?」
「言ったじゃない。リリィは私の宝物。穢す様なことはしないわ」
「あれだけ特殊な趣味に巻き込んでおいて」
「それを教えたのは誰かしら。もういいから、早くこの雨漏りをなんとかして頂戴。ぽたぽたと落ちてくる音が雷以上に耳障りなの」
わかりましたよと答え、とりあえず屋根裏へ入ってみた。
「……派手に雨漏りしてるな」
屋根が一部破損していて、そこから入り込んだ水が屋根裏へ広がっている。
伝わり易く、染み出し易い箇所から雨漏りが始まっただけで、放置しているともっと酷い事になるだろう。
「適当な、何か必要ない布を集めて貰えるか? 俺じゃあそこまで細かい事は分からん」
「分かったわ」
言ってラウラの持ってきた布を見て、俺は呆れてため息をついた。
「コレ、要らんのなら俺が貰うが」
「洗濯済みよ?」
そうじゃない。
単に要らないなら売って金にしたいだけだ。
なにせラウラの持ってきた布は、絹製の衣服だった。
リリィはあまり着飾らないし、どう考えてもラウラのもの。
南方からの特産品で、クルアンでも高級衣類の代表と言えば絹だった。こんなもんに埃の溜まった屋根裏の溜まり水を吸わせたら、織物商人が卒倒するぞ。
「もう、我儘ねぇ。この鬱陶しいのが収まるならなんでもいいわ。小さくなって着れなくなったものだから、駄目になってもいいの」
「今お前の身体が成長してるって言った?」
「どういう意味かしら? まあいいわ。早く終わらせちゃいましょう」
「あっ、お前!?」
結局勝手に梯子を昇って、狙いも定めず服を放り込んでいく。
多分、俺が一年で稼ぐよりも遥かに高額の品々がごみ同然と扱われていく様は、見ているだけで健康に悪そうだった。
「…………それじゃあ俺は屋根を修繕してくるから、お前はここで待ってろ」
「屋上に登るの? 面白そうだから見に行こうかしら」
「後悔するぞ」
※ ※ ※
雷の続く土砂降りの中、何の役にも立たないラウラから早くしろと罵声を浴びせ掛けられながら修繕を終え、そのまま二人で浴場へ入った。
湯を沸かすほどの気力も残っていないから、あくまで濡れた手拭いで身体を拭き上げるだけだ。
「あんっ、こら乱暴にしないで。髪が痛んじゃうでしょう?」
適当に髪を拭いてやっていたら、お貴族様からの抗議を受けた。
ラウラは裸だ。俺もだが。
「ぼろぼろにされたがる割には気にするんだな」
「快楽を貪るのと、平時の品格は別物よ。私はこれでも王族なんだから」
「そりゃ初耳だ」
ふふっ、と彼女は笑って。
「平民風情が、高貴な血を抱いた感想は如何?」
「変態だった」
「仕置きが必要かしら」
「今更お前に傅いてお許し下さいと懇願すればいいか? もう特殊な行為は止めにして、平均的で普通の性交だけにしましょうか」
「やーだ」
我儘な貴族様だ。
そして我儘だから、髪を拭いてやる俺のまたぐらに手を突っ込んで来た。
「……本当に刺青が嫌なのね」
「……悪いな」
萎え切っていてヤれそうにない。
「いい加減、理由くらいは聞いてみてもいいかしら?」
「おや、ラウラ様におかれましては、お気遣いなどしていただいていたんでしょうか?」
「怒るわよー」
握りながら言われるとちょっと恐怖を感じる。
そこは急所だからな。
反応しない俺を見つつ、ラウラが膝に乗って来た。身体を擦りながら噛み付いてくる。その腕にある刺青を見ながら、浴場に水滴が落ちるのを聞いた。
「…………俺がクルアンの町の出身だってことは話したろ」
「んっ……えぇ、そうね」
小さく息を落とし、力が入らないよう慎重にラウラの身を支える。
「俺の親父はクソ野郎だった。毎日酒浸りで碌に働きもせず、俺や弟を殴って金を持って来いと要求してくる。母親はある時、親父と大喧嘩して、二人で家を出ていったかと思えばもう帰ってこなかった……今思うと、ずっとお袋は出ていっただけだと考えていたが、親父に殺されて、どこかに隠されたのかも知れないな。それくらいやっててもおかしくないクズだったよ」
「街中に死体を隠すのは至難よ。きっと、逃げただけよ」
そうだといいな、なんて言いつつ。
「親父は両腕に刺青を入れていた。ちょうど、お前みたいな感じに、肩や胸元にまで、派手な奴をよ」
「…………そう」
「何度もその腕に殴られた。首を絞められ、殺されそうになったこともある。けどある時、酒を煽っていて急に身体を震わせて倒れた。痙攣しながら泡を吹いて、俺の方を見ながら何かを訴える親父を置いて、そのまま……」
頬に小さな手が触れる。
見上げる瞳に熱はない。
なのに、じわりと染み出す様な何かが確かにあった。
「いいわ。許してあげる」
それが、父親を見殺しにしたことへの言葉だったのか、刺青を見ると萎えてしまうことへの言葉だったのかは分からない。
ラウラは俺の頬を撫で、首元を撫で、そっと笑った。
「部屋へ戻りましょう。今日は貴方と並んで眠りたいわ」
「騎士様が怒るぞ」
「怒った顔も可愛らしいでしょう? 大丈夫、私から言ってあげるわ」
そこはまあ、同意する。
だけど翌日目覚めた時、夜型なラウラはぐっすりと眠っていて、俺は激怒するリリィから延々とお叱りを受けることになった。




