6-3 助手のいる朝
熟睡していたリンディが目を覚ました時、隣のベッドにティアはいなかった……が、それに気付かないまま、用足しに寝室を出たところ、半開きの視線の先……ソファの上……布団……誰かいる! 眠いながらも無理やり目を開き、警戒しながら数歩そちらへ進むと、そこにいたのは……ティア……寝ている……安眠している……みたい。なんでこんなところで……と、不審に思うリンディだが、不審な行動を取る人物ではあっても、不審者ではないことに安心し、気持ちが緩んだ……ことで、当初の目的がこみ上げてきて、しかるべき場所へと向かう。初期目的を達成したのち、寝室へ戻って、ベッドの上へ。まだ朝ではなさそうだし、仮に朝であっても、眠いのだから、朝ではない……だから、隣は気にしない……。何があっても、「朝」まで……眠るのみ。
再びリンディが目を覚ますと、やはりティアは寝室にいなかった。まだ向こうの部屋のソファで眠っているのだろうか……。時計を見れば、もう一般的には「朝」とはいいがたい時間。ならば、すでに起きているかもしれない……というか、起きているだろう。リンディも自分の状態から、今を「朝」と認定し、そろそろ起きることにする。
少しうだうだしてから状態を起こし、もうワンクッションぐだぐだしてから、ゆっくりとベッドを降りて、寝巻のまま寝室を後にする。そして、進んだ先の視界に入ったソファの上には、もう誰もいない。その代わり、ダイニングのほうから音がする。
「あ」近づいてきたマスターを、助手はいち早く見つけた。「おはようございます」
「おはよ」
すでに目にした時計によれば、もはや早くはない。のそのそ歩くリンディに、ティアが近寄ってくる。
「朝食はどうなさいます?」
「どうしようかな……」
立ち止まった食道楽が迷っているのは、もちろん食べるかどうかではない。デリバリーにするか、管理人に頼むか……あとは……。
「取られるのなら、すぐにご用意いたします」
「そうねぇ……それじゃ……」
何にしようか……。マスターが考え始める前に、助手の行動が始まる。
「では、少々お待ちください」
ダイニングの奥、すなわち、キッチンへと向かっていった。あわてた食道楽は、まだ目覚めない体の最大速度をもってゆるゆる追いかけ、ダイニングルームの入り口から呼び止める。
「あ、ちょっと」
立ち止まったティアが振り返る。
「はい」
「どうするの?」
「今から、朝食の準備を……」
「自分で作るの?」ここに来ているのだから、それはそうだろう。それよりも、聞くべきことは……。「ていうか、作れるの」
「いちおうは。未熟ですが……」
こういう答え方をする場合、言葉どおり受け取るか迷う……。しかし、自ら調理に向かったことから推察するに、これは謙遜と判断。
「……じゃ、任せた」
「は……はひっ。がんばりましゅっ」
こいつのこの反応は……不安だ。しかし、いったん任せた以上、いまさら撤回するわけにもいかない。
「まぁ……適度にね……」
着替えのため踵を返したリンディに、後方から助手の声が聞こえる。
「準備ができたら、お呼びします」
ティアの助手としての有能さを思い返しつつ、それが料理の才にも及んでいることを願って、食の探求者は寝室へと戻ってゆく……。
部屋着に着替え、ダイニングルームへ戻ってきたリンディを待つティアの料理は、はたして……まともだった。料理人の味ではないにせよ、素人料理、そして家庭料理としてそつがない。多くの料理人がこの食道楽に「料理人の味」であると認めさせるようなものを提供できるわけではないことを鑑みれば、助手の料理はそれなりのレベルといえよう。
「いつも、あんたがご飯作ってくれると、楽でいいよねぇ」
リンディがぽろっとこぼした言葉に、ティアは例の反応。
「ふぇっ」
「あ」やばい……何気なく一般論として言っただけなのに……多少のお世辞も込みで……。「えーと、その……つまり……あんたの彼氏とかがさ……」
苦し紛れ。こういうとき、人はふだん口にしないようなことを発する。この恋愛音痴も例外ではない。しかし、たいてい、それはよい結果をもたらさない。
「そんな人、いません」
きっぱりと否定された。
「あ、別に……今のってわけじゃなく……」
「いません」
むくれるティア。……墓穴。修復を試みる。
「しょ……将来も含めて……」
「いません」
意固地になっている……。そう判断したリンディは、この話題からは撤退。
「でも、ご飯はおいしいよ」
撤退が中途半端になってしまった。ただ、ティアには効いた。
「ふにぅ」すぐに立て直す。「あ、ありがとうございます」
意外に簡単だな……こいつ……面倒なわりには。矛盾した感想を抱きつつ、退避に成功したリンディは、食事中に面倒な会話はしないという常からの方針に立ち返り、当たり障りのない話題を選んで、無事に朝食を終えた。その間、助手が面倒な状態に陥ることはなかったものの、それはそれで気を遣った分、面倒だったといえるかもしれない。
なにはともあれ、食事自体は納得できるものだったため、満足してくつろぎながら、セデイターが切り出す。
「今日は特に予定はないから、ティアもゆっくり休ん……あ!」
突然上がったその声に驚く助手。
「え?」
「あたしとしたことが……どうして……」重大なことを思い出した。あわてて立ち上がるリンディ。「急がないと」
「は、はい」
助手も立ち上がる。
「片付け、任せた」
たとえ「マスター」だからといって、すべて助手任せにする気はなかったのだが、今は緊急事態だ。身支度のため、リンディはダイニングルームを出る。取り急ぎ、部屋から出られる身なりを整え、まだ準備中の助手を置いて、室外へ。その向かう先は……。
「おねーちゃん!」
「あら、リンリン、おはよう」
なんのことはない、姉のところである。ここは、結界作業現場――かろうじて午前中。ナユカによるこのオフィスの結界除去作業は本日で終わるので、その「助手」という名目で同行しているユリーシャには、リンディはしばらく会えなくなる。ティアへの対応で頭一杯になっていたせいか、先ほどまでそのことを忘れていた。そして、何よりも、いちおう護衛ということになっている。付き人兼護衛のトゥーラがいるとはいえ、不覚だ。
「おはよう。遅れちゃった」
走ってきた妹を、姉が制止する。
「ユーカさんが作業中だから、静かにね」
「あ、ごめん」
見れば、少し離れたところで、ナユカはちょうど結界除去中。気を散らせれば、手元が狂って消してはいけないものまで全部消滅、という事態にもなりかねない。ただ、今回は、そうならないよう、ユリーシャが結界構築の手順に関与している。たとえ失敗しても最小限の被害で済むように。
「トゥーラは?」
遅れてきた「護衛」は、信頼できる付き人兼護衛の所在を、護衛対象に小声で確認。
「いますよ、離れて」
「そう……よかった」いるのは当然か……。どこと探すのは野暮だ。作業の邪魔になるのを避けるため、どこかで目立たないようにしているはず。「……遅れてごめんなさい」
「気にしないで。昨晩は遅かったんでしょ?」
リンディが宿のほうへ戻って来なかったので、本業で遅くなったことがわかる。
「うん、まぁ……宿に戻れなくもなかったんだけど……いろいろあって」
セデイトそのものよりも、ティアのほうで。
「お疲れさま。もっと休んでいてもよかったのに」
「うん……でも……ちゃんと護衛しなくちゃ……」
それが口実なのは言わずもがな。もちろん、ユリーシャは承知している。
「ありがと、リンリン」
姉の傍らでリンディがしばらくおとなしくしていると、すぐに結界の除去作業は終了。慎重にやっていても、やはり速い。この結界破壊士の手にかかれば、結界が消えるときは、ほんの一瞬だ。
「おはようございます、リンディさん」
近づいてきたナユカは、リンディが来ていたのには気付いていたようだ。作業に集中すべく、遠目からの挨拶はしなかったのだろう。
「おはよう、ユーカ。順調?」
「ええ。重大なミスもなく……危ないのはありましたけど」
「あったの?」
聞き返したリンディに、ユリーシャが代わって答える。
「ちょっと、状況を知らない結界士さんがいてね……手伝おうとして、脚立を蹴ってしまって……」
「大丈夫だった?」
リンディの視線を受け、本人が答える。
「はい。手を引っ込めたので」
「……結界じゃなくて、ユーカが」
この異世界人には魔法が効かないので、怪我をされると事だ。その秘密保持の点からも。
「あ、わたしも大丈夫でした」
「気をつけてほしいよね、そういうの」
眉をひそめる妹に、にっこり微笑む姉。
「わたしが、その方に『厳重注意』しておきました」
「そう……? 『厳重』……ね。……よ……よかったね、ユーカ」
なぜか、その表情がどことなく引きつっているような……気のせいだろうか? あまり気にしないようにして、とりあえずナユカは返事をしておく。
「はい」
一方、ユリーシャは、さらっとリンディの話へ転換。
「……ところで、今日はお休み?」
「そうだよ。昨日セデイトしたから」
瘴気処理後は、休まないと心身によくない。
「あ。もうやっちゃったんだ……さすが」
感心するナユカ。他のセデイターの仕事ぶりを知らないので、いまいちわからなかったけど、やっぱり敏腕なんだろうな……。でも、当人は恨めしげ。
「それで、夜にそっちへ戻れなかった……」
仕事の状況によっては、宿へは戻れないということは、ナユカも事前に聞かされていた。
「でしたね……。わたしは、ユリーシャさんと楽しく過ごせましたけど……」
「へ?」一拍、間が空く。「へぇー……おねーちゃんと、ふたりで……ね……。あたしがいなくても……いないと、楽しいんだ……ふーん」
残念な気分が高じて、ひがみっぽくなっている……どうしよう。
「いえ、そういうことではなく……あ」ナユカは出口を見つけた。「助手さんとはどうでしたか?」
しかし、リンディにしてみれば、出口ではない。袋小路だ。
「それは……えーと……つまり……その……」正直そのことは、今は考えたくない……。頭が疲れる。「まぁ……」
しばしの間。セデイターは、少し上方を見つめる……。
「リンディさん?」
ナユカの声にはっとする。……思考停止していた。
「……あとでね。めんどくさいから」
「あ、すみません、お疲れのところ」
「いや、ユーカがめんどくさいんじゃなくて……あいつが……」
すると、後ろからユリーシャの声。
「リンディがごめんなさいね、ティアさん」
「え」
セデイターが振り向くと、そこには助手。
「あ、いいです、わかってますから。すみません、ご迷惑をおかけして」
「い……いたの?」
いつの間に……やっぱりストーカー?
「はい……こちらだと思って、今、来ました」
「えーと……」誤魔化そうにも、何も思いつかない。この上は……。「確かに、あんたはめんどくさい」
「あら」
ユリーシャの瞳が大きくなる。
「でも、かなり役に立ってる。だから……」姉に向き直る妹。「まぁ、そういうことなの」
「それはそれは……リンディがお世話になって」
会釈する姉に、助手が会釈を返す。
「いえ、こちらこそ……」
「だから、そういうのはいいの」こういう場合、本人が恥ずかしいのは、古今東西異世界でも同じ。切り替えるべく、助手に向く。「ところで、なんか用?」
「マスターが急いでいらっしゃったので、あわてて追ってきました」
「あー……別に……ここに来ただけ。特になにも……ティアのすることはないけど」
「そうですか……すみません、お邪魔してしまって」
マスターのシスコン具合を勘案し、状況を察して去ろうとするティアを、ユリーシャが引き止める。
「まぁ、いいじゃない。わたしたちも戻るところ……ですよね?」
同意を求められた結界破壊士がうなずく。
「そうですね……しばらくは待ち時間ですから」
「それでは、行きましょうか」
ユリーシャがティアに付き添ってオフィスへと促し、ナユカもそれに続く。
「あ、ちょっと」
三人に先行されたリンディが合流し、一同はオフィス内へと戻っていった。




