4-3 部屋を出て
ティアを刺激しないように――そこまで気にする必要はないのかもしれないが、念のため――ドアを丁寧に閉めたリンディからは、ため息が漏れる。
「はあ」
「どうでした? リンディさん」
呼びかけられた声のほうを振り向くと、通路の先、階段の手前には声の主のナユカ……と、ユリーシャ。
「あ、おねーちゃん」やっぱりこっちが先になり、動き出す。「……と、ユーカ」
後付にされたものの、そうなるのはもうわかっているので気にせず、来るのを待って、質問の先を続ける。
「……助手さんは?」
「今、ちょっと……休ませてる」
それを聞いたユリーシャが尋ねる。
「あら。どこかお加減が悪いの?」
「薬飲んで治ったみたいだけど……大事をとって」
応対が面倒だから休ませたなどと、姉の前では言わない妹だが、姉は医師ゆえに気がかりだ。
「大丈夫かしら」
「いちおう、薬は効いたから……そっとしておくのが……よさそうかな……と」
今は、障らぬ神に……という心境だ。妹の思惑とは別でも、医者は同じ結論に至る。
「そうね……。それがいいかな」
「で、そっちはどう?」
話を変えたいリンディの視線は、ナユカへ。
「午後の分は、もうやっちゃいました」
つまりは、午後に張り替えるべき結界はすでに除去したと。
「相変わらず、速いなぁ」
「ちょっと、やりすぎちゃって……」
頭を掻く天才結界破壊士。
「やりすぎ?」
聞き返したリンディに対し、ユリーシャがナユカに代わって答える。
「少し手が触れたら、消えちゃって」
「実は、よくやるんです……」
結界破壊士は、頭に手をやったまま。リンディの見てきた限り、ナユカはがさつではない。慎重にやっても、ちょっと触るだけで結界が消滅してしまうのは厄介なものだろう。
「ま、いいんじゃない。張り替えたやつじゃなければ」
「ですよね……」
含みを持たせるナユカ。まだ聞かされてはいないものの、リンディが推測するに、これはたぶん……。
「……もしかして、やったことある?」
「今日は、まだ張り替えてないので……」
異邦人がセレンディー語の文法を取り違えているのでなければ、直接答えるのを避けたということだろう――つまり、思い出したくないと。どっちかわからないので、聞いたほうはあいまいに応じる。
「……まぁ、そうだよねぇ」
代わって、ユリーシャから救いの言葉。
「心配しないで。そうならないように、わたしという助手がいるのだから」
「そうだよね。おねーちゃんに任せれば、大丈夫」
何であれ、リンディは闇雲に姉を信頼している気がある。本人は……。
「まぁ……なんとか……ね」
妹ほどにはなさそう。それでも、その妹にとっては、懸案は雲散した。
「じゃ、お昼食べに行こ」食道楽には、こちらのほうが問題だ。「……で、どこで食べる?」
「そうねぇ……」ユリーシャが考え始めると、階下にいるエスコートのトゥーラが、自分にサインを送るのが目に入った。「あら」
立ち話の間、彼女は階段の下で静かに待機していた。そこならば、離れていてもリンディの助手の部屋とそこへの通路が見えるし、階段の往来の監視もできることに加えて、ユリーシャたちの邪魔にもなりにくい。
護衛対象から事前に決めてあるサインを受けたトゥーラは、階段を迅速かつ音なく上ってゆく――あたかも忍者のように。そして、護るべき対象の傍らに付け、小声で話す。
「いったん、旅館へ来ていただけますか?」
一行は、ここの宿泊施設ではなく、旅館に泊まることになっている。現場直行だったため、まだそちらに顔を出していない。
「わかりました。では、昼食はそちらでいただきましょう」ユリーシャは、リンディとナユカを見る。「それでいいかしら?」
「はい」
素直にうなずいたナユカと違い、食道楽の気がかりは、そこの食事がどうなのかという点。
「旅館かぁ……お手並み拝見、ってとこかなぁ……」
妹の食へのこだわりは、もちろん、姉の知るところである。
「ふふっ。厨房の方は大変ね」
いちおう「御忍び」であることから、馬車がセデイターズ・オフィスに横付けして待っているなどということはなく、旅館までは徒歩にて移動する。街中における馬車の通行は、セレンディア同様、この国においても、安全面から緊急時以外は禁止されているが、王族を含むVIPの利用はその例外となっている――街を彼らが闊歩すると逆に混乱を招く恐れがあるという理由で。とはいえ、ユリーシャ及びその旦那はそういった特権に興じることを良しとせず、特別な場合を除き、街の入り口にある馬車ステーションからは徒歩で移動している。
本日は御忍びであることも相まって、いつも以上に目立ちたくないので、オフィスに来るときもユリーシャはそうしていた。彼女はヴェールで顔を隠すようなことはしなかったものの、庶民的な装いであったため、メディアの発達していないこの世界では、王族であると気付く者は、まず、いなかっただろう。王族が王族であるという「公務」をこなすには、それに見合った身なりをしてこそ、なのである。
さて、一行が旅館までの徒歩で移動している間、ナユカにはどうしてもリンディに尋ねたいことがあった。
「助手さん、大丈夫でしょうか?」
本当に聞きたいのは助手の具合ではなく、人となりなのだが、話のとっかかりとしてはこうなる。
「さぁ……どうかなぁ……」
眉をひそめるリンディに、ユリーシャが問いただす。
「え? 治ってなかったの?」
「あ、とりあえず薬で治ったんだけど……そうじゃなくて……『よくある』とか言ってたから」
症状に対する薬も常備していた……。詳細はわからないが。
「持病かなにかかしら……心配ね……」
口先だけではなく、本当に気にかけるのは、ユリーシャのようなヒーラーのメンタリティ。それがさほどないリンディは、回復魔法を操るのには向いていない。
「……なんか、よくわからないんだよね……あの助手」
そう言われると……というよりも、そう言われる前からナユカは興味津々。
「どういう人なんですか?」
「どういう……そうだなぁ……」まさに、それがよくわからない。一言でいえば……。「ま、変わってる」
「変わってるっていうと……フィリリンみたいな……」
この世界でナユカが知っている変わった人といえば、すぐ思い浮かぶのは、フィリスか魔法研のターシャ。
「あー、フィリスねぇ……似てるところもあるかなぁ……」
突然取り乱すところは、似ているかも。
「フィリスさんって……変わってるの?」
同じ上級医師のフィリスについて、非常に優れたヒーラーだということはサンドラからの報告を受けているものの、性格についてはユリーシャには知らされていない。
「たまに……ちょっとね。ま、おもしろいからいいけど」
破顔するリンディ、そしてナユカ。
「まじめすぎるんですよ……たぶん」
よって、医者として問題はない。
「あ、そういうことなの」ふたりの発言にほっとするユリーシャ。サンドラの御墨付きがあったとはいえ、ナユカのような特殊な存在を任せるには、慎重になるに越したことはない。そうなると気になるのは……。「それで、助手さんのほうはどうなの?」
「……どうかなぁ……さっきは調子悪かったからかもしれないし……やっぱり、まだわからない」
「そうよね、リンリン」
姉は妹の頭に両手で軽く触れる。つまりは、こちら風の「頭なでなで」。褒めた理由は、初対面で簡単に決め付けなかったからだ。
「えっへへー」
うれしそうな妹……。当事者はいいのだろうが、この姉妹、傍から見てると、見てるほうが照れる。これではまともな情報が得られないので、さすがにナユカも焦れた。
「それで、結局……リンディさんは、助手さんをどう思ったんですか?」
「あー、それは……面倒くさいやつ」
喜んでいるところでふいを突かれ、ついぽろっとリンディから本音が。姉は妹の頭から手を離す。
「あら? そうなの?」
「え? あ、だって……」
言葉に詰まる妹。しかし、姉は妹の本心など、先刻承知。ただ、最初から断定しなかったことは評価している。
「ふふ……まぁ、長い目で見てあげてね」
「う、うん……そうだよね……」
このように、リンディが長い目で見る以上、この場でセデイター助手の人物像に関する確定的な情報は、ナユカへはもたらされないだろう。それでも、名前や外見上の特徴などは聞かされ、昼食後にオフィスへ戻ってから、ユリーシャも交えて顔合わせすることとなった。




