友人の憂い
「港の稼働状況は港の整備が完了した三年ほど前から大きく増えています」
「街の復興に際して道の整備も同時に行い、王都や他領への運搬がしやすくなったのもあるでしょう」
案内された応接室で、広げられた資料を見ながら説明を聞く。隣にいるアルコルの表情も真剣で、時折質問を交えながらデルタ領についての説明は順調に進む。
ミモザも頷いたり相槌を打ちながら話を聞いていた。
「さっき、遠くに大きな帆船が見えましたね」
「そうですね、港が広がったので以前よりも大きな船が寄港してもらえるようになりました」
「ただ」と同席していたルーカスが言葉を区切る。
「まだ観光客の足は戻りきっていないというのは感じますね」
観光業で生計を立てていた領民が多いため、流通だけでなく観光地としての宣伝や政策を望む声も多いという。
「殿下方には視察を兼ねて、街を観光して頂きたいのです」
「はい。それも今回の目的ですね。楽しみにしています」
頷いて微笑むと「どこか気になる場所などはありますか」と問われた。
「そうですね……遠くに見えた大きな船は近くで見てみたいです。メグレズ様のおすすめなどはありますか?」
「俺は……高台から海が見える場所があってそこからの景色は、特に陽が沈む時間帯などは圧巻だと思う」
「わぁ、それは見てみたいわ」
珍しく頬を緩めて記憶を辿るように話すメグレズの様子に、ミモザも嬉しくなって自然に口角があがる。しかしそれを遮るように重々しいため息が目の前から吐かれたのが分かった。
「碌に帰省もしないから自領のことが分からないのだろう。あんな何もないところを殿下方に勧めるなど……」
伯爵の口から出た「嘆かわしい」という呟きにメグレズの表情が凍るのが分かった。
「そんなことはありません。私、海を見ること自体ほとんどが初めてなので素敵な景色を楽しめる場所にとても興味があります」
ミモザにとってもメグレズは大事な友人で。家庭内の事情に首を突っ込むのは良くないとは思いつつ、メグレズを傷つけるような言葉に内心で少しむっとするが、笑顔で返答する。
「景観の良い場所というのは老若男女関係なく好まれますから」
ミモザの内心を汲んでティティアも同じ答えを推してくれた。
「ましてや今回は婚約したばかりの殿下方が訪れるのですから、かなり話題となるのでは?他領では恋人同士が訪れると幸せになると謳っている場所もあるくらいですよ」
「そうね、好きな人と見られたら一生の思い出になるでしょうね。それに思い出の場所って、記念日や節目で何度も訪れたくなるわよね。私もアルと見られたら嬉しいわ」
なんとかこの空気を払拭したくてティティアの言葉に乗って言うと、隣から言葉を詰まらせたかのような唸り声が聞こえた。反射的に隣を見上げると片手で口元を覆い赤い顔で俯くアルコルの姿が見えて、先程の自分の発言に気付く。
「っ……あ、あの、今のは一般論でもあって……!」
「私も、貴女と見られたらいいなと思うよ」
告白まがいの発言に慌てて言い訳をしていたミモザに赤い顔のまま小さく噴き出したアルコルは笑ってそう言った。恥ずかしくて呻き声をあげて黙り込んだミモザの後ろでは、笑みをかみ殺すティティアとメグレズの姿が見えた。
「本当に仲がおよろしいのですね」
赤面したミモザ達をフォローするようにルーカスが言い、街へ出るのは昼食後にしてと、その場の話は終了した。
一度アルコル達と別れて宛がわれた部屋へ戻ると、ふっと体の力が抜けてソファに沈む。背もたれに首を傾げて凭れると、ふわりと香る紅茶の匂いに気付いた。
「疲れましたか?」
「ううん、疲れたというよりは……情けなくて」
身を起こしてきちんと座りなおす。
「メグレズ様の力になりたいけれど、空回りしちゃったなぁって」
ミモザ達が心配していた以上に、メグレズと家族との溝が深いことは見て取れた。お互いに歩み寄れないまま月日が経ってしまったそれを修正するのは容易ではないことも。
家族間の問題であり、他人であるミモザ達が踏み入れるようなものでもないことも分かっていたからこそ、せめてフォローできればと思ったのに結局人前で惚気ただけになってしまったのは痛かった。
「そんなことはないですよ。メグレズは笑っていましたし」
「ティアもでしょう?」
「?……私、笑っていましたか?」
「ふふっ」
自分が笑っていたことを自覚していないティティアが可笑しくて笑みをこぼす。手際よく紅茶を淹れたティティアはカップをテーブルへ並べた。ふんわりと湯気がゆるく立ち昇るカップを両手で支え一口飲むと、じんわりと体が温まっていく感じがした。
目の前に同じくカップを持って座ったティティアは首を傾げた後、同じように紅茶に口をつけた。最初は渋られたが、二人きりの時は友人のようにしてほしいと言い続けたことが最近は浸透していて嬉しくなる。
絶対的に譲らないことは職務を貫くところもティティアの格好良いところでもあるが、こうしてミモザが少し弱っている時は無意識にそれを叶えてくれるのが優しいと思う。
「ティアは知っていると思うけど、私の家も事情があってね、お父様と向き合えないメグレズ様の気持ちも良く分かるの」
どんなに酷いことをされても、家族だから。いつかきっとこっちを見てくれるんじゃないかという期待を捨てきれなくて。でもかけ離れていく現実に心はどんどん荒んでいって。信用できないのに心底嫌いになることもできなくて。
いっそ見限ることができたなら楽なのだろうとも思う。それをしないのは純粋にもう何を言われたとしても元の関係には戻れないという諦めのような思いなのかもしれない。
「ティアは家族とは仲が良い?」
「悪くはないですが、最近は婚約の話ばかりされるのでうんざりしていますね」
ため息を吐くティティアにミモザは目を丸くする。
「婚約の話が出ているの?」
「父が勝手にお見合いを決めてくるのです」
正式にミモザの侍女に任命された頃から急にそういう話が増えたと話すティティアにミモザは申し訳なくて眉を下げる。おそらくそういう話が出るのはミモザのせいであるからだ。それに気付いたティティアは苦笑して「ミモザのせいではありませんよ」と言う。
「貴族に生まれた以上は義務のようなものですし、遅かれ早かれの問題です」
「ただ、私の都合や事情を考えず押し付けてくるのが鬱陶しいのです」とティティアは紅茶のカップをテーブルへ戻す。
職務についたばかりでまだ慣れていないこともそうだが、領地が遠く王都での勤めに不便さが勝る相手だったりと、頭が痛そうに眉根を寄せたティティアが語る。珍しく饒舌な相手の様子に相当腹に据えかねているのだろうなというのがわかった。
「私とて都合の良い相手なら文句は申しません」
「都合だけでは選んでは駄目よ」
合理性だけで結婚相手を選びそうなティティアに苦笑して、隣に行って座る。
「義務だとしても、ティアが自分らしくいられるような人と出会えたらいいわね」
「私らしく、ですか?」
貴族の婚姻が当人同士の感情や綺麗ごとだけでないことは承知だが、それでも友人には幸せになってもらいたいと思う。
「ティアが私を大事にしてくれるように、もっと自分のことも大事にしてほしいわ」
「自棄になっているつもりはありませんが……」
「そうね、でも最終的に私のためだと言われたら頷いてしまいそうだから」
付き合いはまだ浅いが、真面目なティティアが真剣にミモザのことを考えてくれているのが分かる。だからこそいざという時にミモザを優先してしまいそうな危うさも感じていた。
「それは否定しません」
「ふふっ、それは否定してほしいわね」
迷うことなく言い切ったティティアに再度苦笑したミモザは「ティアが納得できるような相手なら私も応援するわ」と言った。どこか難しい顔で考え込んだティティアの腕を宥めるようにぽんぽんと叩く。
話の途切れたタイミングでノックが響く。立ち上がったティティアが応対に出ると昼食の用意ができたという報せだった。
「行きましょうか」
立ち上がったミモザは、今度は失敗しないようにと頬をぺちぺち叩いて気合を入れなおす。
「ミモザはそのままで大丈夫ですよ」
思わず言われた言葉にティティアを見る。ふいっとそらされた視線はどこか照れくさそうで。
「ありがとう」
返された小さな「どういたしまして」が微笑ましくて、どうかこの優しい友人が幸せになってくれますようにと思った。




