先へ
どうやって、クリーニング代、払えばいいんだ?
本の会計は済んだが、このまま帰っていいのかも分からなくなり、店内入り口近くの賑やかなコーナーでウロウロしていた。あのプチ情報でチャラか。
そう思うことにして、店を出る。
さすがに週末は賑やかだ。今のオレには、ちょっと騒々しすぎて、このまま早く帰ろうと思った。
哲学について考えたかったのに、それ以前の、もっと身近な問題をも考えなければならない。
店を出て駅に向かおうとしたところで、
『いた!待って。』
と後ろから声を掛けられた。店で着けていたエプロンは、もう身に付けていなかった。
『ちょうど、バイト、終わる時間で。』
本屋自体は九時くらいまでやっているはずだが、彼女はバイトで、七時で終わりだったらしい。
『会えて、良かった。』
店から急いで出てきたらしく、少し息が上がっていた。
やっぱり、クリーニング代は払って欲しかったのか、それとも田島情報が欲しかったのか、両方か。複雑な気持ちで財布を出し、
『クリーニング代って、いくらくらいかな?』
そう聞くと、彼女は少し驚いた表情で、
『あ、ごめんなさい。冗談で。服は少し濡れたけど、全然、大したことないし。普段着なんで、普通に洗濯して、大丈夫でした。』
そうか、それなら田島情報を収集したかったから、わざわさ追いかけてきたのか。そう確信し、彼女から聞かれる前に教えてやろう、と
『アイツは、田島、田島康平。二十九歳。身長は、』
『あの、それは、あの大きい人?彼女いないって。』
『そうそう。紹介しようか?アイツの好きなタイプまでは知らないけど、』
『え?いや、あの、あの人には別に興味はないんですけど。』
驚いた。田島に興味がない女なんか、いるんだ、と。変わった子だと思っていたら、
『私は、なみ、っていいます。お名前、聞いてもいいですか?』
オレ?青天の霹靂って、こういう事を言うのか。だがしかし、女の方から聞かれて、うろたえるわけにはいかない。オレの慌てぶりを出さないように、出さないように、と言い聞かせながら答える。
『オレは、貴之。松本貴之、二十九歳。』
彼女が笑う。
『私は、二十二。この四月から、社会人です。』
良かった。“何歳に見える?”って質問をされたら困る所だった。いつも自分の見当とはだいぶ違うから、人を見る目に自信がなかった。
それで?これからどうすりゃいいの?
今まで、ちゃんと彼女がいたことだってある。それなりに経験は積んできた。だからって、それと、今の状況とはまた別の話で。
何を、どう進めていいか分からず、出した財布を手にしたまま、彼女の次の言葉を待った。
『もう、会えないかと思ってたから、ほんとに、良かった。』
オレの足元を見ながら彼女が言う。
こんな事なら、もっとちゃんとした格好してくるんだった。
身なりに気を付けろって、散々言われ続けてきて、肝心な時にヨレヨレなんて。だから、オレはダメなんだよ。
仕事帰りなら、いつもスーツだし、そこはちゃんとしてたけど。
そんな後悔が頭を埋め尽くしていたが、彼女は、そんなオレの思いは知るよしもなく、言葉を続ける。
『明日でもう、ここでのバイトも終わりだったから。』
本屋の方に目を向けて、寂しそうに言う。
かと思ったら、急に明るい表情でオレの顔を見て
『あの、お腹、空いてませんか?』
初の逆ナンとも言うべき状況だったが、ここだ!と思い、彼女の話に乗る。
『なら、服、汚しちゃったお詫びに、奢らせてもらえるかな。』
オレだって、やればできる。七つも下の女の子に、リードさせるわけにはいかない。男のプライド、と言うよりは、年下の女の子に恥をかかせるようなことは、しちゃいけない気がした。
かなり緊張はしていたが、彼女だって、きっとそうなんだ。
さっきまで、騒々しくて、早く帰ろうと思っていた街の賑わいは、急に楽しいものに変わり、自分もその賑やかさを作り出す一員になろうとしていた。
“あぁ、神様ごめんなさい。一年半前、当時の彼女にフラれた時、もう一生独りでいいや、なんて、思ったのはウソです。こんなチャンスが巡ってくるなんて、あの時は思いもしなかった。オレにも、チャンスがあるんなら、それを掴むチャンスを下さい!!”
都合の悪い時と、願い事をする時にしか登場しない神様に言い訳をして、心の中で叫ぶ。
この子がオレの好きなタイプかどうかとか、可愛いのか、どうなのか、もはやどうでもいい。女なら誰でもいい訳じゃなく、きっと彼女は、繋がる事が決まっていた“点”なんだと思えた。運命なんて言葉は好きじゃない。だけど初めて、これは運命なんだ、と思いたかった。




