↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
池  <第1部>  作者: M:SW
PR
13/30

覚悟

“書く時間が無くなるんじゃないか”

福祉部門への異動について考えていると、浮かんでくるのはそれだけだった。


結局、書きたいんじゃないか、オレは。

“彼”に近付くことは出来なくても、書く事は出来る。

作者・オレ、読者・オレ。

それでいいんじゃないか。


誰かに、何かで認めて貰いたい。そんな承認欲求が、あのヘドロだったんじゃないだろうか。

大それた承認を求めなければ、ちょっとづつなら、認めてくれる人がいる。他人に興味がないフリをして自分から人を遠ざけておいて、そんな事にも気付かず、どんどんひねくれて、ゴミとヘドロを溜め込んでしまっていた。

今はきっと、考え込む時期なんだ。

何かにつけて考えすぎるくせに、自分自身の事なんて、考えてなかった。自分の弱さを認めるのが怖かっただけだろう。


池の底の撤去作業が、ようやくできそうな気がした。


頭に思い浮かんだ事を書く。たったそれだけの簡単な事。

何を難しく考え込んでしまったのか、一人で笑えてきた。

机に向かい、座ってまたゆっくりとノートを開く。

何なんだろう。登場人物は、老人と少年だ。この少年は、自分なのかも知れない。

彼の歌に背中を押されたように思っていたが、そうじゃない。

十歳の頃のオレ自身が、扉の向こうにひっそりと身を潜め、飛び出す瞬間を伺っていたんだ。あの人の歌も、彼の歌も、単なるきっかけにすぎなかった。


あの頃のオレの方が、良いものが書けたんじゃないだろうか?

沢山の本に刺激され、想像し、世界は無限に広がっていた。それなのに、大人になるにつれ、世界は広がるどころか、どんどん狭くなる。想像力は、経験が足かせになり膨らまない。

そうか、これ以上世界が狭くなる前に、想像すらできなくなるほど頭のかたい大人になる前の、今がギリギリのタイミングだったのか。


狭くなり、縮こまった細胞なりに、ノートに向き合い絞り出す。今ならまだ間に合う。


あの涙の訳を理解し、三日ぶりに彼の歌を聴いてみた。

たった三日しか経っていないのに、懐かしく感じる。

あぁ、やっぱり天才なのかな。とことん彼を受け入れようと思った。

彼の全てが羨ましい。それを認めるのが怖くて“いや、人間性はオレの方が上かもしれないし”なんて、比べようのない所で上に立とうとしたが、そんな張り合いは辞めた。

頑張れ、なんて一言も言ってないのに、応援してくれていると感じる。その言葉の選び方、使い方、歌い方、更に声。この全てで前に進む事を応援している。

単なるきっかけだった“点”はその先に進むための重要な“点”で、きっとこれからのオレの人生の“起点”になる。そんな風に思えた。


少年と老人は再び動き出した。


ボールペンと紙、収集も書くための下準備だったんだと思える。オレはコレクターじゃない。集めて飾って眺めているだけで良いわけない。

最適な摩擦は、書くことを更に後押しする。


書く事と、読む事聴く事は、ワンセットになっていた。

読んでいた哲学の本は、哲学者について書かれた物がほとんどで、実際にその哲学者が論じた本ではなかった。当然、その哲学者がどんな思想で、どんな結論に至ったかについて書かれてはあるが、そこには筆者の思想が加わっている。誰かの思想が加わっていない、その物を読みたい、と思った。今の自分の頭で、理解できるかどうかは分からない。優しく解説されている物でさえ、頭が沸騰しそうになるのに、解説無しには“読み物”として成立しないかもしれない。それでもやはり興味の方が勝り、日が暮れかけてきた時間帯ではあったが、本屋に行きたくなった。

仕事帰りにしか行った事がなかったが、土曜の夕方に出掛けてみることにした。

前の彼女と別れて以降、土曜の夜に出掛けるなんて、親か姉に頼まれ事をされた時だけだった。


土曜の夜の本屋は、何時もよりは人が多かったが、それでもやはり、周りの喧騒からはかけ離れた空間だった。

すぐに“哲学”と書かれたコーナーへと向かう。入ってすぐの賑やかなコーナーとはまた更に別世界のような静寂の空間だ。コーナーとコーナーの合間に置かれたソファーには、静かに本を読む人が座っている。

今日は直感ではなく、本の表題をじっくり見ていた。

やっぱり無理かもしれない、などと弱気になり、横に横にズレつつ、別のコーナーへと移動していた。

目に留まったのは“福祉”の文字だった。

『あぁ』

がっかりしたため息が、思わず漏れた。

そうだった。これもまた、考えなければならない事だった。

取り敢えず、目に留まった本を手に取る。全く興味が持てず、開いてみる事もせず、そのまま元の場所に戻す。これはまた、後日にしようと、また哲学のコーナーへ戻る。


何時もよりは時間がある。ゆっくり棚の上段右側から一冊ずつ取っては中を少し読み、また戻す。そんな作業を続けていると、視界の片隅に、本を整理する店員の姿が見えた。いや、オレはちゃんと元に戻してるぞ、などと思いつつ作業を続けた。店員が近付いてくるが、気にしないようにしていると、視界に入った物に、思わず店員を見た。

本を整理するその手、これか!と、疑問が解けた喜びと共に、コケて迷惑を掛けた恥ずかしさが同時に押し寄せた。

顔よりも、この手、手の甲のホクロに見覚えがあったのは、本にカバーをつけてもらっている時に、何度か見ていたからだった。

彼女は、オレに気付いていたようで、オレが顔を向けた瞬間、

『あの後、大丈夫でした?』

と、いたずらっぽく笑った。

恥ずかしさが更に増幅して、顔が熱くなるのが自分でも分かった。赤くなんかなっていたら、益々恥ずかしい。確認のしようがないため、努めて冷静に応対する。

『あの時は、本当に、すいません。服、濡れたりしませんでした?』

『ちょっと、濡れました。』

『いや、ほんと、マジ、ごめんなさい。弁償します。』

ちょっと焦るオレを面白がるように、

『じゃ、クリーニング代、貰っちゃおうなかな。』

と笑って、更に追い討ちをかけてくる。

『でも、あの背の高い人が心配してくれて、皆、喜んでました。』

やっぱり、そこね、そうだよね。

『アイツ、今、彼女いないよ。』

お詫びのつもりでプチ情報を提供する。

『いや、私は。あ、ちょっと戻ります。』

そう言って会計のある方に消えてしまった。


自分の中で、この出来事をどう収拾をつけていいやら分からなかった。これ以上、ここに居ることは出来そうになく、手に持っていた本を持って、会計の場所に向かった。彼女を追った訳じゃないが、会計の所には姿はなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。