第18話 西街道の消えた使者
戻ってきた馬の右後脚には、深い切り傷があった。
アルベリクの懸念は、最悪の形で当たっていた。
王都にいる彼が知り得たのは、囮の箱が予定日を過ぎても到着しなかったことだけだ。だから遅延か襲撃かも断定せず、こちらの街道を確かめるよう早馬を寄越した。
返書が届き、今度は血のついた馬が戻った。使者が自分で手綱を放したとは考えにくい。
獣医が洗い流すと、傷口から黒い泥と細かな白い石粉が出てきた。蹄鉄には枯れた蔓が絡み、腹帯の金具は片側だけ新しく曲がっている。
「刃物ではありません。石か、壊れた柵へ脚を突っ込んだのでしょう」
獣医は馬を落ち着かせながら、白い石粉を指で潰した。
「石灰です。西街道でこれほどつく場所となると、古い焼窯の辺りかと」
門番の一人が声を上げた。
「街道から外れた窯跡なら、荷馬車を隠せます。北側に水抜き溝もあります」
西の林はすでに影へ沈み始めていた。地図へ落ちる窓枠の線も、見る間に薄くなっていく。
私は西門の詰所へ領内の地図を広げた。
馬が戻ってきた方向。血が乾いている程度。蹄へ詰まった泥。誰もが別々のことを言い、地図の上には指と影が重なった。
「窯跡へ全員を向かわせるのは危険です」
護衛隊長のガーランドが言った。
「囮かもしれません。街道沿いの林と川筋にも人を出します」
「屋敷の守りは減らせないわ」
「承知しております。猟師と炭焼きにも声をかけます。道を知る者を案内役にして、兵は小隊に分けます」
私は捜索へ同行しなかった。
地理を知らない人間が暗い林へ入り、護衛を二人も三人も自分へ縛りつければ、見つかる者も見つからない。前世でも、事故現場へ責任者全員が走り、連絡を取る者がいなくなったときほど混乱は大きくなった。
詰所へ伝令を残し、各隊には、携えた松明の半分を使い切るまでに痕跡がなければ戻るよう命じた。窯跡で人を見つけた場合は緑の信号弾。敵と接触した場合は赤。暗闇の中で手柄を競わせるつもりはない。
「生きている人間を探すのが先です。木箱は捨ててかまいません」
ガーランドは短く礼をし、捜索隊を率いて門を出た。
◇
待つ時間は、ひどく長かった。
空が暗くなるにつれ、詰所へ戻る報告は短くなった。
川筋、痕跡なし。
街道南の林、荷車の轍あり。三日前の雨で崩れて追跡不能。
西の料金所、夜番が不在。帳面だけが残され、当日の通行記録が一頁切り取られている。
私は報告を一枚ずつ時刻順に並べた。
ベルタは厨房から硬いパンと塩漬け肉を運ばせ、戻った者へ食べさせている。新しい松明が束で届き、濡れた外套が壁際へ積まれた。
西の林の輪郭が夜へ塗り潰され、詰所の窓が内側の灯りを映すだけになったころ、木々の向こうで緑の光が上がった。
一度だけ、木々の上を照らし、すぐ消える。
「窯跡です」
伝令役の兵が、替え馬へ飛び乗った。
私は別邸の医師を呼び、担架と湯、止血用の布を用意させる。何を見つけたのかは、まだわからない。生存者ではなく、遺体を示す合図だった可能性もある。
入口の松明が一度新しいものへ替えられたあと、二頭の馬と荷車が戻ってきた。
荷台の担架には、男が一人横たわっていた。
西街道へ箱を運んだ使者、エドガーだった。
顔の右側が腫れ、額には乾いた血がこびりついている。外套は失われ、シャツの袖が肘まで裂けていた。
それでも、息はあった。
「奥様、話はあとです」
医師は私を担架から遠ざけた。
「頭を打っています。今は眠らせます」
私は頷き、医師と施療所の者たちへ道を空けた。
ガーランドは泥に汚れたまま、詰所へ入った。
「窯の水抜き溝におりました。石板の下へ自分で潜り込んだようです。呼びかけにも答えず、犬が血の匂いを拾わなければ見落としていました」
「襲撃者は」
「すでに消えています。窯の中に焚火の跡と、割られた木箱がありました。種の目録は焼かれていましたが、箱の蓋だけ回収しています」
「血は?」
「溝まで続いております。量は多くありません。エドガーのものか、ほかの者のものかは、まだ」
ガーランドは油布で包んだ小さな物を、記録台の端へ置いた。
「もう一つ、窯の入口近くで見つかりました。犬が泥を掻いた下に落ちていたものです。誰にも素手では触れさせておりません」
油布の内側には、泥と乾いた血に覆われた薄い銅板があった。
「今は、そのまま封じて」
何の札なのか確かめるのは、明るくなってからでいい。
捕らえた者はいない。
顔を見た者もいない。
命が戻ったことに安堵しながら、何ひとつ解決していない現実が詰所へ残った。
「捜索隊を二組だけ夜番に残し、ほかは戻して。窯跡は明るくなってから改めます。足跡を踏み荒らさないよう、入口を封鎖してください」
「はっ」
ガーランドが出ていったあと、私は施療所へ向かった。
◇
厨房の火が落とされ、廊下を行く者の足音まで少なくなったころ、エドガーが意識を取り戻した。
医師が質問を許したのは、名前と水が飲めるかどうかを確かめたあと、ほんのわずかな時間だけだった。
「箱は……」
エドガーは腫れた唇をほとんど動かせなかった。
「囮です。本物は王都へ届いています」
瞼の間から見えた目が、こちらへ向いた。
「よかった」
息に混じった声だった。
「何人に襲われたの」
「四……たぶん」
「服装は?」
「街道検査の……灰色」
一言ごとに、医師が彼の脈を確かめる。
「料金所で止められました。通行札も、本物で……箱の検査だと」
「なぜ窯跡へ?」
「馬車の車輪が壊れたと。替えを待つあいだ、あそこで……」
そこで咳き込み、言葉が切れた。
「箱を開けて……違う、と怒った。次の箱は、どの道だと……俺は知らない」
「それでいい。知らないことは、渡しようがないわ」
エドガーは何かを思い出したのか、眉を寄せた。
「途中で……一人が、札がないと騒いでいた」
「札?」
「料金所で見せた、銅の……通行証。俺を押さえていたやつの腰を、蹴ったから……そのあと、ない、ないと」
医師が私を睨んだ。
「窯の泥から、銅板が見つかっています。続きは明日でいいわ」
目が閉じかける。
「もう休ませます」
医師が掛布を直し、私たちを寝台から離した。
廊下へ出る直前、エドガーの声がもう一度だけ聞こえた。
「奥様」
振り返る。
「馬は」
「生きています。脚の傷も治せるそうよ」
エドガーは返事をせず、力を抜いた。
◇
銅の通行証には、王領街道監察局の紋章と、発行番号が刻まれていた。
夜が明けてから泥を落とし、領都の古い登録簿を取り寄せた。日が厩舎の屋根を越えるころ、発行番号の照合が終わった。
「名義人は、ガレス・モーン。王領街道監察官です」
書記が読み上げる。
その名を聞いたベルタが、机上の別の帳面を開いた。
マティルダが書いた十二人の名簿。
九番目に、同じ名がある。
私は布越しに銅板を持ち上げた。
薄いはずなのに、指へずしりと重い。縁に詰まった泥は洗っても黒く残り、刻まれたモーンの名の上には、落としきれなかった血が錆のようにこびりついていた。
この一枚を料金所で見せれば、門が開く。荷を止められる。通行記録の頁へ触れることもできる。
王宮の一室で名簿を書く者だけではない。彼らは、荷車の車輪を一つ止める役人にまで、同じ白い花を持たせていた。
「名義人は、盗まれたと主張するでしょう」
ガーランドが言った。
「させなさい。いつ失い、なぜ届け出ず、どうして襲撃の泥の中にあったのか。王宮で一つずつ答えていただきます」
銅板を布へ戻すと、硬い角が卓へ当たり、乾いた音を立てた。
「召喚状にある審問へ、どの道を使いますか」
ガーランドが尋ねた。
机には王都までの街道図が広げられている。整備された西街道。北の修道院道。川沿いの荷運び道。
どれも途中で、王領街道監察局の関所へ接続していた。
私はすぐには答えなかった。
代わりに、領地の運送記録と、季節ごとの市の予定を持ってくるよう書記へ命じた。
運ばれてきた帳面には、野菜を積む荷車、川を下る薬草商、巡回する施療団の予定が、持ち主ごとの癖のある字で書き込まれていた。
敵が街道へ検問の筋書きを用意しているなら、こちらは侯爵家の一行そのものを見えなくするしかない。
「明日の市は、予定通り開いて。門を閉ざして、こちらが怯えたと知らせる必要はありません」
「出発の準備は?」
「五つの宿へ、別々の日付で部屋を取ります。渡し場には馬車二台分の予約を。修道院へは、施療団へ加わる人数を問い合わせて」
「どれをお使いになるのですか」
「今は、どれも使います」
ガーランドが私を見た。
「敵に数えさせる馬車を増やすの。正しい出発日を決めるのは、そのあとです」
書記たちは一つの机で清書せず、別々の部屋へ散った。宿への予約、渡し場への照会、市場へ追加する荷車の許可。互いの文面を知らない使いが、東門と南門から順に出ていく。
日が落ちきる前に、別邸からは三通りの「出発準備」が領内へ流れ始めた。




