第9話 仕事の価値
レオンの家を後にした悠斗は、夕暮れの村を歩いていた。
空は赤く染まり、家々から夕食の匂いが漂ってくる。
だが悠斗の表情はどこか浮かない。
(どうしたもんかな……)
考えているのはレオンのことだった。
別れ際に言われた言葉が頭から離れない。
『今度来るなら改善案はいらん』
『酒を持って来い』
冗談だったのかもしれない。
だが、あの時のレオンは少しだけ楽しそうに見えた。
だからこそ応えたいと思った。
問題は――
(酒なんか持ってへんしなぁ……)
異世界に来てから酒を買ったことなどない。
というより、買い物自体ほとんどしたことがなかった。
そんなことを考えながらエドの家へ戻る。
「帰ったか」
「ただいまです」
返事をする。
だが元気がない。
エドはすぐに気付いた。
「何じゃ」
「難しい顔をしとるのう」
「そうですか?」
「しとる」
悠斗は苦笑した。
隠せているつもりだったが無理だったらしい。
エドは椅子に腰を下ろした。
「レオンと喧嘩でもしたか?」
「いや、そういう訳じゃないんですけど……」
悠斗は少し迷った後、レオンとのやり取りを話した。
少しずつ会話が増えたこと。
価値観の違いがあったこと。
そして最後に酒を持って来いと言われたことも。
話を聞き終えたエドは吹き出した。
「なるほどのう」
「何がおかしいんですか」
「いや、お前さんらしいと思ってな」
「何がです?」
「本気で持って行こうとしておる」
図星だった。
悠斗は頭を掻く。
「せっかく言ってくれたんで」
「律儀じゃのう」
エドは笑った。
「で、どうするつもりじゃ」
「それが問題なんです」
悠斗はため息を吐く。
「酒なんて持ってないですし」
「買えばよかろう」
「お金がありません」
その瞬間、エドが呆れた顔になった。
「あるじゃろ」
「ありません」
「ある」
「ないです」
しばらく無言の時間が続いてしまう。
やがてエドが机の上を指差した。
そこには卵や野菜が並んでいた。
「それは何じゃ」
「卵です」
「こっちは」
「野菜です」
「誰がくれた」
「村の人です」
「何故じゃ」
「お礼です」
エドは深いため息を吐いた。
「同じことじゃ」
悠斗は首を傾げる。
「同じですか?」
「お前さんは仕事をした」
「相手は礼をした」
「それだけの話じゃ」
確かにそう言われると否定できない。
だが悠斗には少し抵抗があった。
「困っている人を助けただけなんです」
その言葉にエドは腕を組む。
「職人も同じじゃ」
「え?」
「家が壊れた」
「だから直す」
「椅子が壊れた」
「だから直す」
「杖が必要だ」
「だから作る」
エドは真っ直ぐ悠斗を見る。
「困っておるから助ける」
「それで対価をもらう」
「何もおかしなことではない」
悠斗は黙り込んだ。
介護職だった頃も似たことを考えたことがある。
誰かの役に立ちたい。
助けたい。
だから働いていた。
だが。
「対価をもらうことに慣れてないんですよね」
ぽつりと漏らす。
エドは少し笑った。
「真面目じゃな」
「よく言われます」
「褒めておらん」
どこかで聞いた会話だった。
思わず2人とも笑う。
だが次の言葉は真剣だった。
「お前さん」
「はい」
「助け続けたいんじゃろ」
「もちろんです」
「なら続けられる形を考えろ」
悠斗は顔を上げた。
「続けられる形……」
「そうじゃ」
エドは頷く。
「お前さんが食えなくなったら終わりじゃ」
その言葉は重かった。
助けることも。
支えることも。
自分が倒れてしまえば続かない。
それは元の世界でも同じだった。
⸻
翌日。
悠斗は杖を頼まれていた老人の家を訪れていた。
歩く様子を見る。
立ち上がる様子を見る。
腕の長さを測る。
何度も調整しながら杖を作り上げる。
完成した杖を老人へ手渡した。
老人はゆっくり歩く。
数歩。
また数歩。
やがて顔を綻ばせた。
「歩きやすい」
「それなら良かったです」
悠斗も笑う。
すると老人が小さな革袋を差し出した。
「受け取ってくれ」
中には銀貨が入っていた。
悠斗は慌てる。
「いや、そんな」
「受け取れ」
老人は笑った。
「助かったんじゃ」
「でも……」
「助かったから払うんじゃよ」
その言葉に悠斗は言葉を失った。
エドなら何と言うだろう。
きっと同じことを言う。
少し悩んだ末、悠斗は銀貨を受け取った。
「ありがとうございます」
老人は嬉しそうに頷いた。
⸻
夕方。
悠斗は村の小さな店を訪れた。
人生初の異世界での買い物だった。
店主へ相談しながら果実酒を選ぶ。
銀貨を支払う。
酒瓶を受け取る。
それだけなのに妙に緊張した。
店を出て歩きながら思う。
誰かの役に立った。
対価をもらった。
その対価で誰かのための物を買った。
不思議だった。
だが嫌な気持ちはしない。
むしろ少し嬉しかった。
⸻
翌日。
悠斗は酒瓶を抱えてレオンの家を訪れた。
扉を叩く。
「誰だ」
中から声が返る。
悠斗は少しだけ笑った。
「酒屋です」
数秒の沈黙。
そして勢いよく扉が開いた。
「本当に持ってきたのか」
レオンが呆れたような顔をしている。
悠斗は果実酒を掲げた。
「約束ですから」
レオンはしばらく酒瓶を見つめていた。
やがて小さく笑う。
「面倒なやつだな」
その顔は以前よりもずっと柔らかかった。
悠斗は気付かなかった。
この酒が。
レオンの過去を聞くきっかけになることを。




