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第44話 歩きたい理由

朝の陽だまりの家には、穏やかな空気が流れていた。


エドが木工場の前で鉋をかける音が響き、子どもたちは広場を元気よく駆け回っている。


ベンチではアルバートがカイルたちへ木の削り方を教え、ハナとマーサは花壇の手入れをしていた。


その時、一人の女性がゆっくりと坂道を上ってくる姿が見えた。


白髪をきれいにまとめた、小柄な女性。


年の頃は七十代半ばほどだろうか。


一歩一歩、足元を確かめるように歩いている。


その手には一本の古い傘が握られていた。


晴れているというのに傘は閉じたまま。


それでも、その女性は傘へ体を預けるように歩いている。


「あれ……。」


悠斗は思わず目を向けた。


「杖じゃない。」


女性が集会所へ近付いたところで、小さく足を止める。


「ここが『陽だまりの家』かい?」


「はい。」


悠斗は笑顔で迎えた。


「ようこそ。」


女性はほっとしたように笑う。


「私はクララ。」


「近くの村から来たんだよ。」


「話を聞いて、一度来てみたくてね。」


ゆっくりと歩き出したその時、傘の先が石に当たり、小さく滑った。


体が少し揺れる。


悠斗は反射的に手を差し伸べた。


「大丈夫ですか?」


「ありがとう。」


クララは照れたように笑う。


「最近は足が言うことを聞かなくてね。」


皆でベンチへ案内すると、クララは大きく息をついた。


「ここまで来るだけでも一仕事さ。」


マーサがお茶を差し出す。


「まずは一息つこう。」


「ありがとう。」


温かい湯飲みを両手で包み込むクララの表情は、どこか安心したようだった。


しばらく世間話をしたあと、悠斗はそっと尋ねる。


「歩く時は、いつもその傘を使われているんですか?」


クララは当然のように頷いた。


「もう何年になるかねぇ。」


「ずっと一緒さ。」


悠斗は傘へ目を向ける。


布地は少し色あせ、持ち手には長年使い込まれた跡がある。


先端も少し削れていた。


「杖は使われないんですか?」


その問いに、クララは少しだけ困ったように笑う。


「皆にもよく言われるよ。」


「でもね。」


そう言って、そっと傘の持ち手を撫でた。


「私はこの子がいいんだ。」


その言葉に、悠斗はそれ以上何も言わなかった。


昼食のあと。


クララが庭を歩いていると、子どもたちが駆け寄ってきた。


「おばあちゃん、その傘かわいいね!」


リナが興味津々で覗き込む。


「昔はもっときれいな青色だったんだよ。」


クララは懐かしそうに笑う。


「雨の日も、風の日も、この傘と一緒だった。」


その様子を少し離れた場所から見ていたマーサは、小さく微笑んだ。


「ずいぶん大事にしてるんだね。」


クララはゆっくり頷く。


「主人が買ってくれた最後の贈り物なんだ。」


その場の空気が静かになる。


クララは空を見上げながら続けた。


「『派手すぎる』って笑ったらね。」


『年を取ったら明るい色の方が似合う。』


主人はそう言って譲らなかったよ。」


思い出すように目を細める。


「それからすぐに病気で逝っちまってねぇ。」


「だから、この傘だけは手放せないんだ。」


悠斗は言葉を失った。


さっきまで見えていたのは一本の古い傘。


けれど今は違う。


クララにとって、それは亡き夫と過ごした時間そのものだった。


夕方。


クララを村の入口まで見送る。


帰り道も、クララは傘を支えにゆっくり歩いていく。


その背中を見送りながら、悠斗が静かに口を開いた。


「安全だけを考えれば、杖を勧めた方がいいのかもしれません。」


マーサは首を横に振る。


「そうかもしれないね。」


「でも、人は心で歩くこともある。」


悠斗はその言葉へ耳を傾ける。


「安全はもちろん大切。」


「だけど、その人が大切にしてきたものまで取り上げてしまったら、その人らしさまで失わせることがある。」


風が静かに吹き抜ける。


クララの後ろ姿は、小さくなりながらも、しっかりと前を向いて歩いていた。


悠斗は小さく息を吐く。


「取り上げるんじゃない。」


「守る方法を考えたい。」


その言葉を聞いたマーサは、優しく微笑んだ。


「それが悠斗らしい答えだね。」


陽だまりの家へ戻ると、エドが木材を削っていた。


その隣ではアルバートが、新しい椅子の脚を丁寧に磨いている。


悠斗は二人のもとへ歩み寄った。


「相談があります。」


「ある方が、杖ではなく、大切な傘を支えにして歩いているんです。」


エドは手を止める。


アルバートも顔を上げた。


「その傘を手放さなくても、安全に歩ける方法はないでしょうか。」


二人は顔を見合わせる。


やがてアルバートが静かに笑った。


「面白い相談だ。」


エドも腕を組みながら頷く。


「道具を取り替えるんじゃない。」


「今あるものを活かす方法を考えるってことだな。」


悠斗も頷いた。


答えは、まだ見つかっていない。


それでも、誰かの思い出を守りながら、安全に歩ける道はきっとある。


そう信じて、三人は新しい挑戦へ向けて歩き始めるのだった。

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