言葉以上の言葉
美佳に連れられてやってきた軽音部の部室は、女だらけだった。
どうやら、男の部員はいないようだ。
そんな女だらけの軽音部で、なぜか…一曲だけ歌うことになった俺を、部員がじろじろ見た。
一応、俺の簡単な紹介が終わると、美佳はいっしょにバンドを組むことになるメンバーに言った。
「こいつは、一曲だけだから…練習は、いきなり合わしてやるぞ」
部室から、隣にある簡易スタジオに移動すると、美佳はドラムセットの中に入った。
「ねえねえ〜」
ベースの綾瀬がチューニングを合わせながら、ドラムセットに近づき、美佳に耳打ちした。
「あの人…美佳の彼氏?」
にやにやしながらきいてくる綾瀬の目の前にあるシンバルを、美佳は叩いた。
「ヒィ!」
耳元でシンバルが響き、綾瀬はドラムから飛び退いた。
「違う!」
それだけ言うと、美佳は前方を睨み唇を噛みしめながら、リズムを刻み出した。
「理子!始めるぞ」
キーボードの前に立つ理子と呼ばれた女の子が頷くと、あの印象的なイントロを奏でた。
どうやら…俺抜きで、練習していたようだ。
バンドはスムーズに、ジョリーを演奏しだした。
「え?」
さすがに、原曲の豪華な感じは出ていないが、バンドサウンドの骨組みはしっかりと出来ていた。
バックのオーケストラ的なアレンジは、キーボードが担い、あとは俺の歌とコーラスが入れば、俺らのジョリーができる。
俺は慌てて、マイクに口を近づけた。
うる覚えの英語で、俺は歌ったけど、カラオケとは違い、案内してくるメロディーがない生演奏は、一度狂えば…曲を見失ってしまう。
心の中で舌打ちしながら、何とか遅れることなく、歌い切ったが、音程がバラバラだった。
「チキショー」
悔しがる暇もなく、
「もう一回!」
後ろで、美佳がカウントを取り、再び演奏を始めた。
「え」
驚いてる暇はなかった。
イントロが終わると、すぐに歌わなければならなかった。
何度も演奏する度に、精度を上げていくバックと違い、 俺は声が出なくなり、歌い切ることができなくなっていた。
もう30回以上は歌っている。
生音の音量に負けないように、張り上げなければならないから…喉の負担は、カラオケなんかと比べものにならない。
「太一!お前の練習は、ここまでだ。明日も、同じことをするからな」
喉が枯れた俺を押し退けるように、ベースの綾瀬がマイクスタンドの前に立った。
これから、彼女達だけの練習となる。
当然だ。
彼女達は、一曲で終わるはずがない。
次の曲が始まる前に、邪魔な俺はスタジオから出た。
ふらふらになりながら、部室を出た俺は…途中、廊下の壁に手を当てて、休んだ。
頭がガンガンした。まだ、音が耳の奥にこもっている。
「歌うことが…こんなに疲れるとは…」
音の塊を全身で感じ、そのプレッシャーに圧倒された。
特に、ドラム。
真後ろから、背中を切り裂くような鋭い音を浴びせられていた。
「ジョリーって…あんな曲だったか…」
俺は後ろから、殺気に似たものをつねに感じていた。
校舎から、よろよろになりながら、飛び出した俺は…裏口を見た。
片桐がいたら、裏口から帰るのだが…。
駅に近い正門に向かって、歩き出した。
片桐も…多分、正門から帰ったと思うし。
とぼとぼと疲れながら、正門に向かって歩き出した俺は、途中で足を止めた。
なぜだろう。
心がざわめいた。
俺は振り向くと、走り出した。
全力で。
どうしてかは、わからない。
そんな気がしたのだ。
何時に練習が終わるか、わからないのに…。
彼女がいる気がしたのだ。
待ち合わせもしていないのに。
俺は…足がもつれて、転倒しそうになりながらも、裏口へ走った。
「はあはあはあ…」
激しく息をしながら、裏口を通ったけど、片桐はいない。
俺は、キョロキョロと周りを探した。
すると…。
「なんだあ〜。元気そうじゃない。初日だから、しごかれているかと思ったのに」
後ろから声がして、俺が振り返ると、 笑顔の片桐がいた。
「はい」
そして、手に持っていた健康飲料水の缶を俺に向かって、投げた。
「音楽って、意外と体力使うのよねえ」
「あ、ありがとう」
受け取った缶を、俺は見つめた。
片桐は腕を組み、俺に近づいてきた。
「今日だけだからね。待ってるのは」
「ああ」
俺は缶を開けると、
「いただきます」
一気に飲み干した。
水分がなくなっていたようで、俺は缶の中身を一気に飲み干した。
まだ飲み足りないような俺に微笑むと、片桐はそばに来て、腕を絡めた。
「どこかで、休みましょうか?」
「あ、ああ」
片桐から積極的に腕をとられて、俺は焦ってしまった。
そんな俺がおかしかったのか…片桐はさらに密着すると、
「変なとこじゃないからね」
耳元で囁いた。
「な!」
真っ赤になる俺に、舌を出した。
そして、優しく笑いかけると、
「行きましょう」
駅の方へと歩き出した。
「そ、そうだ!駅前に、ケーキの美味しい店があるって」
まだ動揺している俺を、片桐は軽く睨み、
「あたしを太らす気?」
「ち、違うよ」
そんな会話を続けながら、俺達は歩いていった。
いつのまにか…人目を気にしなくなったことに、 互いに気づかずに…。