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お嬢はやけにぐいぐい来る  作者: 狐白雪
第三章 失った過去、守りたい今
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48.名前を呼んで

 布団で口許(くちもと)を隠しながら潤んだ瞳の上目遣いでそう言われ、咲希(さき)は思わず息を呑む。


 いくら人格が欠けている咲希とはいえ夏愛(なつて)相手にこんな状況で断れるはずが無かった。


 「分かり、ました⋯⋯」と二つ返事で了承したのだが、夏愛はまだ不服そうな視線を向けている。


「その敬語もやめてください。⋯⋯私には敬語なのに、望冬(みふゆ)ちゃんとか傍武(はたけ)さんとか、咲希くんと普通に話しててずるいです」


 いつの間にか望冬のことを名前のちゃん付けで呼ぶようになっている事や(よど)まずに咲希の名前を呼んでいる事は一旦置いておいて、案外可愛らしい理由を主張する夏愛に頬が緩む。


「本当にいいんですか?自分で言うのも何ですけど、敬語外したら僕結構口調荒いですよ」


「いいです。私だって咲希くんの素の喋り方くらい知ってますし」


 一応確認のため尋ねてみたところ大丈夫そうだと判断した咲希は小さく息を吐いた。


「なら出来るだけ⋯⋯善処します」


「⋯⋯します?」


「⋯⋯善処、する」


「よろしい」


 出会って一ヶ月程度しか経っていないのにこの話し方をするのは違和感しか無いのだが、どのみち今更引き返せはしないかと苦笑する。


 それに夏愛が嬉しそうならいいかと若干危ない思考になっていると、ちょいちょいと袖が引っ張られた。


「さ、咲希くん⋯⋯」


「はい?」


 呼んでおきながらもじもじとするだけで何も言わない夏愛に首を傾げていると、彼女は決心したかのようにこちらの目を見た。


「な、名前⋯⋯呼んでもらってもいいですか⋯⋯?」


「名前?誰の?」


「その⋯⋯私の⋯⋯」


「あぁ⋯⋯、えっと⋯⋯」


 無意識のうちに視線が横に泳いでしまう。お互い名前で呼ぶのを了承したとはいえ、いざ実際に呼ぼうとするととてつもない羞恥心が湧いて思うように口が動かなくなる。


 ちらりと夏愛を見やると期待半分緊張半分といった面持ちが目に入ってしまいもはや逃げ場は無いと理解する。ここまで来たなら腹を括らなければならないだろう。


(ええい!ままよ!!)


 ゆっくりと息を吸い、意を決してその言葉を形にする。


「──なつ」


他人(ひと)の部屋でいちゃつくのやめてもらえる?」


「うわあっ!!?」


「み、望冬ちゃん!」


 突然の声に飛び跳ねた心臓の辺りを押さえながら慌てて振り返ると、襖の隙間からジト目でこちらを覗く望冬と目が合った。


「⋯⋯そんなにびっくりしなくてもいいじゃない。これで結構傷つくんだけど」


「それは⋯⋯ごめん⋯⋯」


 変わらないジト目で望冬本人の繊細な部分をカミングアウトされた咲希は平謝りするしかない。


 何だかつい一時間ほど前にも全く同じような事があった様なと思っていると、ふと夏愛が何かに気付いたように声を上げた。


「⋯⋯咲希くんすみません、本当はもっとお話したかったんですけど⋯⋯少し用ができたので望冬ちゃんとふたりきりにさせていただけませんか?」


「⋯⋯?」


 その申し出に咲希は一度目をぱちくりさせて──。



「お。追い出されたか」


 玄関から外に出た咲希はすぐ横から聞こえた声にびくりと肩を揺らすと、静かに扉を閉めてから口を開いた。


「何だショーか⋯⋯ずっとここで待ってたのか?」


 壁に寄りかかるようにして立っていた金髪糸目は小さく笑って片目を瞑る。


「まぁな。ちなみにサッキーは何で俺がここにおるんか聞かんでええんか?」


 その問いかけにため息をついた咲希は傍武と同じように扉に寄りかかる。


「⋯⋯今更聞くまでも無いというか、何となくそんな気はしてたからな」


 望冬が計画したらしい一連の誘拐の方法は、最初に大学内部の協力者が必要不可欠という難点があった。


 キーワードの書かれたメモ用紙は一般開放された誰でも立ち入れる場所だけに設置されていたため関係ないと思うが、ウリ坊(掲示板)という部外者には使い勝手の悪いものを利用するには大きな壁となったはずだ。


 傍武は咲希と特に親しいため最初の段階で犯人の候補から外してしまったのだが、よく考えてみれば『咲希の過去』と『夏愛との関係』を知っている大学内部の人物という条件にはドンピシャで当てはまっていた。


「サッキーが熱で休んだ日に食堂で急に話を持ちかけられてな。事情を聞いたら断れんかった。⋯⋯俺が最初から断っときゃサッキーは病み上がりで無理せんで良かったしそんな怪我もせんかった。何もかも俺のせいじゃけん責めるなら誰よりもまず俺を責めてくれ」


 本当に珍しく頭を下げた傍武に咲希はふっと笑う。


「いいよ、全然気にしてない。これくらいほっとけば治るし。それに、止めなかったのはショーが大丈夫だと判断したからなんだろ?だったら⋯⋯」


 そこでふと言葉を切った咲希は「やっぱり何でもない」とだけ言って顔を逸らした。


(⋯⋯だったら僕が心配することはひとつも無い、だなんて正面切って言える訳無いよな⋯⋯)


『──い⋯⋯』


「ん?」


 恥ずかしい思いをしなくて良かった、と胸を撫で下ろしていた時、咲希の耳が何かを捉えた。


「ショー、何か言った?」


「いや?なんも言ってないけど」


『⋯⋯ない⋯⋯』


 傍武も違うと言うのなら気のせいかとも思ったが、間違いなく何かが聞こえている。


 咲希がもう一度耳を澄ませた瞬間、バン!という大きな音と共に隣の部屋の扉が勢い良く開いた。 


「──私が出るタイミングが無い!!」


 こちらの視界を遮っていた外開きの扉が閉じるとまずセミロングの茶髪ローポニーテールが目に入り、咲希の脳内で一人の女性の名前が浮かんだ。


「つ、都築さん⋯⋯?」


「やほ、お久だね河館(かわだて)くん。見たところ元気そうでよかった!」


「えっと、どうしてそこから⋯⋯」


「どうしてって、ここ私の家だし」


「え?家?」


「うん、家」


 互いに目をぱちくりさせていると、(かすみ)は何かに気付いたように口に手を当てた。


「聞いてない?⋯⋯というよりもしかして覚えてないのかな。昨日河館くんがここに来た時のこと」


「昨日⋯⋯?昨日は確か、ここに来て⋯⋯立ちくらみがして階段から落ちそうになって、それで⋯⋯、あれ⋯⋯」


 断片的には覚えているが、時系列がバラバラになっていて上手く繋がらない。咲希が眉を寄せていると霞が小さく「OK、説明する」と呟いた。


「君は昨晩そこの階段から転落しそうになったのをたまたま(・・・・)私の部屋の玄関にいた夏愛ちゃんに助けられて、その後傷の手当てまでして貰いました。以上」


「⋯⋯⋯⋯、え、以上?」


「うん以上。ごめんね?色々あってこれ以上は口止めされてるから言えないんだよね。後で夏愛ちゃんにでも聞いてみて。それじゃ私行かなきゃいけないから!」


「え、ちょっ」


 手短過ぎる説明をした霞が咲希を押し退けるようにして望冬の部屋に入って行くと、程なくして中から「夏愛ちゃん望冬ちゃん、おねーさんが来たよー!ってわあ望冬ちゃん!?ああもうこっちおいで泣くならおねーさんの胸で泣きなさいほらぎゅーっ」という声が聞こえてしまい咲希の心がずんと重くなる。


(⋯⋯やっぱり無理してたのか⋯⋯)


 望冬が元気そうに見えたのはただ単に虚勢を張っていただけであり、本当の所は深く傷付いていたのにそれを咲希に悟られないようにするため無理して笑っていたのだろう。


 咲希よりも何倍も他人の心に鋭敏な夏愛はその事に気付いてふたりきりにして欲しいと言ったのだと遅れて理解した。


 しかしだからと言って咲希が動いても状況は好転するどころかむしろ悪化するだけというのは流石に分かっているため、ここは同じ女性である夏愛と霞に任せるのが一番良いはずだ。


(また今度⋯⋯しっかり謝らないとな⋯⋯)


 そう心に決めた時、ふと横から暗いオーラを感じて視線を向けるとそこには笑顔のまま固まった傍武がいた。


 「ショー⋯⋯?」と呼び掛けるとゆっくりとこちらに顔が向く。


「⋯⋯俺ガン無視だったんじゃけど⋯⋯間におったのに⋯⋯」


 咲希が何とも言えない表情を浮かべると傍武はふと壁から背中を離して一歩前に出た。


「まぁええけど。そもそも昨日の時点で話すことは話しとるけんな。⋯⋯あそうだ、ちなみにサッキー、俺から言える範囲で言っとくと、倒れたサッキーを幼なじみちゃんの部屋まで運んだのは霞らしいけんまた今度お礼言っとき」


「都築さんが⋯⋯」


 言われるまで気付かなかったが、改めて考えてみると小柄で華奢な夏愛や望冬がほとんど成人男性と変わらない体格の咲希を持ち上げて部屋のベッドまで運ぶのは無理とまでは行かないがかなり困難な事のように思える。


 その点霞は同い年の女性の平均よりも高い背丈と仕事で鍛えられたという腕力脚力があるため成人男性一人くらいなら楽々抱える事が出来るのだろう。


「とりあえず女性陣は任せるとして、俺らは俺らのやるべき事をやるか。まずはサッキーからじゃな」


「え、何急に」


「おう。言いにくいんじゃけどな?お前、全身から結構香ばしい匂いがするぞ」


「え"っ⋯⋯」


 思わず袖に鼻を近付けて絶句する。確かに昨日の朝から散々走り回ったまま着替えてないが、今の今まで意識していなかったことを指摘されると恥ずかしさで悶えたくなる。


 しかしそれよりも大変な事に気付く。


「えっ、てことは僕そのまま⋯⋯」


「部屋の中の事は俺はなんも知らんのんじゃけど何があったかは察するわ。まぁ嫌がられんかったんなら大丈夫だったんじゃろ」


 「別にそれくらい気にせんでええと思うで」と言いながらこちらの左腕を掴んだ傍武に半ば強制的に連行された咲希は駐車場の車の後部座席に放り込まれる。


「家まで送るけんシートベルト着けといてな」


「⋯⋯了解」


 運転席に乗り込んだ傍武が慣れた手付きでエンジンを掛けるとやがて車が発進する。


(色々あって疲れたけどこういう時本当に助かるんだよな⋯⋯)


 車の免許を持っている傍武に少しだけ羨ましさを感じながら窓の外に流れる景色に視線を向けた咲希は、昨日からの出来事を思い出してそっとため息を零す。


 

 その後到着したのは咲希の自宅ではなく病院だったというのはまた別のお話である。


「ショー⋯⋯お前⋯⋯ッ」


「観念しろサッキー。こうでもせんとどこかの病院嫌いさんはちゃんとした治療を受けんけんな」

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