4-2c. お妃様は見た【二階の廊下を曲がると】
ライゼールの領主館に踏み込むのは初めてだ。案内人に教えてもらったゼルダの執務室に、アデリシアはシルフィスと連れ立って、期待に胸弾ませながら向かっていた。
二階の廊下を曲がると、夜会の日から忘れもしない、麗しのヴァン・ガーディナ皇子がゼルダの執務室に入って行くところで、アデリシアははしゃいで、シルフィスを振り向いた。
「アデリ、ゼルダ様がどうお仕事なさっているのか見たいです! こっそり、覗き見るのよ♪ 抜き足、差し足、忍び足!」
そのためにお夜食を預かってねと、ここで待ってと言われたシルフィスは、正直ほっとした。一緒にやってと言われたら、困ってしまうから。
執政官としての、ゼルダの有能でセクシーな姿を期待して、ひょいと執務室をのぞいたアデリシアは、見てはならないものを見てしまった。
ソファに寝かせたゼルダを抱き起こして、麗容のお兄様が、いけないことをしているのを、見てしまったのだ。
――ゼルダ様ったら、遅いと思ったらこんなことをぉ!? 朝帰りも、いわゆる朝帰りですかぁ!?
純真で清楚なシルフィスは、絶対に見てはいけない。アデリシアは懸命に腕でペケを作って、シルフィスに来たら駄目と訴えた。
兄皇子がこちらを振り向いて、アデリシアはその瞬間、すぐさま逃げ出さなかったことを、心の底から後悔した。
どうしよう、どうしよう、どうしよおぅ!
頭はパニックで、微笑みながら近付いてくるヴァン・ガーディナが、今にも死を宣告するのではないかと、アデリシアは恐ろしさのあまり、足が竦んで逃げ出すことさえ適わなかった。
「困ったお妃様だな、アデリシアーナ侯爵令嬢?」
どうしよおぉおおぅ!
――アデリ、口封じに殺されちゃうかもしれません! キスもしないまま、死にたくないです!!
冷酷に笑んだヴァン・ガーディナの指が喉元に伸び、アデリシアはガタガタ震えながら、全力で、見ていませんとかぶりを振った。祈るように手を組んで、許して下さいと訴えた。
「ご存知かな? こういうのはね、苦しむのは手を出された方なんだ」
「え……」
手を出した者に与えられる罰など、ささやかなものだよと、手を出された者に与えられる、理不尽な軽蔑という重い枷に比べたらねと、麗しい兄皇子が平然と言ってのけ、アデリシアを見た。
「これが噂になったら、もう誰も、ゼルダに従わないだろうな。ゼルダはつまらない者にまで軽蔑されて、何もなせなくなる。あなたは心がけの良いお妃様だ、ゼルダを破滅させたりはしないね?」
アデリシアは何度も頷いた。麗しい皇子様が、なぜか、とてつもなく悪魔の申し子に見えた。
「どうしようか、あなたの口も封じておこうか――」
アデリシアは恐くて、ゼルダ様起きてぇと心で絶叫しながら、懸命にかぶりを振った。恐怖のあまり声が出ない。動けない。
ヴァン・ガーディナの指がアデリシアの顎を取った。
くびり殺されると思ったアデリシアの唇に、ヴァン・ガーディナのそれが重ねられた。
目を見張って、抵抗しかけたアデリシアの腕をヴァン・ガーディナがつかみ、廊下の壁際に追い詰めた。
「んっ……!」
アデリシアはへなへなと、廊下にへたり込んだ。
――い、いけませんー!! アデリったら、アデリったら、ゼルダ様という御方がありながら!?
「ファ、ファースト・キスだったのにどうしましょう! ゼルダ様が先にされていたから、セーフかしら!?」
駆けつけたシルフィスの腕にしがみつきながら、アデリシアが言う。
「知られたら困るのはあなただと、我が身に降りかかると、よくわかるだろう? ゼルダには隠しておきなさい。そちらのご側室もね」
麗しい魔物の笑顔でヴァン・ガーディナがのたまった。その風貌はむしろ、天からの御使いかのようなのに。
「ん……」
先ほどの、アデリシアの懸命な祈りが届いたのか、ゼルダが身を起こした。





