#09 平和
カンジョナ渓谷
日が暮れて、空に星が見え始めた頃、小高い石山の上に火がともった。
石山は何キロにも渡って連なって続いていて、その列は深い谷の崖に沿って並んでいる。
地形から見てこの石山群は、土壌の土の部分が雨で崖の下に流され、地中に埋もれていた岩が突出してできたものだろう。
今は暗くて見えないが、この崖からがカンジョナ渓谷だ。
日中に暖められた岩が熱を放っていて、それほど底冷えはしない。 穏やかな風が谷に向かって吹いている。
石山の頂上付近にテントを張った優たちは、せかせかと忙しそうに動いている。
ハンナの提案で、ジーナたちは馬車の荷物を全部そこへ降ろすことになったからだ。 食糧に薪、調理具やら寝具など、薄暗く足元を照らす明かりの中で、手分けして荷物が降ろされていく。 両手を負傷しているアリスは、申し訳なさそうに邪魔にならない所に座っている。
荷物を全部降ろし切ったところへ、侵入者探知用の警報装置を張りに出ていた優が戻ってきた。
優 「ハンナ? これで、荷物は全部?」
ハンナ 「うん、でも、ちょっと待って、このバケツが最後だから」
ハンナは馬車に備え付けてあるタンクに残っていた水を、バケツやら鍋やその他の容器に移して空にした。
優 「よし。 じゃぁ、父さん、サテラさん、行ける?」
キャンプの守りをジーナ1人に任せて、優たちは泥まみれの馬車を洗いに行く。
優 「ジーナさん、ジルガスを借ります」 ジーナ 「みんな、気を付けて」
「「 はい 」」
リバ山脈の雪解け水が地下水脈を通ってここに湧き出していて、それがカンジョナ渓谷へ流れ落ちていく。
土の層の薄いこの辺りでは湧き水が多くて生態系も豊かだ。
石山を下ってすぐ右手に水源があることは確認してある。
馬車はブレーキを引きながら急な傾斜を下ってくる。 ジルガスの頭と御者台についているライトが頼りだ。
月も出ているが、かけ始めた月の明かりでは石の多い路面を下るには心もとない。
坂を下り切った時に、最初におかしな現象に気付いたのはサテラだった。 ここは何故か岩陰ほど明るい。
馬車を止めて近寄って見てみると、その正体は、小さな植物だった。
背の丈5㎝ほどの植物は岩から逆さまに生えていて、それが発光して、夜の虫を集めている。 この小さな苔のようなものは、ライトを当てると光るのをやめてしまう。 だが、しばらくそっとしておくと、また光りだす。
サテラが興味津々に見ていて、育てたいので戻るときに取りに来てもいいかとダンテに聞いていた。
『植物を育てるプランターの一つや二つ増えたところで何の問題もない』と、ダンテはそう言っておかしなことを聞くなと笑い飛ばした。
ついでに、ダンテはサテラの態度を改めるようにも言っていた。 もう、仲間なのだから遠慮はしないようにと。
ウリを独断で仲間に引き入れたハンナに比べれば何でもないことだと優もダンテに相槌を打った。
植物を持っていく許可を得たサテラは、それを珍しく声に出して喜んでいた。
水源のちょうど入り口で、4頭のスゼルナスと出くわした。
入り口と言っても、もともと獣道だろうから彼らのナワバリだ。 優はジルガスの手綱を引いて、脇によけてスゼルナスたちに道を譲った。
立派な牙をもつスゼルナスを先頭にズゴズゴと出てきたが、4頭とも行儀よく頭を下げて優たちの前を通り過ぎた。
通り過ぎた後から、『カチャ、カチャカチャ』と話しかけてくるような音が聞こえてきた。
優もそれに気が付いて、その何者たちかに手を振った。 スゼルナスの背中には、小石をつないで5頭身にしたようなモンスターたちがたくさん乗っていて、何やら楽しそうに騒いでいる。 スゼルナスは、この陽気な連中の乗り物のようだった。
水源は驚くほどよく整備されており、明らかに人の手で作られた痕跡がある。
公園のように、土の部分と舗装された部分が分かれていて、湧き水の流れ込んでくるところから出口の滝になって谷に落ちるところまで、広いプールのようになっている。 ライトで照らすと、森の方にも木々の間に何かしらの設備の後が見てとれる。
草木はきちんと刈られていて、風通しもいい。
優たちが近づくと、『タパタパタパッ』と何かが水に飛び込んだ音がした。
少しだけ気を張った優たちだったが、敵意を持ったものの気配はない。 優たちもすぐに警戒色を解いた。
サテラが呟く。
サテラ 「不思議な場所ですね」
ダンテが言う。
ダンテ 「ああ、この設備は相当古いものだろう。 この床の舗装は焼き物だ。 だから、我々の祖先の作ったものの可能性が高いな。 しかし、ここを管理している者はさっき会ったような知性のあるモンスターたちや魔物たちだろう。 不思議だな。 この森には我々に対する敵意がまるでない」
優が納得する。
優 「あ、わかった。 それが、ここに来てからの違和感かぁ。 ここは平和なんだ」
ダンテが笑い声を上げる。
ダンテ 「ハハハ、そうか。 いいところに気が付いたな。 お前が産まれる前からずっと戦争してたからな、あの国は…」
優が穏やかに言う。
優 「うん、でも、“平和”は知ってる。 母さんに抱かれていた時はいつも平和だった。 だから、この感じは知ってるよ」
言葉を詰まらせたダンテが言う。
ダンテ 「…なるほどな。 だから、懐かしいのか。 はは、ホントに皮肉なものだ。 故郷を捨てた先のアウトフィールドに懐かしさを感じてしまうとはな」
池の水を両手ですくいながら、サテラが言う。
サテラ 「 …何となくですが、ここにいると私たちはひどく醜いもののように感じてしまいますね」
溜息混じりにダンテがそれに答える。
ダンテ 「ああ、サテラ。 正直それは俺も感じている… ハハハ、思えば申し訳なかったなアウトフィールドに出てからのここまでの道のりが。 俺たちは敵意の無い者たちに武器を向けながら走ってきたんだ」
優が結論を出すように言う。
優 「さっき、ハンナが言った言葉の意味がわかったよ。 確かにオレたちは“汚れている”のかもしれないね」
明るいトーンでダンテが言う。
ダンテ 「ああ、なるべくここの者たちの迷惑にはなりたくないが、ここでオレたちも乗ってきた馬車も浄化させてもらおう。 汚れたままこの先も走らなくていいようにな」
優たちは思い切りよく馬車を池の水に入れて、入念にたわしでこすっていった。
国境線で着いた泥も、そして、血と脂もきれいにこすり落とした。 ダンテと優の着ていた防具も服も、そして体も。
サテラが『私も一緒にいいですか?』と聞いていたのだが、そこは、ダンテも優もサテラにお願いして少しだけ待ってもらった。
清流の水をくんで馬車のタンクをいっぱいにして、帰り道についた。
途中で森の木に止まっているバボルを優がみつけた。 ウリとナトが喜ぶだろうからと、3匹のバボルをバケツに入れて捕まえていく。
石山の登りの手前で止まって、サテラはダンテに頼んで光る植物を根っこのついている岩ごと採取してもらう。
サテラはすこぶる機嫌が良くなった。 そのまま、優たちは石山に戻っていった。