61-2 仲直りのカフェラテ(後編)
今は夕方の五時近く。本当なら今頃、ゆかりと二人で楽しくドライブデートをし、カフェのランチのおいしさ(おいしいかどうかは知らないが)の余韻にひかれながら、ラブラブに過ごしていたハズだ。なのに、現在の和樹の目の前にあるのはただ寂しく並ぶ二人掛けソファとテーブル。部屋の静かさがよりいっそう、和樹を孤独にさせた。
(彼女がいないと、この部屋はこんなに寂しくなるのか……)
彼女はいつもこんな寂しい部屋の中、一人で自分の帰りを待っていてくれた。それがどれだけ幸せだっただろうか。
あのとき、あんなふうに言ってしまったことをすぐに後悔した。あの後ゆかりは、数秒固まった後、小さく「わかりました」と言って荷物を上着とカバンを持って出て行ってしまった。
もともとここは自分の家だということや、意地を張っていたこともあり、すぐに取り消すことができなかった。そして何よりも彼女の泣きそうな、悲しそうな反応に言葉が出てこなくなってしまった。あれはたぶん僕が見た中で一番悲しい顔だったかもしれない。
その結果がこれだ。
いまだにゆかりからの連絡はないし、もちろん帰ってきてもいない。探しに出ようかとも考えたが、自分から追い出しといてと言われそうで怖い。入れ違いになっても嫌だし、と考えて結局待つことにした。自分でも情けないな、と思う。こんな男のところに戻るより優しいという江藤のもとに行ってしまうだろうか。
昨日、ゆかりのためにいれたカフェラテはとっくに冷え切っていた。
二時間後、ピンポーンとチャイムが鳴った。
ゆかりかと思い、ものすごい勢いでインターホンのモニターを見たがそこに映っていたのは宅配業者の青年だった。落ち着け、と自分でもツッコみたくなる。
ドアスコープで相手を確認し、扉を開けた。仕事の癖が生活のいたるところに出ているのは、和樹らしいとゆかりに言われたなと思いつつ、荷物を受け取った。こんな何気ないことでもゆかりを思い増してしまう。自分がどれだけ彼女に救われていたか、嫌でもわかった。
荷物を玄関に置き、再び外に出た。夜になり、風が冷たくなってきた。ヒュウヒュウと和樹の耳の横を風が勢いよく通る。ふと、空を見上げればすでに真っ暗。秋の七時はもう暗く、夜空へと変わっていた。
「……で、いつまでそこにいるつもりですか? ゆかりさん」
和樹たちの家の前にある廊下の突き当り、少しだけ小さな肩が出ていた。ビクッと肩を揺らしたが、動こうとはしなかった。
「風邪ひきますよ。ほら、中に入ってください」
和樹が歩み寄り、ブランケットをかけた。いつの間に持ってきたのだろうか。いつでもゆかりのことを気にかけてくれる和樹の優しさにゆかりは涙ぐみそうになった。鼻の奥がツンとする。
「……でも、いいんですか? あの……」
昨日、和樹が言ったことを気にとめているのだろう。目線を下にし、言いにくそうにしている。
「昨日僕が言ったことは謝ります。ゆかりさんの家はここです。……だから、帰ってきてくれませんか」
最後に聞こえたか細い声。そこでゆかりは初めて和樹の手が少し震えているのに気づいた。そうだ、和樹は一人になる寂しさを知っている。あぁ、私はまたこの人を一人にしてしまうところだった、とゆかりは心の中で呟いた。
部屋の中に入り玄関のドアが閉まった瞬間、ゆかりは和樹に力いっぱい抱きしめられた。和樹はゆかりの肩口に顔をウリウリとうずめ、離さんとばかりに全身で抱きしめた。
和樹さん、痛いです、とゆかりが抗議の声を上げるも和樹の耳には届かなかった。ゆかりは諦め、身長差のある和樹をできる限り抱きしめた。
「…………もう、帰ってこないかと思いました。……良かった」
安堵の声がゆかりの耳にダイレクトに届いた。こんなこと言われたら泣いてしまうではないか。ゆかりの目からは大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ご、ごめん、なさい……私、怒ってるからってついあんなひどい事を言ってしまって」
「ううん、僕の方こそごめん。会ったこともない人をあんなふうに言って、ゆかりさんまで傷つけて。本当にごめん。嫌だったよね、悲しかったよね」
ゆかりはずっ、と鼻をすすり、顔を上げた。涙でぐちゃぐちゃの顔だがそれでもかわいいと思ってしまうのが愛の力だろうか。
「ん……悲しかった。でも自分から言った言葉だったから余計に悲しかった。あなたにこんな思いをさせるような言葉を言っちゃったことが何よりも悲しかったの。ごめんなさい」
「謝らないで。ゆかりさんはあんな風に怒って当然なんだ。僕の勝手な嫉妬が理由で……」
「嫉妬? え、あれ嫉妬してくれてたんですか?」
きょとんとしているゆかりの反応に和樹も目を丸くした。
「え? そうだよ。他の男とゆかりさんが二人で仲良くランチだなんて嫉妬の要素以外何物でもない」
「私、てっきり和樹さんは江藤さんみたいなタイプが苦手なのかと……でも違うんですね! 良かった!」
「良かったって……あのですねぇ」
「だって苦手なら和樹さんお店に来てくれないかなって思ったんですもん! それは私が嫌だなって思って……って何言っているんですかね、私」
顔を赤らめながら言うゆかりに和樹の胸がズギューンッと鳴った。まさに天使にハートを撃ち抜かれた、という様子だ。
「……そんなに嬉しいなら毎日行きます、絶対行きます」
「え!? 毎日は来たらさすがに大変ですよ! それにお仕事だってあるでしょう?」
和樹はむぅ……と顔をしかめる。そんな様子もかわいいと思ってしまうのもまた愛の力だろう。和樹をたしなめるようにゆかりは彼の髪に触れながら笑った。
「毎日これなくてもいいんです。決まった日じゃなくてもいいんです。喫茶いしかわが和樹さんにとって休める場所であるならば、私はいくらでも待ってますから、ね?」
「……ありがとう」
二人は手を繋いで部屋へ入っていった。仲直りのしるしとしてカフェラテを入れるために。
◇ ◇ ◇
カランカラン。
喫茶いしかわの扉が開き、グレーのスーツを着たイケメンが入ってきた。
「和樹さん! いらっしゃいませ」
ニコニコと笑顔で対応するゆかり。“カズキ”という言葉に反応したのか、男性スタッフが奥からやってきた。優しそうな笑顔に少しぽっちゃりした背の低い男性。ゆかりと同じようにニコニコと笑っている。
「このあいだお話しした、今喫茶いしかわで働いている江藤さんです」
「やぁ、あなたがカズキさんですか。ものすごいイケメンで驚きましたよ。石川さんもこんな素敵な旦那がいて幸せですな!」
ハッハッハッと笑いながら言うものだから和樹もつられて笑顔になる。
「どうもはじめまして、石川和樹です」
「和樹さんも幸せ者ですな! こんなに彼女に思ってもらえるなんて。石川さんよく私に和樹さんの話をしてくれるんですよ。そりゃあもう、楽しそうに」
「ちょっ……江藤さん! やめてくださいよ!」
赤面したゆかりが慌てて止めた。
そういえばこのあいだ、自分も二人の話に交ざりたいと言ったらすごい勢いで拒否されたことを思い出した。
あの時は怒りがピークに達していたため、まともに理由を聞こうとしなかった。
そういうことか、と理解し和樹の心は幸せでいっぱいであった。
おつきあいを始めるまでのゆかりさんが楽しく話すときの話題はごはん絡みばかりだったのが、和樹さんとののろけ話をペラペラ話せるところまで成長しました。
あのふたりののろけ話をハッハッハッで受け止められる江藤さん、本当にいいひと……というか度量がすごいなと思います。
和樹さんはおそらく、ゆかりさんの手が空かないときにやってきて江藤さんからのろけの内容を聞き出そうとするでしょうね。




