59-2 やきもち(中編1)
お客さまの姿が見えなくなって私は、先ほどいただいた代金をレジの中へとしまう。
よかった。またあの人は喫茶いしかわに来てくれて、もっともっと喫茶いしかわを好きになってくれる。
本当によかったなぁ、なんて思いながらレジを閉めくるりと振り返る。
「あ……」
間抜けな声をだした私はその場で固まった。
視線の先にはカウンター席の、それもレジから一番近い席に座る……和樹さんの姿。
そう。店内には仕事に空き時間が出来たからとコーヒーを飲みに来てくれた彼がいたのだ。
店の奥のテーブル席にもお客様がいるが、その人たちは話に夢中でさっきのやり取りには気づいていない。
しかし、レジから一番近い席に座る彼には確実に聞こえていただろう。
いくらお断りしたとはいえ、何だか気まずい。そう思う反面、もしかしたら妬いてくれてるかも……なんて期待してしまう自分がいる。
「えへへ。指輪してないから独身だと思われてたみたい」
首に繋がれたチェーンを触れながら私は、カウンター越しに和樹さんの前へと移動する。
このチェーンには結婚指輪が通されている。仕事中は指輪が出来ないため、その間はこれに通して首に付けている。
「今みたいなこと、結構あるの?」
「あ、えっと……あります」
実は和樹さんとお付き合いするようになってから、先ほどのような事が増えた。遥ちゃんには「ゆかりさんは前々から可愛いけど、和樹さんとお付き合いしてますます可愛くなったから、他の男もほっとかないわよ!」なんて言われたっけ。
「へぇ、そうなんだ」
僕の奥さんはモテるなぁ、と爽やかな笑顔で言った和樹さんはアイスコーヒーを飲む。
……え? それだけ?
思わずポカンとしていると、和樹さんは腕時計を見て立ち上がる。
「そろそろ行かなきゃ。ゆかりさん、お会計お願い」
「は、はい!」
我に返った私はレジへと移動し、彼のお会計を済ませる。
「今日は夕飯までには帰れるから」
「じゃあ、和樹さんが好きな和食作って待ってますね!」
「うん。ありがとう」
それじゃ、とひらりと手を振る和樹さんに「お仕事頑張って」と言って手を振り、レジ越しに彼を見送った。
和樹さんの姿が見えなくなり私は、力なく振っていた手を下におろす。
そうよね。断ったのを聞いていたんだから、妬く必要なんて彼にはないのよね。
結局、その日の夜に帰宅した彼は普段と変わらず、昼間の話は一切してくることもなかった。
「ゆかりの結婚を祝して、かんぱーい!」
「かんぱーい!」
「皆ありがとう!」
この日、結婚のお祝いを学生時代の友人達が開いてくれていた。
「ゆかりの旦那さんってどんな人?」
「んーとね。優しくて料理が上手で、とても器用で。そんでもってイケメン!」
「何それ!? めっちゃ羨ましいんだけど!」
「ここにいる男等とは大違いじゃん!」
「おい、それは俺達に失礼だろ」
「だって本当のことじゃん!」
『結婚式をしないのなら違う形で皆でお祝いをしたい』と言ってくれた親友が友人たちに声をかけてくれ、久しぶりに会う友人もいて。だから話も弾みとても楽しかった。
「大丈夫? 飲み過ぎてない?」
お店を出て男の友人に心配そうに聞かれ、へらりと笑ってVサインをしてみせる。
「だいじょーぶ! 飲み過ぎないように飲んだから!」
「石川って結構飲めるタイプなんだな。見た目的にあんまり飲めない方かと思ってた」
「こう見えて結構飲めるんだから!」
友人に言われ私は、えへんと自慢げに胸を張る。
「ハハっ。そんな自慢気に言わなくてもいいから。でも帰り道には気を付けろよ。石川って何もないところでよくコケてたから」
「もうっ! 今は前ほどコケることは減りましたぁ」
「でもまだコケることはあるんだ?」
クツクツと笑われ頬を膨らませていると、親友に名前を呼ばれ彼女の方へと行こうとしたその時。
「ぎゃっ」
「おっと危ない」
何もない所でコケそうになった私は、友人に右腕を引っ張られ体勢を持ち直した。
「大丈夫か?」
「ありがとう……って何笑ってるのよ!?」
「いや。色気のない声だったから面白くて」
「わ、悪かったわね!」
「やっぱり何もない所でコケる癖は一生治らなそうだな! なんなら駅までこのまま掴んでてやろうか!?」
「いーですぅ! 子供じゃないんだから一人でしっかり歩けますぅ!」
「ゆかりさん」
「え?」
突然呼ばれた声に私は勢いよく横を見て、目を丸くする。
「和樹さん」
「え、もしかして旦那?」
こくりと私は頷く。
一体いつの間に。全然気が付かなかった。……それもそのはずだ。和樹さんは、見た目が目立つぶん、余計なトラブルを呼び込まないよう気配消すことは大得意なのだから。
「おーい。石川の旦那来たぞ!」
友人は私の腕を掴む手を離して、後方を振り返り他の友人に声をかける。
「和樹さん、何でここに? お仕事は?」
「さっきゆかりさんがそろそろ解散する時間ですってメッセージくれたでしょ?」
そうだ。和樹さんは仕事で見てないかもしれないけど一応メッセージを送っていた。
「ちょうど仕事が終わったから迎えに来たんだ」
「そうなんですね。ありが……」
「まじイケメン!」
「ゆかりが羨ましい!」
ありがとう、と言おうとした私の言葉は友人らによって掻き消され、私は後ろを振り返り和樹さんのことを紹介すると、彼はにこりと笑みを浮かべる。
「こんばんは。ゆかりさんの夫の和樹です。今日は妻のために皆さん集まっていただき、ありがとうございました」
頭を下げる和樹さんの隣で私もペコリと頭を下げた。
「迎えに来てくれるなんて優しい旦那だね! そうそう。ゆかり、ハンカチお店に忘れてたよ」
はい、と親友にハンカチを渡され「ありがとう」と礼を言って鞄にしまい、友人たちの顔を見渡す。
「本当に皆今日はありがとうね。すごく楽しかった」
「また集まろうね!」
「本当におめでとう!」
「お幸せにね!」
友人たちの暖かい言葉と笑顔を胸に刻み、「帰りましょうか」と隣にいる和樹さんに声をかける。
「今日は妻のために本当にありがとうございました。皆さんもお気をつけてお帰りください」
友人達に一礼し私たちは踵を返し歩き始める。
「いしかわー。コケないように気を付けろよ!」
先ほど助けてくれた友人の声に振り返り、私はイーっとした顔を見せて前を向き、気になっていることを和樹さんに聞いてみた。
「あの、和樹さんはいつからあそこにいたの?」
「ゆかりさんがお店から出てきた時だよ」
「そ、そっか……」
「うん」と返した彼の隣を黙って歩く。
……えっと、じゃあ。もしかしてもしかしなくても、コケそうになるところを友人に助けてもらったのを見てたってことだよね? それでもやっぱり妬かないのかな?
「さっきの男の人と楽しそうにしてたね」
言われて私は和樹さんを見上げる。
も、もしかして。遂にやきもち……?
「見てたなら声かけてくれたらよかったのに」
「うん。でも邪魔したら悪いしね。それとコケそうになるところを助けてもらえてよかったね」
にっこりと。本当にいつもと変わらない笑顔を向けられる。
……何それ。
やきもち妬いたって言ってくれないの? 少しでもいい。一ミリでもいいから妬いてくれないの?
妻が夫以外の男の人に触れられても何とも思わないの? 私だったら妬く。いくら助けてもらったと分かっていても、逆の立場だったら絶対に妬くのに……。
遂に妬いてくれたのかもって期待した自分が馬鹿みたい。
期待した自分に嫌気がさし、妬いてくれない和樹さんにモヤモヤした私は、何も話しかけず彼が話しかけてきても相槌をするだけと……完全に拗ねた。
私たちが住むマンションに着き、玄関を開けるとブランがお出迎えしてくれた。
「ただいま、ブラン」
パンプスを脱いで玄関を上がった私はしゃがんでブランを撫でる。
「ブラン。遅くなっちゃったけど、少し散歩に行こうか」
ブランは「アンッ」と嬉しそうな声をだし、リードと散歩バッグを取りに行く和樹さんの後を跳ねるようにくっついて行く。
私も立ち上がり、リビングへと歩き出す。
「少し散歩に行ってくるね」
リビングからリードを着けたブランと共に出てきた和樹さんに言われ頷き、横切ろうとするとリードを持っていない方の手で手首を掴まれる。
「ゆかりさん、何か怒ってる? さっきから全然喋ろうとしないけど」
「……」
私は振り返ることなく黙っていると、早く散歩に行こうと言うかのようにブランが声をあげる。
「わかった、わかった。今行くからそんなにリードを引っ張るなって。ゆかりさん、帰ってきたら話聞かせてね」
掴む手を離し「行ってきます」と和樹さんはブランと共に玄関から出ていった。




