59-1 やきもち(前編)
和樹さんが、全力でゆかりさんに格好つけたがってた頃のおはなしです。
異性の友人と他愛のない会話をしていた彼女は、横からやってきた恋人に手首を掴まれ、そのまま手首を引かれながらその場を離れる。
斜め前を歩く後ろ姿に何度名前を呼びかけても恋人は振り返らず、きつく手首を掴む彼が一体どんな表情をしているかも分からない。無言のまま暫く歩き、周囲に誰もいない所でやっと彼の足が止まり彼女の足も止まる。
くるりと振り返った彼は彼女を引き寄せ、きつく抱きしめる。
「いきなりどうしたの?」
「ごめん……やきもち妬いた」
「やきもち? さっきのは友達だよ?」
「わかってる。わかってるけど……俺以外の男に、あんな可愛い笑顔見せないで」
という内容が描かれた少女漫画を読んでいた私は漫画を閉じてテーブルに置き、左手の薬指に嵌められた指輪を見つめる。
愛する人と結婚した証はキラキラと輝いている。結婚を前提としたおつきあいは、その場で婚姻届を書かされた。恋人としてお付き合いした期間は三ヶ月と短い。
愛されているなぁと思う。向けられる眼差しも、名前を呼ぶ声も、見せてくれる笑顔も。全てに愛が感じられる。触れ方だってとても優しく、まるで壊れ物を扱うように抱かれるから胸がくすぐったくなる。
ちらりと先ほどテーブルに置いた漫画の表紙を見て、私は小さなため息をこぼした。
大切な人を愛し、大切な人から愛されとても幸せだ。
けれども私、石川ゆかりには小さな願望がある。それは、夫である和樹さんにやきもちを妬かれたいこと。この漫画みたいなシチュエーションじゃなくてもいいから、ただただ彼にやきもちを妬かれたい。というのも、恋人としてお付き合いした期間三ヶ月、夫婦になって十日。今日まで一度も。一度も! 和樹さんが妬く姿を見たことがないのだ!
私はやきもちを妬くことがある。たまに外で待ち合わせる時があると、和樹さんは必ず逆ナンされていて、貼り付けられた笑顔で当たり障りのないようにソレをかわす。彼は優しい人だから冷たい態度はとれないんだと思う。
愛する人が優しいことは嬉しいけど、彼の本当の笑顔じゃないとわかっているけど、私はいつも妬いてしまう。おまけにその感情が隠せないからついムスッとした顔を見せてしまう。その度に和樹さんは『やきもち妬かれるほど愛されて僕は幸せだなぁ』なんて嬉しそうに笑うから、つられて私も笑っちゃうんだけど。
しかし、和樹さんはというと全くヤキモチを妬かない。彼が喫茶いしかわに来てくれているときに、私が常連さんや他の男性のお客さまと喋っていても涼しい顔をしている。別に愛される上でやきもち妬かれることが重要じゃないことは分かってる。だけど、やっぱり少しくらいは妬いてほしい……と思ってしまう。
はぁ、と短い息を吐いた私は漫画の側に置かれたスマホを手に取り、画面をタップしてネットを開き【やきもちを妬かせる方法】と入力して検索し、とりあえず一番上に出ているページを開いてみた。
その日の夜。和樹さんと並んでソファーに座っている私は、先ほどネットで見たことを試みることに。
「そういえば」
テレビを見ながら口を開くと、隣に座る和樹さんは読んでいる文庫本から視線を私に変えて「ん?」と微笑みながら小首を傾げる。……今の仕草は反則ですよ!
『ん?』のたった一言、それを小首を傾げながら。しかも微笑み付き! なんて破壊力! 可愛くて胸がキュンとしてしまう!
「ゆかりさん? 胸元押さえてどうしたの? 具合でも悪い?」
文庫本を閉じた彼が心配そうに顔を覗き込んできて、私はハッとなり「大丈夫です」と笑って誤魔化す。
いけない、いけない。胸キュンもいいけど、今はやるべきことがあるんだった。
「知ってます? 商店街の床屋のお兄さん、この前技術大会で優勝したんですって! すごいよねぇ」
私の発言の意図は【身近な男性を誉める】だ。なんでも男性は好きな人が自分以外の他の男性を誉めることを嫌がるらしい。
「さすがですよね! 商店街のいい呼び込み材料にもなりそう」
さぁ和樹さん。あなたの妻は夫以外の、それもあなたもよく知る男性を誉めてますよ。
私はニコニコしながら彼を見る。
あれ……? 普通に笑顔だ。
「うん、知ってるよ。なぜかマスターが自慢げに語ってくれたからね。本当に頼もしいよ」
本当にいつもと変わらない笑顔で。なんなら彼までも床屋のお兄さんを誉めた。
「ほ、本当に頼もしいですよね」
アハハ、と笑いながらテーブルに置かれたグラスを持ち上げ冷たい麦茶を口に運ぶ。
この方法は意味がなかった……というか、もし逆の立場で和樹さんが私も知っている女性を誉めたら、私も一緒になってその人のことを誉めてるかも。
グラスをテーブルに置いた私はテレビを見ながら指を指す。
「あっ! この人いま人気なんですよ!」
テレビには今もっとも人気のある若手の男性俳優が映っている。甘い顔立ちで女性に人気なその人はドラマや映画に引っ張りだこだ。
「へぇ。人気なんだ」
全く興味が無さそうな口調。うん。実は私も全く興味がないんです。だけど。
「はぁ。かっこいいなぁ」
うっとりとした表情で私は画面に映る俳優を見る。
そう。これもやきもちを妬かせる方法のひとつ【男性芸能人に黄色い声援を送る】なのだ。
「あ! 今笑った! やっぱり笑った顔可愛いなぁ。カッコいいも可愛いも兼ね備えて最高!」
嘘です。世間的にはとても魅力的なのだろうけど、私は和樹さん以外の男性に魅力は感じません! ごめんなさい! ……と心の中で俳優さんに謝罪をしつつ、ちらりと和樹さんを見てみる。
「ん? どうした?」
「う、ううん! 何でもないです! 麦茶のおかわりいります?」
「うん。ありがとう」
にこりとしながら差し出されたグラスを受け取った私は、キッチンへと行き冷蔵庫からピッチャーを取り出してカウンターに置いたグラスに麦茶を注ぐ。
黄色い声援を送る方法も意味がなかった……興味がない俳優に黄色い声援を送った私って……。
はぁ、とため息をこぼしピッチャーを冷蔵庫に戻す。
他にも【やきもちを妬かせる方法】を幾つか読んだ。だけど、試す前に結果が見えてる。今までだってやきもちの“や”の字すらなかった人が急に妬くわけなんてないもん。
これ以上試しても自分が落ち込むだけだから、もうやめよう。やきもちを妬かせることは諦めよう。
あれから三日後の、お昼のピークが去った喫茶いしかわにて。
「すみません、お会計をお願いします」
「はーい!」
お客様さまに呼ばれて私はレジへと向かった。
「ちょうどいただきますね。こちらレシートになります」
「どうも。……えっと」
レシートを受け取ったお客さまが何か言いたげにしていて、私は首を傾げる。
お客さまは「えっと、その……」と視線を下に下にとしていたが、何かを決心したかのように突然ぐいっと視線をあげて私を見る。
「前々からあなたのことが気になっていました。これ俺のメッセージIDなので、よかったらメッセージください。友達からでいいので、仲良くなりたいです」
Yシャツの胸ポケットから取り出した、小さく折り畳まれた紙を差し出された私は、目をぱちぱちと瞬かせる。
このお客さまは最近よく来てくれるけど、接客以外で一度も話したことがないので、名前すら知らない。それでも来店されるときは必ずナポリタンを注文してくださり、毎回美味しそうに食べてくれることが嬉しかった。
ここで断ったらこの人はもう喫茶いしかわに来てくれなくなるのかな。自分が作った料理を美味しそうに食べてくれる姿は見れなくなっちゃうのかな。
……でも私の答えは最初から決まってる。
差し出された紙に手を伸ばすことなく私は頭を下げる。
「申し訳ありません。私、結婚してるんです」
「け、結婚してたんですか……?」
「はい。してます」
私が顔をあげると、お客様はしょんぼりとした顔をしていた。
「……そうですか。すみません、それなのにこんなこと」
お客さまは折り畳まれた紙を再び胸ポケットに戻す。
「あなたへの気持ちは諦めます。でも、これからも喫茶いしかわに来てもいいですか? コーヒーもナポリタンも美味いし、他のメニューも色々気になってて……」
頭を掻きながら苦笑いを浮かべ申し訳なさそうに言うので、私はクスッと笑ってしまった。
「もちろん来てください! ナポリタンだけでなく、喫茶いしかわのメニューはすべて美味しい自慢の品ですから!」
「あ、ありがとうございます! じゃあ、また来ます。今日は本当にすみませんでした」
「いえいえ。またのご来店お待ちしております」
笑顔で言うとお客様は笑顔で頷き、「失礼します」と小さく頭を下げ店から出ていった。




