49-2 if~もしもゆかりさんが旗折り姫じゃなかったら~(後編)
私の和樹さん語りが落ち着いて少し経つと、きょろりと回りを見渡した友人が華やいだ声をあげる。
「あ、あの人イケメン!」
「ん? あらホント……なんか、ゆかりのカズキさんっぽくない?」
「え? あー、なんかわかる。それっぽい」
「あはは、まさか」
友人たちが視線を向ける私の背後にチラリと目を向けると、そこにいるのは紛れもなく和樹さんだった。
え!? なんで……まさかさっきの聞かれて……。
一気に酔いが醒めた。
もう一度チラリと確認すれば、同じ卓の人たちと楽しげに歓談している。まだこちらには気付かれていなさそうだ。
三十六計逃げるに如かず。
そうと決まれば、退散あるのみ。
「ご、ごめんなんか酔っちゃったみたい。今日は先に帰るねっ」
「えっゆかり!?」
「これお金、足りなかったら後日精算して!」
テーブルにおおよその金額を置いて、私は脱兎のごとくフロアを飛び出した。
なんで、なんで和樹さんが!?
地上に向かう階段を急ぎ足で上りながら、回転数の落ちた頭でぐるぐる考える。
ひとまず早くここを出ないと。
さっさと電車に飛び乗って家に帰って、そしたら明日は定休日だからなんとかなる。
明後日は朝からお店に出るけれど、たとえ和樹さんが来てもまる一日時間を置いたら、多少落ち着いているはずだ。
「っわわっ!」
思考に気を取られていたせいか、あと数段というところで左足からヒールがすっぽ抜けた。
あぁもう、なんでストラップ付きの靴にしなかったの!
こん、かろんと転がり落ちていく私の靴。
いちばん下まで落ちてしまいそうだったそれを、階段を上がってきた誰かの手が捕まえた。
「あ……」
「ずいぶん慌てていますね、シンデレラ?」
ゆっくりと階段を上がってきたそのひとは。
「和樹、さん」
名前を呼ぶと、彼はにっこりと笑った。
見慣れた笑顔。
「こんばんは、ゆかりさん。女子会はどうでしたか?」
和樹さんは私の足を手に取ると、脱げたヒールを履かせてくれる。
その手つきは壊れ物を扱うみたいに優しくて、ほんとにシンデレラみたいだ、なんて現実逃避のように考えてしまった。
「わ、わぁ和樹さんどうしてここに? あ、もしかしてお仕事ですか?」
誤魔化すみたいに明るく声をあげると、和樹さんはちょっと首を傾げた。
含みのある笑いかたは、なんだか和樹さんじゃないみたいでドキッとしてしまう。
「……まぁ、そんなところです」
「お疲れさまです、大変ですね! じゃあわたしはこれで…」
「逃がしませんよ」
踵を返そうとしたらものの、即座に手首を掴まれた。
そりゃそうだ、和樹さんが私を捕まえるなんて造作もないこと。
地上の喧騒も階段の下の賑わいもやけに遠くて、私と和樹さんしかいない狭い階段だけが別世界みたいだ。
とん、と和樹さんが階段を一段上って。
ふたりが同じ段に立てば、距離はひどく近い。
いつの間にか彼の手は私を閉じ込めるように壁に触れていて、鳴り続ける心臓の音だって聞こえてしまいそうだ。
「……ねぇ、ゆかりさん」
「っ、はい」
「どうですか? これ」
和樹さんが目線で自分の身体を示す。
その先にあるのは、彼の纏ったスーツだ。
光沢の綺麗な、グレーのスーツ。
まさか願望がこんなところで叶うとは思わなかった。
だけど想像の3倍くらいかっこいいなぁなんて、状況も忘れてちょっと見惚れてしまう。
「え、えと……珍しいですね、その色のスーツ」
「えぇ、そうですね。似合います?」
「そりゃあもう」
「よかった」
和樹さんはくつくつと喉を鳴らした。
そうしながら、身を寄せる。
もともと近かった距離はほとんどなくなって、彼の睫毛が羽ばたく音だって聞こえそうなくらい。
「……かずきさん?」
不意に動いた彼の右手が、自身の喉元に伸びた。
私の目の前、ぐいと揺すられて緩むブルーのネクタイ。
そのまま一番上のボタンも外されて、無骨な喉仏が露わになる。
ゆるやかに、彼は口の端をつりあげた。
「……抱きついてくれないんですか?」
「!?」
それは、まさか。
瞬時に血の気が引く。
ついでに身体も引きたかったけど、背中が壁にくっついている状態ではまるで身動きが取れない。
「いや、あの、えと」
「なんでしたっけ? 毎日どんどん好きになってくれるんだとか。嬉しいなぁ、ゆかりさん僕のこと大好きだったんですね」
「あの、和樹さん、聞いて……!?」
やっぱり聞かれてた!
穴があったら入りたいとはこのことか。
「たくさんかっこいいって言ってくれましたね、この顔に生まれて良かったなぁ。あ、柔軟剤でしたっけ? 特にこだわりはないですけど今使ってるのは……」
「うわぁあごめんなさい! 忘れてください酔ってたんです!」
「嫌です。せっかくゆかりさんの気持ちがわかったのに」
和樹さんの手が、私の頬を撫でる。
血の気が引いたり上ったりと忙しないわたしの頬では、イマイチ彼の体温が分からなかった。
ただなにかを確かめるような、優しい手つきだけを感じる。
あやふやな感情の輪郭を、丁寧になぞられているような気分。
「僕はね、ゆかりさん。嬉しかったんですよ」
「え、あ……?」
「振り向かせたくて仕方なかった女の子が、にこにこ上機嫌に僕のこと好きって言ってくれて。できれば直接聞かせてほしかったなとは思いますけど」
頬を繰り返し撫でていた手が、するりと首筋におりる。
猫でもあやすように顎や首をくすぐられて、ようやく彼の手の熱さを感じた。
猫じゃないんですから。
そう言おうとして、だけど舌先が上手く動かなくて。
私はただ瞬きを繰り返しながら、彼の熱を享受することしかできない。
「ねぇ、ゆかりさん」
「は、い」
「隠すなんて言わないで。……見せて、全部」
耳元に落とされる甘やかな声は、まるで魔法みたいだ。
噤んだ口も隠した本音も、上手に暴いて白日の下に晒してしまう。
たぶん、このひとに隠しごとなんて最初から不可能だったのだ。
「俺の幸せを願ってくれるなら。……教えて、くれますよね?」
駄目押しのようなその声に、私はなにもかも諦めて。
そっと、答えを口にした。
ゆかりさんが和樹さんとお付き合いを始めた顛末に採用した分は既出の通りですが、こういうルートも考えてましたよ、というお話。
普通に気付いてたとしても、隠しそうなんですよね。ゆかりさん。
なにせそもそもお仕事で知り合った相手だし。お客さんだし。
それとね、これ。
実は和樹さんからちゃんと好きって告白してくれてはいないんですよね。ゆかりさんに言わせてるだけ。
それに、そう簡単に好き好き言ってるとこ目撃したら調子乗りそうだな~って。
このふたりの場合、愛情表現は和樹さん10に対してゆかりさんが3くらいお返し(ただし時々超デレモード発動)するバランスでいると、お話作るのにちょうどよさそうだなというイメージがありました。
そういうあれこれを考えた結果、本筋には旗折り姫のラブコメを採用したのです。
余談でした。




