50 運動会(前編)
「お、今年は父兄参加のパン食い競争あるみたいですよ」
「えっ、本当ですか!?」
いそいそ和樹に近づいてきたゆかりの目がキラキラしている。
「はい」
「ということは、もしや」
期待を込めて和樹を見つめるゆかり。
「その通りです! 高村屋のあんぱんが確保できたそうですよ」
「やったー! 和樹さん、私、今年は競技に参加します!」
「わかってます。エントリーしましょうね」
子供たちが不思議そうに両親を見つめる。
「お母さん、そんなに運動会出たかったの?」
「お母さんはパン食い競争得意なんだぞ」
「へえ、そうなんだ」
「ああ。飛鳥ちゃんが幼稚園に通っていたときの運動会でぶっちぎりの一位だったんだ。飛鳥ちゃんに頼んだらビデオ見せてもらえるんじゃないか?」
「わあ、今度お姉ちゃんにお願いしよう!」
「やだ、恥ずかしい! お願いしなくていいよ~っ!」
「でもなんであんぱん競争に出ることになったの?」
「それはね……」
◇ ◇ ◇
なんで、こんなことになったのだろう……。
「おいおい、いつの間にゆかりちゃんを落としたんだ? 色男さんよぉ~」
「結婚するときは俺が仲人するから呼べって言っただろうが! ったく水臭ぇなぁ!!」
「初々しくっていいわー! 新米パパママって感じ!」
さわやかな秋晴れの空の下。地区ごとに立てられたテントの下で、私は大きく誤解した常連さんたちに怒涛のごとく詰め寄られていた。靴を脱いでゴザの上に上がっていてとても快適なのだけど、いまはこの場が処刑場か何かと思われた。
「ふふ、僕の奥さんかわいいでしょう?」
「あああああ和樹さんっ!!」
常連さんの悪ノリにひょいひょいと乗っかる和樹さん。奥様方はきゃあきゃあと黄色い声をあげているが、テント内に少しいる中高生女子たちの視線が刺さるように痛い。
私は安請け合いをしてしまった数日の自分を心底恨んだ。
いや、私は何も悪いことはしていない。悪いのはスイカ畑でかがむようなことをわざとしている和樹さんであるべきだ。
◇ ◇ ◇
ことの発端は数日前に遡る。
いつも通りの穏やかな平日の昼下がり。
怒涛のランチタイムをマスターと乗り切り、私はテーブルの片付けを、マスターはカウンター内で料理の仕込みをしていたところに入口のカウベルが鳴った。
「いらっしゃい」
「いらっしゃ……あら、叔母さんと飛鳥ちゃん」
一度手を止めて入り口の方へ向かった。
「こんにちは」
「マスターとゆかり姉ちゃんこんにちはー」
「こんにちは。お好きな席へどうぞー」
「いや、あの、すみません。今日はちょっとゆかりさんにお願いしたいことがあって……」
席を勧めると、叔母さんは両手を左右に振り、眉をはの字にしておずおずと口を開く。
「私に?」
自分で自分を指差すと、叔母さんがこくりと頷いた。そんな大層な力は生憎と持っていないのだが、何かと助けてもらっている親戚の力にはなりたい。
「私でできることだったら良いんだけど」
自信がなくて苦笑を浮かべていると、叔母さんは飛鳥ちゃんの両肩を持ってずい、と私の方へと押し出す。
なんだろう? と思いながらとりあえず飛鳥ちゃんと見つめ合う。飛鳥ちゃんはなんだか乾いた笑みを浮かべていた。
「今週の日曜日、幼稚園の運動会があるんです。私はもともと仕事があるので夫が行く予定だったんですが、急な仕事が入ってしまって……」
叔母さんは申し訳なさそうに飛鳥ちゃんを見つめる。
いくら大人びているとはいえ、園児にひとりぼっちの運動会はかわいそうすぎる。そういうことなら、私でよければ是非とも力になりたい。
「なるほど。つまり私が飛鳥ちゃんの保護者代わりをすればいいんですね?」
コクコク、と叔母さんが一生懸命頷く。今度の日曜日は珍しく喫茶いしかわのシフトはお休みだし、全く問題なしだ。
「日曜日は特に用事もないから大丈夫だよ」
「本当ですか!?」
「本当本当! そのくらいならまっかせて!」
どーん! と胸を叩いてみせると、叔母さんの目がキラキラと輝く。
「ありがとうございますー!!」
「いえいえー。困ったときはお互い様だから気にしないで! それに私も運動会楽しみだし!」
運動会なんて何年ぶりだろう? 高校生以来だから……うわー……地味に傷ついた。
「お疲れ様です。なんだか賑やかですねぇ」
もう一度カウベルが鳴って、和樹さんがやってきた。
「あ、いらっしゃいませ和樹さん。お疲れさまです」
「いらっしゃい、和樹くん」
「実は来週の日曜日に飛鳥ちゃんの運動会があるんですけど、私も夫もいけなくて。代わりにゆかりさんに行ってもらえることになったんです」
「叔母さんの代わりにはなれないけど、精一杯頑張るからね、飛鳥ちゃん!!」
「アハハ……」
よっぽど両親が来られないことがショックなのか、飛鳥ちゃんの笑顔に元気がない。
「和樹くんも飛鳥ちゃんの応援行って来たら?」
「僕ですか?」
マスターの提案に和樹さんがきょとんとした表情を浮かべた。
「男手は多い方がいいでしょ。地区のテント設営もあるだろうし、あとは荷物持ちとか」
マスターがパチリとウィンクする。すっかりおじさんなのに、なぜだかチャーミングに見えるのだから不思議だ。
「マスターからのお許しが出たので、僕もご一緒しても?」
和樹さんは飛鳥ちゃんに視線を合わせてお伺いを立てる。
「来るなって言ってもゆかりお姉ちゃんを追っかけて来るくせに……」
「ん? 何か言ったかな?」
「わー! 和樹さんも応援に来てくれるなんて嬉しいなー!」
声の調子がちょっとおかしいような気がしたけれど、嬉しそうにはしゃいでいる飛鳥ちゃんを見てホッとした。やっぱりひとりぼっちの運動会は寂しいよね。
それに周りが家族ばっかりの中、一人でいるのも心細いなと思っていたのでマスターの提案は本当にありがたい。
「和樹さんと一緒にいっぱい応援するからね!」
「う、うん! ありがとうゆかり姉ちゃん!」
運動会に来られないご両親のためにもたくさん写真撮らなきゃ! あ、あと動画も! 和樹さんと二人なら手分けしてできるし、本当マスターグッジョブだわ!
……とかなんとか思っていた過去の私を本気で殴って冷静になれ!! と諭してやりたい。




