63 きみのぬくもり
和樹は、出張先からかけつけて、お世話になった人の通夜に参列した。
少しだけ顔を見せていただいた。同じ人間であったとは思えない無機物的な温度と質感。そこにもう命はない。
人の死が避けて通れないものであることは痛いほど知っている。
しかし和樹は知ってしまった。愛しい人の体温に触れ、繋がり合う幸福を。
そして、その体温が消えてしまうことを自分が何より恐れてることを。
◇ ◇ ◇
「おかえりなさーい! あれ? どうかしました……? んぁっ!?」
帰ってきた夫が無言でずぼっとパジャマの裾から手を入れてきた。ごそごそと服に手を突っ込んでくる夫。その手に性的ないやらしさはなく、少しカサついた大きな手は確認するようにぺたぺたとお腹や背中を触ってくる。
ちょ、ぷにぷにしてるとこ摘まないでほしい。もうっ。
ばきばきに鍛えてる和樹さんの身体と比較されたら困る。もしや筋トレコース? 前に一度、和樹さんのトレーニングに付き合って、翌日筋肉痛で動けなくなったのに。明日は休みだけど明後日は喫茶いしかわで仕事だ。うーん、筋トレは無理だなあ。
でも、そんな考えも夫の顔を見たら吹き飛んでしまう。迷子になった子供みたいな途方に暮れた顔をしてるから。こういう時は深く聞かずに思いきり甘やかしてあげよう。しばらくそうしてると、ぎゅっと抱き寄せられて夫の頭が肩に乗ってくる。満足したのかな?
「……ごめん、汚した」
「またお風呂に入ればいいだけです。……一緒に入ります?」
「うん」
これは間違いなく疲れてる。帰ってくるのは一週間ぶりで、そんなに長期間離れていたわけじゃない。でも多分精神的に辛いのかも。夫が最低限の単語しか話さない時は大抵そうだ。
「じゃあご飯先に食べちゃいましょ」
「うん」
「お風呂に入って温まって……二人でだらだらして、眠くなったら一緒に寝ましょう」
「うん」
「そうと決まれば! 行きますよー」
リビングへ夫を誘導する。手はお腹から離れてくれないので後ろ歩きしながら。それからずっと夫は私のパジャマに手を突っ込んだままだった。なにゆえ。
夕食を食べて、一緒にお風呂に入って、丁寧に洗いっこして。
リビングのソファベットをリクライニングにして二人寝転んでDVDを観る。パジャマに着替えた夫は私を腕の中に招き入れ、当然のようにパジャマの裾からまた手を突っ込んでくる。
今日はやけに肌に触りたがる。そういう気分なのかもしれない。
湧き上がる性欲ではなく、単純に人肌恋しいというやつだ。好きにさせよう。DVDは、とあるアニメ映画。子供向けと思って侮ることなかれ。名作中の名作だ。
「……なにこれ」
「あれ? 和樹さん見たことありませんでしたか?」
「見たことない」
「きっと感動しますよ」
映画開始から二十分。後ろから身体をまさぐられながらテレビ画面を見つめる。シュールだ。それにずっと手が触れ続けてるせいかお互いの温度が馴染んできてる。身体の相性のいい人は肌を重ねると境目が消えたように感じると言う。まさにそんな感じ。
「もっと体温感じたい」
「体温……感じないですか?」
「触りすぎてよく分からなくなった」
「馴染んでるんですよ。そのうち境界線もなくなってどろどろに溶けちゃう」
そうして私たちひとつになるの。なんて冗談をこぼすと、後ろで小さく笑う気配がする。
「……いっそ、溶けてしまいたい」
本当に消えてしまいそうな声。年に一度あるかないかくらいのネガティヴ和樹さんだ。そろそろ復活させないと。身体を捻って後ろにある顔にキスをする。振り向きざまにちゅっと音を立てた場所は夫の鼻先。
「……鼻先にキスを送る意味知っててやってます? そばに置いて可愛がりたい……ゆかりさん、僕を可愛がってくれるの?」
「残念。溶けちゃったら可愛がってあげられませんねぇ」
「じゃあ溶けるのやめる」
腰から下も捻ってテレビに背を向ける。胸元に夫の顔を抱き寄せて、子供にするみたいによしよしと頭を撫でる。サラサラストレートに見える髪は触ると少しゴワついてて、額にかかる長めの前髪を指で掬い上げるとこちらを見上げる瞳に出会う。その瞳の甘ったるいこと!
「ふふ、和樹さん可愛い」
「僕に可愛いなんて言うのでゆかりさんくらいだよ」
いきなり暗いお話から入っちゃいましたけど、まさかの100部分到達です。
今回は、和樹さんがゆかりさんにべったり甘えるパターン。
おそらく不安定になる回数はゆかりさんのほうが多いでしょうけど、和樹さんは一回の落ち込み具合がすごそうですよね。
子供たちがいれば、弱いところは絶対見せたくないと意地で取り繕うけど、ゆかりさんには全部見せて存分に甘やかされたいのが和樹さんです。




