第10話 源への、長い道
その夜は、崖から少し離れた岩陰で、火を焚いた。
あの“連中”が戻ってくる気配は、なかった。それでも、俺もカイラも、しばらくは、無言だった。昼間の邂逅が、互いの中で、まだ、生々しく燻っていた。
ぱちぱちと、火が爆ぜる。その音だけが、夜の静けさに、響いていた。
火にくべた枝が、香ばしい煙を上げる。生きているものの匂いだ。あの島で、根こそぎ奪われていた、それが、ここには、ある。それだけのことが、妙に、ありがたかった。
分かったことは、多い。沈みは、ひとりでに広がっているんじゃない。あの組織が、各地の楔、つまり核を、わざと壊して回り、滅びを早めている。そして、奴らは、人ではない、何か。盗まれたものを返す、という、わけの分からない理屈を、掲げて。
考えれば考えるほど、敵の大きさが、のしかかってくる。たった二人で、追えるような、相手なのか。
いや、追えるかどうかじゃない。追わなければ、ならない。源を目指し、この沈みを止める。それだけが、俺に残された道だった。その決意だけは、揺らがない。だが、行く手に立ちはだかるものの大きさに、正直、息が、詰まりそうだった。
「ねえ」
火の向こうで、膝を抱えていたカイラが、口を開いた。いつもの、軽い調子じゃなかった。
「ずっと、聞きたかったんだけど。あんた、なんで、そんなに、自分を後回しにするの」
俺は、火を見つめたまま、答えなかった。
「初めて会った時も、そう。さっきも、そう。すぐ、自分が消えるのも構わずに、突っ込もうとする。……何か、あるんでしょ。あんたが、そこまでする、理由が」
しばらく、迷った。
誰にも、言うつもりは、なかった。だが——この旅で、背中を預け合ってきた、こいつになら。ふと、そう思った。
俺は、ぽつぽつと、話し始めた。
俺の故郷の、島守の家のこと。代々、伝えられてきた、戒めのこと。——「咎人の血は、身を捧げて贖え」。
この世界を滅びへ突き落とした、最初の罪。封印を壊し、虚を解き放った、その大本は、俺のご先祖だった。だから、その血を継ぐ俺は、身を捧げて贖わなければならない。そう、教えられて、育った。
「だから、俺は、源へ行く。沈みを止めて、俺の血が招いたものに、けじめを、つける。それが、俺にできる、たった一つの、贖いだから」
話し終えても、カイラは、すぐには、何も言わなかった。
やがて、ぽつりと、こぼした。
「……馬鹿じゃないの」
その声に、棘はなかった。むしろ、泣きそうな、響きだった。
「ご先祖が、やったことでしょ。あんたが、壊したわけじゃない。生まれてくるより、何百年も昔の話を、なんで、あんた一人が、命がけで、背負わなきゃいけないの」
俺は、言い返せなかった。
「血を継いだから? そんなの……あんたが、選んだことじゃ、ないでしょ」
カイラの声が、少しだけ、震えていた。
「あたしは、嫌だよ。せっかく生き延びた人が、自分で自分を追い詰めて、消えていくなんて。そんなの……見たく、ない」
それは、彼女の、心からの言葉だった。誰かが独りで何もかもを抱え込んで、消えていくのを、何より許せない。それが、カイラという娘の、芯なのだ。
その通りだ、と、頭のどこかが、言う。だが、それを、認めるわけには、いかなかった。
もし、贖いが、不要なものなら。俺が、背負わなくていいものなら。じゃあ、爺さんの死は。あの守り手の死は。俺が力を継いだ、その意味は。何もかもが、宙に、浮いてしまう。
だから、俺は、首を振った。
「……そういう、ものなんだ。俺の、家は」
うまく、説明できなかった。理屈じゃない。物心ついた時から、骨の髄まで、染み込んでいる。それを、今さら、間違いだと切り捨てることなんて、できなかった。
認めてしまえば、楽になるのかもしれない。背負わなくていい、と。だが、その楽さが、俺には、怖かった。それはきっと、爺さんや、あの守り手の死を、無駄にすることのような気がして。
カイラは、それ以上は、言わなかった。ただ、不満げに、唇を尖らせて、火に、小枝をくべた。
けれど。
胸の底で、また、あの声が、揺れた。生きろ、と。爺さんの、最期の言葉。咎人の血は贖えと、誰より厳しく説いたあの人が、死の間際に、漏らした、本心。
あんたが、命がけで背負う必要なんか、ない。カイラの言葉と、爺さんの声が、奇妙に、重なって聞こえた。
俺は、その二つから目を逸らすように、火を、見つめ続けた。
火が、だいぶ小さくなった頃。
俺は、話を変えるように、口を開いた。
「……これから、どうするか、だ」
カイラも、表情を、引き締める。
「源へ、行くんでしょ。あんたの、けじめのために」
「ああ。だが、それだけじゃ、足りない。あいつらは、組織だ。一人や二人じゃない。各地の核を壊して、たぶん、源へ向かっている。……俺たち二人だけじゃ、あまりに、心許ない」
壊された核の場所をたどれば、源への道筋は、見えてくるだろう。だが、その先で待っているものの大きさを思えば、今のままでは、とても太刀打ちできそうになかった。
「仲間が、いる」
俺は、言った。
「情報も、足場も。……一度、生き残った人たちが、身を寄せ合っている場所へ、行こう。噂を集めて、態勢を、立て直す」
カイラの目が、ぱっと、輝いた。
「それ、あたしの、得意分野」
彼女は、ふっと、いつもの調子を取り戻して、笑った。
「散り散りになった人を、捜して、繋ぐ。ずっと、やってきたことだもん。任せて。当てなら、いくつか、ある」
その夜、俺たちは、決めた。
まずは、人の集まる場所へ。そこで、力を蓄え、敵を知り、源への道を、たどっていく。
長い、旅になる。たった二人で始まった道は、これから、もっと多くのものを巻き込んで、続いていくのだろう。組織。楔。源。そして、まだ誰も知らない、この世界の、本当の姿。
怖くない、と言えば、嘘になる。だが、隣には、もう、一人じゃない誰かがいる。たったそれだけのことが、すくみかけた足を、前へと向けてくれた。
火が、消える。
俺は、夜空を見上げた。星々の、その遥か向こう。沈みが、最も濃く渦巻く方角。すべての答えが、眠る場所。
そこへ、たどり着く、その日まで。
俺は、隣で寝息を立て始めた相棒の気配を、確かめながら、静かに、目を閉じた。
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