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第4話:ぶっきらぼうなお客さん


 開店から一週間が経った『銀の厨房』は、決して客足が良いとは言えなかった。初日は好奇心からか何人かが訪れたが、その数は日を追うごとに減っていった。


 シルヴィアはそれでも諦めず、毎朝、炉に火を入れ、市場で手に入る新鮮な野菜を仕入れていた。たとえ客が来なくても、一皿の料理が作れる限り、彼女は店を開け続けるつもりだった。


 そんなある日の午後、客足がとだえた店の扉が開き、一人の男が入ってきた。

 短く後ろ髪を束ね、眉間に皺を寄せ鋭い目つきをした、いかにも気難しそうな男だった。


「あ! えっと、いらっしゃいませ……」


 シルヴィアの声は少し震えていた。彼の厳しい視線が店内を隅々まで見渡し、何かを評価するように細部にまで注がれている。特に彼の目が厨房の方向に向けられたとき、シルヴィアは息を呑んだ。


 男はテーブルに着くと、何か言いたげに彼女を見上げた。


「この店、一番のおすすめは?」


 低い、しかし通る声で男が問う。シルヴィアは一瞬言葉に詰まったが、小さく頷いた。


「で、でしたら……ポトフになります。とはいっても、うちではこれしか出せないけど」


 クスりと笑いながら言うシルヴィアの言葉に、男の眉が上がり、次いで眉間にしわが寄った。まるで「正気か」と言わんばかりの表情だった。


「……それだけ?」

「で、でも! 今朝一番に市場で選んだ野菜を使ってるから、きっと美味しいはず。ぜひ、食べてみて」


 シルヴィアは精一杯の誇りを持って答えた。男は少し考え込むような仕草をしてから、小さくため息をついた。


「なら、そのポトフをくれ」

「はい! では、少々お待ちを。すぐに持ってくるから待ってて!」


 シルヴィアは小さく頷いて厨房へと急いだ。

 シルヴィアは深呼吸をし、大切に育てるように煮込んできたスープを器に注いだ。野菜たちは形がバラバラで、お世辞にも見栄えが良いとは言えない。それでも、彼女は精一杯美しく見えるように盛り付けた。


 ぶっきらぼうな彼──エルベルトはおずおずと出されたポトフを眺めた。

 器の縁からはみ出して零れたスープの跡、大きさがまちまちな具材、バランスを欠いた盛り付け──職業的な目で見れば、それは失格点をつけたくなるような一皿だった。


「どうぞ、ごろごろ野菜のポトフです」


 シルヴィアの声に促され、彼は無言でスプーンを手に取った。期待せずに口に運ぶ。


 一口。エルベルトの眉が、わずかに上がった。

 二口。彼の眼差しが、不思議そうに器を見つめる。

 三口目で、彼はようやく理解した。目の前の料理が持つ「何か」を。


 見た目の粗さとは裏腹に、口の中に広がるのは驚くほど優しい風味だった。素材の味が生き生きと主張しながらも、決して喧嘩することなく調和している。にんじんの甘み、じゃがいもの滑らかさ、玉ねぎの深い旨み──それらが溶け合い、どこか懐かしい安らぎを呼び起こす味わいになっていた。


 技術的には素人同然。

 しかし、一流の料理人が一生かけても辿り着けない何かがある。


 エルベルトは、自分の中に湧き上がる矛盾した感情に困惑した。苛立ち、そして同時に、好奇心。


 彼はスプーンを置き、立ち上がった。答えを求めて、厨房へと足を向ける。

 厨房の入り口から中を覗き込んだエルベルトは、思わず息を呑んだ。



 ──そこにあったのは、信じられない光景だった。



 シルヴィアが炉の前でうずくまり、灰の掃除に手こずっていた。彼女の金色の髪も、整った顔立ちも、服も、すべてが白い灰に覆われている。時折咳き込みながらも、彼女は必死で作業を続けていた。


 あまりにも不器用で、あまりにも懸命な姿に、エルベルトは思わずため息をついた。


「おい、あんた。そんなやり方じゃ一日かかるぞ」


 シルヴィアは驚いて振り返り、灰まみれの顔で彼を見上げた。


「ここは厨房だから、お客さんは入っちゃだめよ!」

「見てられないんだよ。俺がやる」


 そう言って、エルベルトは袖をまくり上げた。

 彼はシルヴィアを軽く脇に押しやると、手慣れた動きで灰の掃除を始めた。灰を巻き上げることなく、効率よく掃き集めていく。シルヴィアは呆然と見つめるしかなかった。


「すごい……そんなに上手に……」

「当たり前だ。これが基本中の基本だからな」


 灰の掃除を終えると、エルベルトは立ち上がり、厨房を見回した。そこで彼の目に入ったのは、仕込み途中の食材たち。乱雑に切られた野菜と、不均一な大きさの肉片。


 シルヴィアは次の仕込みを始めようとして、包丁を手に取った。エルベルトはその様子を見て、堪忍袋の緒が切れた。


「違う! その皮、厚すぎるぞ!」


 彼は思わず叫んでいた。シルヴィアが手にしていたじゃがいもを見て、そのずさんな皮むきに職業的本能が反応したのだ。


「え? で、でも……」

「それに、火力が強すぎる。鍋を見ろ! 煮立ちすぎてるじゃないか!」


 矢継ぎ早に飛んでくる批判に、シルヴィアの顔が次第に赤くなっていった。疲れと悔しさでいっぱいの彼女は、ついに爆発した。


「うるさいっての! 何がわかるのよ! 口で言うだけなら簡単じゃない!」


 彼女は包丁を握りしめ、怒りに震えていた。


「……それほど言うなら、キミがやってみなさいよ!」


 売り言葉に買い言葉。

 しかし、エルベルトはシルヴィアの目の奥に宿る悔しさと真剣な光を見逃さなかった。彼は呆れたように肩をすくめると、腕まくりをした。


「……ああ、やってやるとも。そのへっぽこな包丁を貸せ」


 彼は手を伸ばし、シルヴィアの『銀の包丁』を指さした。


「へっぽこってなによ!」


 シルヴィアは憤然として反論したが、エルベルトの視線は真剣だった。彼女その眼差しに黙って包丁を手渡す。


「……はい」

 エルベルトはシルヴィアの手から『銀の包丁』を受け取ると、まな板の上の人参に手を伸ばした。


 ──トトトトト……!


 響いたのは、これまでシルヴィアが出していた不揃いな音とは全く違う、軽やかで均一なリズムだった。エルベルトの手元では、まるで魔法のように人参が同じ厚さの薄切りになっていく。その動きには一切の無駄がなく、刃がまな板を叩く音は調和を保った旋律のようだった。


「うわぁ……綺麗……」


 シルヴィアは思わず呟いた。

 均一に切り揃えられた食材。丁寧な切り口。


 だがシルヴィアが見惚れたのは、彼の手が生み出すリズミカルな音と軌跡。それは舞踏のようであり、音楽のようでもある。まるで名高い芸術家が、優雅な筆さばきで無から美を生み出していく様を見ているかのようだった。


 彼の指先に宿るのは、長い修練によって得た確かな技術。

 それは芸術と言っても過言ではない流れるような動きだった。


 わずか数分で、エルベルトの前には整然と並んだ完璧な野菜の切り身が並んでいた。すべてが同じ厚さ、同じ大きさ。まるで一つの型から切り出されたように均一だった。


「ほら、こうやるんだ。あんたもやってみろ」

「いや……そんなの見ただけで出来るわけないじゃない! 無理だから!」

「いいから、やってみろ。手を動かさないと、出来るようになることも出来ない」


 エルベルトはそう言って、包丁をシルヴィアに突き返した。シルヴィアはハッとして包丁を受け取り、見様見真似でじゃがいもを切ろうとした。


 しかし、どれだけ集中しても、彼女の手は彼のようには動かなかった。刃は滑り、厚さもバラバラだった。


「…………」


 呆れたような、しかしどこか放っておけないといった表情で、エルベルトは彼女の手元をみていた。


「……もう一度。今度は、ゆっくりでいい。力を入れすぎるな」


 彼は後ろからシルヴィアの手を取り、正しい持ち方を教えた。


「こ、こう?」

「もう少し手首の力を抜いて」


 エルベルトの声は、鋭さを失い、静かに厨房に響いた。



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