第三十三章:亡霊の国で、思想は歩く
榊原鷹彦が逮捕されてから六十一日後、
ついに彼の「思想安全保持法違反」事件に対する初公判が開かれることが告知された。
その発表は、政府広報から一方的になされた。
「国民の不安を煽る情報の拡散を防ぐため、裁判は原則非公開とする」
という、異常な決定とともに。
国内の法曹界は凍りついた。
憲法で保障された「公開裁判の原則」に明確に反する対応だったからだ。
弁護団――その中心にいたのは、若手人権派弁護士の田口綾音――は、即座に公開請求を提出。
国際NGOのアムネスティ、ヒューマンライツ・ウォッチも同日中に声明を出した。
「思想を裁くという行為そのものが、法に対する最大の侮辱だ」と。
公判当日、東京地方裁判所はかつてない警備態勢に包まれた。
•周辺一帯は完全封鎖
•ドローンによる上空監視
•SNSでの投稿検閲と発信規制
傍聴を許されたのは、ごく一部の国会議員・司法関係者・公認メディアのみ。
市民の多くは、裁判が行われていることすらリアルタイムでは知ることができなかった。
しかし、それでもなお、
裁判所の周囲には静かな群衆が集まった。
声を上げることなく、ただじっと見つめ、立ち尽くす人々――
かつて榊原の言葉に救われた人々が、無言で結集していた。
「裁判を始めます」
裁判長の硬い声が響く。
榊原は被告席でただ静かに座っていた。
目の前には二人の弁護人。
その傍らに膨大な記録資料と、無数の草稿。
検察官が立ち上がり、冒頭陳述を始めた。
「本件被告人は、国家主権のあり方を転覆させようとし、
特定外国勢力との連携をほのめかし、
公共の秩序を著しく攪乱した。
その思想は、自由という名を借りて国家統合を破壊するものである。」
傍聴席がざわついた。
“思想そのもの”が起訴理由として語られた。
弁護人の田口綾音が立ち上がった。
小柄な体を震わせながら、明瞭に語る。
「本件は、言葉の問題です。
行動でも暴力でもなく、ただ“語られた思想”を、
この国はいま裁こうとしている。」
「では問います――
国家の未来を議論することは、犯罪なのですか?
民主主義国家において、
『国家そのもの』を問い直す自由は、もう許されないのですか?」
「これは、被告人個人を裁く裁判ではない。
この裁判こそが、この国の“法の支配”を試しているのです。」
榊原鷹彦は、公判のほとんどの時間、何も語らなかった。
質問にも応答せず、ただ目を伏せ、手元のノートに何かを書き続けていた。
裁判長に促されても、彼は口を開こうとしなかった。
だが、公判の終盤、裁判官が最後にこう問いかけた。
「あなたは、自らの行為が法に違反していたと思いますか?」
榊原は、静かに顔を上げた。
目の奥には、怒りでも悲しみでもない、透明な諦念があった。
そしてこう答えた。
「私の行為が罪であるなら、
この国の未来は、私よりも先に閉ざされていたのです。」
その言葉は、法廷全体に深い沈黙をもたらした。
弁護人ですら息を呑んだ。
検察官は顔を上げなかった。
この公判は、ごく短い記事として新聞に掲載された。
「思想犯 榊原被告、公判で反省なし」
「国家転覆の意図を否定せず、引き続き審理」
「混乱を避けるため、内容の詳細は非公開」
一方、地下メディアや匿名SNSでは、傍聴者の断片的な投稿が拡散されていた。
「本当に思想を裁いている」
「言葉が武器になる時代が来た」
「彼の沈黙こそが、国家への最後の質問だ」
ある動画クリエイターは、榊原の言葉を再構成して詩にした。
地方の小劇場では、公判記録を再現したリーディング劇が始まった。
語られた思想は法廷で封じられたが、
その残響はかえって人々の中で、かつてない力を持ち始めていた。
裁判は長期化した。
検察は新たな証拠と称して、過去の演説記録、通信履歴、読書会資料を持ち出し、
榊原を「反国家的ネットワークの構築者」と定義しようとした。
だが、弁護団は一貫して言った。
「被告人は国家を否定したのではない。
国家を再定義しようとしたのです。」
「それが罪なら、もはやこの国に“未来を構想する自由”はありません。」
法廷はますます政治劇と化していった。
だが、その中で、榊原の思想が「問いの形」として定着し始めていた。
彼は語らず、記録も取らせなかった。
だが、それでもなお、彼は語っていた。
彼の「存在」が、思想そのものになっていた。
榊原鷹彦が「思想犯」として起訴された冬、国家は言葉の監視をかつてない規模で強化した。
特定の思想用語――「主権貸与」「共有的国益」「構想的愛国」など――を含む投稿はSNSから削除され、出版・講演・教育の各分野では〈非奨励言語〉として暗黙の自粛が進められた。
公判記録は非公開とされ、傍聴者は誓約書を書かされた。
マスコミは“沈黙による従属”を選び、市民の多くは「知ること」そのものを諦めはじめていた。
しかし――
思想は、沈黙を通じて再び語られ始めていた。
それは国家の監視が届かぬ場所から始まった。
表ではなく、裏で。中央ではなく、地方で。声ではなく、手で。
最初に動き出したのは、かつて全国討論キャラバンを支えていた地方読書会の主催者たちだった。
彼らは公安による摘発を恐れ、一度は集会を解散していたが、榊原の公判を契機に、極秘に「再集合」を始めた。
•北海道・旭川では、農業共同組合の倉庫が深夜の討論会場となり、畑の若者たちが回覧式で草稿を写本した。
•岐阜・高山市では、寺の住職が本堂を開放し、若手僧侶たちが「沈黙の説法」として榊原思想の朗読会を行った。
•福岡・糸島では、かつての活動家が海辺の喫茶店で「言葉の茶会」と名乗る集まりを始め、観光客に見せかけて思想を伝えた。
•長野・佐久では、元市議が診療所の待合室を使い、録音教材で“思想入門”を流し続けた。
彼らは直接「主権貸与」と言わない。
「構想」とも「自治」とも言わない。
だが彼らが交わす暗号のような言葉には、かつて榊原が語ったすべてが宿っていた。
公安の情報統制が厳しくなるにつれ、若者たちは次第に独自の通信手段を開発していった。
匿名ネット掲示板や暗号化チャットツールが用いられただけでなく、旧式のP2P通信や短波ラジオも再評価され、「音声ではなく沈黙が思想を運ぶ」という逆説的な運動が始まった。
•通信工学を学んでいた大学生たちは、キャンパスの屋上から微弱無線を飛ばし、「討論周波数」として地方都市を結んだ。
•映像系クリエイターは「記録されなかった榊原演説」を再現する架空映像を制作し、無音の字幕動画として拡散した。
•図書館職員らは除籍処分となった思想書の中に草稿を挟み、貸出履歴を使って思想の移動を可視化する“蔵書運動”を展開。
通信ではなく「配線」。音ではなく「沈黙」。言語ではなく「連帯」。
国家が禁止する“語り”の代わりに、“運ぶ”こと、“渡す”ことが、新たな言論になっていった。
国内における表現の封鎖とは対照的に、海外では榊原の思想が静かに翻訳・受容されつつあった。
•ベルリン自由大学では「Post-National Sovereignty(ポスト国家主権)」という新概念の講座が設置され、榊原草稿の仮訳が教材として使われた。
•台北・高雄では亡命した元読書会メンバーがミニコミ誌を刊行、「Sakakibara Papers」という特集を継続的に掲載。
•サンパウロでは日系移民団体が「国家の外で国家を考える」と題した座談会を定期開催し、第二・第三世代の若者たちが関心を寄せた。
こうして榊原の思想は、日本国内の法制度という檻を破って、他国の市民によって“拾い上げられる”運命に入った。
日本国内では言うことができない名前が、ドイツや台湾や南米で“未来を語る鍵”として静かに広がっていった。
海藤仁は、この時期、一切メディアに姿を見せていない。
だが、後に公開された記録からは、彼が地下思想ネットワークの構築と維持に深く関わっていたことが判明している。
•海藤はかつて榊原と共に起草した草稿の“第六章”を未発表のまま保持しており、それを暗号化して複数の支部に分散配信していた。
•特定の読書会に対しては、手書きの個人メッセージを通じて「戦略的に何を語り、何を沈黙するか」を指示していた。
•海藤の通信はすべて他人名義、旧式のFAX、ワープロ印刷、オフグリッド端末を用いたもので、公安は解読不能のままだった。
そして、ある文書が出回り始める――
それは「沈黙の継承宣言」と名づけられた、短い詩文形式の声明だった。
ひとは語らずとも思想を持つ
声を奪われても、
胸の奥に沈んだ言葉は、
いつか地熱のように噴き上がる
この詩は一夜にして数千人に伝わったが、出所は不明。
後に、海藤本人の手によるものだったと噂されるようになる。
公判が長引く中、地方から始まった地下ネットワークは都市部にも戻ってきた。
•都内では、廃ビルの屋上でプロジェクション・マッピングを用いた“無言演説”が開催され、榊原のシルエットと草稿の一節が無音で映し出された。
•下北沢・中野・谷中などの古書店では、「詩と思想の夕べ」と銘打ってリーディング集会が復活。公安が張り込む中でも、集まる人々は減らなかった。
•匿名の市民グループが発行するZINE(個人雑誌)では、榊原の発言の一節がグラフィックアートとして掲載され、「語る思想から、感じる思想へ」と語られた。
都市においても、言葉は“声”から“場”へ、“意味”から“気配”へと変わっていた。
それでも、それはたしかに人々のあいだに“思想”として循環していた。
榊原鷹彦は語らない。
だが彼の語った「問い」は、あらゆるかたちで反響している。
問われるべきは国家であり、社会であり、そして私たち自身である――
その単純で重い命題が、今や地下ネットワークによって世界中に広がり始めている。
思想は生きていた。
語られないことで、より強く、深く、しぶとく。
そしてその思想は、ある瞬間を待っていた。
もう一度、地表に現れる機会を。




