広がる噂と新たな話
フィンの店の評判は爆速で迷宮都市中に広がった。
これまで付与魔法の効果がついた菓子など売りにだされたことがなかった。付与魔法の使い手が少ないから当然である。
付与魔法付きの菓子の存在は、迷宮探索を大幅に楽にする。
例えば今まで勝てなかった敵にも、身体能力一時向上魔法が付与されたクッキーを食べて挑めば勝てるようになる。
戦線が崩壊しかけていた時、魔力上昇効果のあるシャーベットを食べた魔法使いがいれば、敵を吹き飛ばすことができる。
もはや体力が尽きて迷宮から脱出することさえもできそうにない時、体力増強効果のある寒天ゼリーを食べれば、体に力がみなぎって迷宮出口まで走ることができる。
付与魔法付きの菓子というのは、そうしたことを可能にする、画期的なアイテムなのだ。
おまけに菓子そのものの味がおいしい。
迷宮都市で売られている菓子とは一線を画するその味わいに、虜になる探求者たちも多かった。評判が悪いのはにぼし入り紅茶とかつおだしコーヒーくらいのものである。
というわけで、店には連日客が殺到するようになった。
もはや最初の「伝説の探求者がやってくる」という噂で来る客はいない。
単純に、フィンの作ってエマが魔法付与をした菓子を欲して来る客でいっぱいになった。
客がくるなら品物を作る。それが職人のサガである。
フィンは毎日ほぼ徹夜で菓子を焼き、エマもそれを手伝い、そして出来上がった大量の菓子に魔法を付与した。
そんなことを続けること十日。
フィンはカウンターにだらりと上半身を預け、そのままヒクヒクと痙攣する。
「エマ……僕に疲労回復の付与魔法かけてくれ」
「これ以上連続付与するとフィンさんが本当に廃人になってしまうので、無理です」
「そんな!」
がばり、と顔を上げたフィンの眼孔は落ち窪み、頬はこけ、しかし目だけは精気がみなぎりらんらんと輝いている。ありていに言って怖い。
「フィンさんにかけているのは、お菓子に付与しているよりも強い魔法なので……長期の連続運用は体に負荷をかけすぎて、あとでとんでもない反動が体を襲うことになります。取り返しのつかないことになりますよ」
「人間には無理をしてでもやらなければならない時があるって言ったのは君だろう!」
「何事にも限度というものがありますので」
エマは眉尻を下げ、とても申し訳なさそうな顔になった。
「そもそも、フィンさんがこんなに無理をするようになったのは、私のせいですよね……ごめんなさい」
「何言ってるんだ。店が繁盛してるんだからいいことだろ」
「ですが、さすがにこれはちょっとやりすぎです。本当にすみません」
「いいんだ。こんな僕の作るものに価値を見出してくれてありがとう。僕は廃人になったっていい。だから、だから魔法付与を……!」
「やかましゃあ!」
ボグッと鈍い音がして、フィンの頬に猫パンチがヒットした。
既視感だ。
以前にも同じようなことをされた。
というか割と頻繁に殴られている。思いっきり手加減してくれているはずなのだが、それでもキトの一撃は重い。
フィンの意識はそこで途切れた。
*
一撃で沈んだフィンの体を、キトはそっと抱き止めた。殴り飛ばしたわりに手つきは優しい。
「全くコイツは困ったやつだみゃあ」
「すみません、私が無理させたばかりに」
「いい年こいて加減ができないコイツが悪いんだみゃあ。……とはいえ、嬉しかったんだろうみゃあ。ずっとくすぶってきた奴だから」
白目を剥いているフィンを自室のベッドに横たえさせ、その横にずるずると椅子を引きずってきて、どっかり座ったキトは息をついた。
エマもキトの隣に立ってフィンを見守る。
と言っても今のエマの身長だと、爪先立ちになってもフィンの顔が見えない。
「コイツはほんとーに心の優しい良い奴なんだみゃあ。だがちょっとコンプレックスが強くてみゃあ。色々あって、こんな感じの性格が出来上がった」
「まあ、ランバルド家のご子息が迷宮都市のすみっこでお菓子作っているという時点でお察ししますが……」
きっとフィンは、色々と辛い思いとか悔しい思いをしてきたのだろう。
それでも今自分にできることを精一杯やろうとしているのだから、偉いと思う。
「人にはがんばらないといけない時があるとは思いますけど、加減はすべきですよね。私も研究員時代、無理な徹夜がたたって何度も倒れたことがありますし」
「おミャぁの付与魔法がスゲェから、ついつい頼みにしたくなるんだろうみゃあ」
「キトさんも試してみますか?」
「オイラはそんなもんなくてもスゲー奴だから、遠慮しとくみゃあ」
フィンのベッド脇でそんな会話をしていると、店側の扉を誰かがトントンとノックする音がした。一度や二度ではなく、断続的にずっと続いている。
「誰でしょうね?」
「しつこい客だったらオイラが追い返してやるみゃあ」
二人して立ち上がり、店を突っ切って扉に近づいた。
ほんの少しだけ扉を開けて覗き見ると、立っていたのは真っ白い毛並みの猫の獣人だった。キトがこの獣人を見て反応した。
「みゃ? ケインじゃないかみゃあ」
「こんにちは、伝説の探求者様」
「一体何のようだみゃあ? 今、店は休業中だみゃあ」
「あら、そうだったの?」
「キトさんの知り合いさんですか?」
「おーともよ。こいつ、迷宮入り口付近に店を構えてる大店の主人だみゃあ」
「あら、かわいいお嬢さん。……フィンさんの隠し子かしら?」
「あいつにそんな甲斐性はねえーんだみゃ!」
みゃみゃみゃみゃ、とキトは豪快に笑った。エマは丁寧に自己紹介をする。
「初めまして。エマ・オベールと申します。学術都市エスカルマの王立研究所の研究員をやっておりまして、わけあってこんな見た目ですが、実年齢は十七歳です。現在はフィンさんのお店のお手伝いをしています。以後、お見知り置きください」
「あらあら、随分大人びていると思ったら……十七歳なのね。店主のフィンさんはいつごろ戻ってくるかしら?」
「きっかり丸一日後です」
「じゃあ、エマちゃんにお願いがあるんだけれど、店の主人に伝言をお願いできるかしら」
「はい。どういったご用件でしょうか」
「ええ、実は……」
*
「……迷宮表通りの『千のスプーン』にうちの店の菓子を置きたい?」
「はい、そういうお話でした」
フィンが意識を取り戻すのに、丸一日かかった。
エマが連日かけ続けた付与魔法の反動で一気に肉体に疲労が押し寄せ、回復するのにそれだけの時間が必要だったのだ。
エマは長年の研究によって、付与魔法を熟知している。いわばエキスパートだ。この道ならば誰にも負けないという自負がある。
だから、フィンに連続で付与した魔法も、ギリギリ廃人にならない程度の威力を狙っていた。
十日間人を不眠不休で働かせるための特殊効果魔法ーーそしてその反動までをも計算し尽くしていた。
だから丸一日たった後に目覚めるであろうフィンのために、着替えや食事や湯浴みの準備をし、心と体が落ち着いた頃を見計らい、昨日やってきたケインの話を切り出した。
白猫の獣人ケインは、大店の女主人だった。
迷宮都市一番の賑やかな通り、迷宮表通りの一等地に店を構えているという。
「オイラも新人の頃にはよく店に世話になってたみゃあ」
とはキトの言葉である。どうやらキトとケインはその頃からの顔馴染みらしい。
同じ猫獣人同士、通ずるものがあったのだろう。
ケインの店「千のスプーン」は自分のところで品物を作って売るタイプの店ではなく、迷宮都市中の良い店の品を集めて売っている商店だ。
迷宮の入り口に最も近い場所にある「千のスプーン」は探求者たちの御用達で、これから迷宮に潜ろうと考えている探求者たちが買い出しに訪れる。
だから「千のスプーン」に品物を置いたならば、一定の収入が見込めるという寸法だった。
「ケインさんは、フィンさんのお菓子を、店の一番良い場所に並べると言ってましたよ」
「急にすごい話が降ってきたな……まあ、付与魔法の効果を考えれば当然か」
もしエマがいない状態でこの話がやってきたら真っ先に詐欺を疑うところだが、今は違う。
「付与魔法の効果つきの菓子」という圧倒的アドバンテージが、フィンの菓子の価値をかつてないほど高めているのだ。
「ケインは金にはうるせーけどいい奴だみゃあ。何せ、金のために猫獣人のなまりを消し飛ばして、喋り方まで矯正するようなやつだからみゃあ。そんなケインに認められた今のおみゃあの菓子なら、並べた端から足が生えたように売れていくんだみゃあ」
「確かに……」
この狭い店に連日探求者が押し寄せて、誰が商品を買うかで喧嘩されるより、品物を卸してしまった方がこちらの手間的にもよほど楽だ。
そもそもここはカフェなはずなのに、ここ最近は持ち帰り商品ばかりが売れる有様である。儲けはあるがどことなく本末転倒な感じがする。
大商店の主人自らが店に来て、話を持ちかけてきた。
ここで乗らないと後悔するーー自分の頭の片隅で、そんな声がした。
「よし、話を受けよう」
フィンはそう決断をした。




