第65話 天狗
翌朝早く、カエデの寝顔をそっと撫でると俺は静かに外出の準備をする。
昨日の参拝が婚姻の儀だったとは知らず、別の事で頭が一杯だった。
だが、それをカエデに話すわけにもいかないだろう。
彼女が寝ている間に改めて参拝して婚姻の報告をするとしよう。
この世界の風習についてもっと勉強しないといけないな。
朝食の準備などで忙しい仲居さん達と会釈を交わしつつ宿を出る。
念のため神社へ行く事を伝えると不思議そうな顔をされた。
まあ、本来なら昨日の参拝で終わってるはずだしね。
朝靄に包まれた山の空気は胸に心地よい。
鳥居の前で一礼して長い石段を登り始める。
上の鳥居は朝靄に隠れてまだ見えない。
登っているうちにだんだんと靄が濃くなり、視界が白く閉ざされる。
宿との標高差はそれほど大きくはないはずだが、山の天気って奴だろうか?
視界は悪いが足元の石段を見失わなければ遭難することはないはずだ。
突如、強烈な存在感が俺を圧迫する。
いつの間に現れたのか、4mはあろうかという人型の存在が立ち塞がっていた。
服装は山伏風、手には錫杖、赤い顔からは大きな長い鼻が突き出ている。
天狗・・・・なのか?
天狗1「魔族の童が何用か?」
天狗2「ここは神域、荒津大銛命の『大神殿』なるぞ」
強烈な魔力の圧で立っているのもきつい。
これが魔力を込めた威圧という奴だろうか?
口振りからすると相手はこの地の守り手か。
一樹「参拝に参りました。神域を侵す意図はありません」
天狗1「血の匂いがするのう」
天狗2「濃ゆい濃ゆい血の匂いがするのう」
やはり体を洗った程度では落ちないらしい。
天狗1「これより先は『聖域』の最奥、余所者を入れる訳にはいかんのう」
天狗2「鬼族らは止められなんだか。吾等が相手をするしかあるまいのう」
戦うしかないのか?
この強烈な魔力の圧、ペンダントの魔力だけでは勝てる気がしない。
どう言えば信用してもらえるんだ?
シャランッと右側で錫が響く。
一瞬遅れて左から石段を滑るように錫杖が迫りくる。
ペンダントの魔力を吸い上げて跳躍する。
右から錫杖が突き出される。
魔道防壁を展開しつつ、押す力に逆らわず後ろに飛ばされる。
同時に風魔法で後ろに飛んで衝撃を軽減させる。
そのまま石段を転がり落ちつつ体勢を起こし更に後退する。
痛いが贅沢も言っていられない。
さっきの言葉から察するに天狗たちにとって鬼族は味方と言う認識らしい。
なんとか鳥居の外まで言って、鬼族に仲裁を頼むしかないだろう。
カエデ「お待ちください!その者は私の夫で御座います」
石段を半ば転がりながら降りていく先にカエデの姿が見える。
狭い石段に膝をつき、ひとつ上の段に三つ指を付いている。
天狗1「鬼族の娘よ、何故その者を一人で神域に入らせた?」
天狗2「鬼族の娘よ、異邦の者は鬼族の同伴なくしては入れぬ掟なるぞ」
カエデ「私の説明不足でございました。この罰は如何様にも」
一樹「説明は確かに受けておりましたが失念しておりました。大変失礼いたしました」
俺も石段に両手両膝をついて謝罪する。
俺の咎で妻ばかりを土下座させるわけにもいかない。
天狗1「魔族の童よ、その娘に免じて此度だけは許そう」
天狗2「魔族の童よ、ここは鬼族の守護者荒津大銛命の神域。努々忘れるで無いぞ」
一樹「はい、肝に銘じておきます」
息の詰まるようなプレッシャーが消えていくのを感じる。
恐る恐る顔を上げると天狗の姿は無く、霧も晴れていた。
遠くで鳥居が朝の日差しに照らされているのが見える。
日本の観光地化した神社を参拝する感覚でいた。
地球の超常がこちらの超常とは限らない。
天狗はここでは実在の存在だったのだ。
一樹「すまない、迷惑をかけたな」
カエデ「よい。それより大丈夫なのか?傷だらけじゃないか」
一樹「大丈夫、攻撃はほとんど食らってないよ。これは石段を転げ落ちた傷だ」
『領域』内なら石段を転がるくらいのダメージは無効化できる。
だが、ここで使える魔力はペンダントに蓄えた分だけだ。
天狗の攻撃に備えるため、転がるときの防御力強化は最低限にしていた。
カエデ「それなら心配は要らないな。きっと手心を加えてくれたのだろう。天狗様は『大神殿』の守護がお役目ゆえ、掟に従わぬものは排除せねばならぬ。しかし、害意の無いものまで無闇に殺したりはしないのだろう」
一樹「そうかもしれないな」
確かに手加減してもらえていたのかもしれない。
それにしても、なぜ『天狗』なんだ?
しかも、日本の昔話でおなじみの山伏ルックの天狗だ。
カエデ「ところで、なんで一人で参拝に来よう等としたのだ?」
一樹「それは・・・」
できればカエデには内緒で済ましたかった。
だが、ここは正直に話すしかないだろう。
一樹「昨日の参拝が婚姻の儀とは知らなくて他の事を考えていたんだよ。だから、ちゃんと結婚の報告と誓いをしようと思ってな」
カエデ「そうだったのか。ふむ・・・私も説明が足りていなかったようだな」
一樹「いや、俺も鬼族の風習についてもっと勉強しとくべきだったな」
カエデ「そのようだな。これからたっぷりと叩き込んでやろう」
一樹「お手柔らかに頼むよ」
カエデ「せっかくだ。このまま一緒に婚姻の誓いを立てにいくか。それとも、一度宿に戻って休むか?」
一樹「大した傷じゃない。せっかくだからこのまま行こう」
痣と擦り傷はひりひりと痛むが、大したダメージではない。
俺たちは昨日のように手を繋いで石段を登っていく。
そして今度こそ、しっかりと婚姻の誓いを神前で立てる。
カエデ「今度こそ婚姻の儀は完了だな」
一樹「ああ、ちゃんとご報告したよ」
カエデ「ならよし!ところで今日は最後に岩盤浴の個室を予約してあってな」
一樹「岩盤浴か、それはいいな」
全身擦り傷と打ち身だらけだし、ちょうどいいかもしれない。
カエデ「といっても一人分だがな。最近表情が暗いから、一樹の体を岩盤浴で暖めつつ私が揉み解して癒してやろうと思っていたのだ」
一樹「気を使わせて済まないな。ありがとう」
カエデ「いい妻であろう?だが今日は妙な報せを聞かされて肝が冷えたぞ。おかげでなんだか肩が凝った気がするなー」
一樹「それは大変だ。では役割交代だな。カエデが寝て、俺が揉もう」
カエデ「うむ!ま、それはそれでうれしかろ?」
そう言ってカエデは悪戯っぽく笑った。
確かに、カエデのきれいな肢体に触れられるのも俺の特権か。
きれいに磨かれた岩に敷かれた薄い布の上にカエデが横たわる。
普通なら湯浴み着とかタオルとかでいろいろ隠すんだろう。
しかし、個室で俺と二人きりのせいか、カエデは全裸のままだ。
今更ながら仰向けのカエデに目のやり場に困りながら揉んで行く。
照れたのか気を使ったのか、カエデが目を瞑る。
俺はマッサージを続けながら、小さいながらも形のよい胸を眺める。
続けてうつ伏せになったカエデの肩、背中、尻、腿と揉んでいく。
最後に、いろいろ見えてるのが気になりながら足裏を揉んだ。
カエデ「んー、気持ちよかった。余は満足じゃ」
一樹「それは何よりで御座いました」
カエデ「まだ時間は余裕があるな。一樹、代わってやろう」
一樹「いいのか?」
カエデ「元々はその予定だったのだ。それに、一樹がこの気持ち良さを味わわないと視察にならんだろう」
一樹「それもそうだな。じゃあ、頼むよ」
カエデ「任せろ」
そういえば将来うちの領に温泉宿を作る参考にする為だったな。
俺はカエデに代わって薄布の敷かれた岩盤に横たわる。
裸のままのカエデが俺に跨ってマッサージを始める。
うん、気持ちいい。
岩盤が気持ちいいのか、手の平が気持ちいいのか、お尻が気持ちいいのか。
よく分からんがいろいろ混じって気持ちいい。
微かに沁みる擦り傷の痛みすら気持ちよく思えてくる。
蕩けそうになりながらも、鈍い痛みが今日の出来事を思い出させる。
まさか異世界に来て天狗と戦うことになろうとはね。
戦うと言っても、禁を冒したのはこっちだし、防戦一方だったけどさ。
天狗とは本来は犬の姿で描かれる流星のメタファーだったはず。
それが日本ではいろいろあって山伏やカラスの姿に変わった。
つまり、人型の天狗は神話ですらないまったくの創作の産物のはず。
それがなぜ異世界で、鬼族の『大神殿』を守護しているんだ?
こっちの天狗がなんらかの形で地球に伝わった?
だとするならこちらから日本に帰る方法もあるのか?
或いは情報だけでも伝える方法があるのか?
いや、だとするならなぜ人型なのに『狗』なんだ?
『僕』の意で『狗』という表現を使うこともあるな。
ならば『天の僕』の意で『天狗』、つまりは天使の意なのか?
それなら『大神殿』を守護していることも自然ではある。
・・・・・いや、やはり無理があるか?
あの天狗はおそらくは日本からの転生者が作ったものだろう。
たとえば、天狗の姿を模したガーディアン。
だとするなら、『大神殿』とはつまり、、ダンジョン・・・なのか?




