女神(敵)との戦い・1
「夏希。そう言われて私が引っ込んでいると思う?」
ミューズが僕に問いかける。
「親が子供に我儘を言われてハイそうですかってなるわけないでしょう。ここは私に任せなさい。あなたはまだまだ子供なのだから」
「ミューズ。もしここでミューズに助けられるようなことになったら、僕は潔く死ぬよ」
「夏希、何を言って……」
「もう親離れしなきゃいけない頃だよ。そう思わない? ミューズは子供が成長して嬉しくない? 多分普通の親子ってそういうものだと思うんだ。子の成長を喜び、少し寂しくなって……そういう感じなんだと思う。僕は普通の人間として生きたいから庭から出たけど、ミューズもそういう気持ちを少し知ってくれたら嬉しい」
「夏希……」
「分かって、ミューズ」
「でも、でも! 相手はエリスだよ! 気持ちでどうにかなるもんじゃない! 武器すらない! 物を知らない子供の暴走を止めるのは親がやらなきゃ誰がやるの! 夏希はついこないだまで庭から出たことがなかったんだから!」
「叢雲、来い」
僕が告げる。
確信があった。
呼べば来る。
必ず。
瞬間、部屋の床から突き抜けるようにして刀形状の叢雲が現れる。
そのまま僕の手に握られる。
「呼ぶのがちと遅いんじゃないか主様?」
「ごめんごめん。でも戦いはここからだよ。叢雲、頼っちゃうけどお願いできるかな」
「当たり前じゃ主様。相手はエリスじゃな。女神相手はちと厄介じゃが……都合のいい相手だけと戦闘するなんて虫のいい話はないからの。やるしかないじゃろ」
「正直に聞くよ叢雲。どうすれば勝てる?」
「相手が女神だろうと何だろうと、儂に斬れないものはない。腕に当てれば腕が無くなるし、足も同様じゃ。首に当てればそれで勝負が終わる」
「どうにかしてエリスに当てなければいけない、と」
「当たり前じゃ。主様は儂を握った時点で剣士じゃ。刃を相手に届けるのは主様の仕事、斬り裂くのは儂の仕事じゃ」
叢雲と話しているところにエリスが割り込む。
「驚いたわね。簡易とはいえ封印も施したはずなんだけど。叢雲、あなたどうやって出てきたの?」
「何を驚く必要がある。儂は主様の守り刀。呼ばれたから来た。それだけじゃ。呼ばれればどこへでも行くぞ。異世界だろうが未来だろうが過去だろうが呼ばれた瞬間に主様の元へ行こうぞ」
「……そう。そうね。あなたは確か元々……」
ここだ。
ツノウサギとゴブリンと戦って分かったこと。
行くと決めた時に一気に行く。
それが勝つために必要なこと。
そして、上手く奇襲が決まった時の感覚……それは、相手と呼吸が「合わなかった」時。
それが今。
一気に近づいての袈裟斬り。
当たればそれで勝ち。
それが叢雲の力。
だが、避けられる。
僕にとって最高のタイミングでの奇襲を、エリスが難なく避ける。
「主様!」
しかし本命はここから。
何度も練習をしてきた、二の太刀。
燕返し。
手首と肘と肩、それに身体全体を返しの太刀のために総動員する。
出来るだけスムーズに、スムーズに、スムーズに。
しかし
「驚いたわ。あなたこんなものを使えるの」
エリスは、避けるでもなく叢雲を指で掴んでみせた。
僕が振るえる最高の一振りを。
「なっ!」
思わず後ろに飛び退く。
エリスは抵抗もせずに叢雲を離す。
「燕返しよね、今の。稚拙とはいえ間違いない。そう。あなた、使えるのね」
防がれた。
一撃で決まるとは思っていなかったとはいえ、かすり傷も負わせられなかった。
しかし、ああも見事に防げるものなのか。
自分で言うのも何だが、僕の不完全な燕返しとはいえ、初見で完全に防ぐのはかなり難しいと思う。
二の太刀は、いわば意識の外から飛んでくるものなのだ。
いくら戦闘中に緊張していたとしても、一の太刀を避ければ絶対にどこかに気の緩みというか、隙間ができるものなのだ。
そこを突く二の太刀は、来ると分かっていたとしても反応するのが難しいはず。
それを避けるでもなく指で掴むとは……
「……見たことあるんですか。そうでなければ……」
「燕返しのこと? ええ、あるわ。使い手のことも知っているわ。まさかあなたが使ってくるとは思っていなかったから少し驚いたわね」
「どうりで……」
不味い。
エリスは燕返しを見たことがある。
しかも使い手のことまで知っているという。
僕の数少ない、というか唯一の優位が完全に吹っ飛んでしまった。
「まだ使い始めという感じね。でも二の太刀のタイミングは悪くなかったわ。真剣勝負だけなら剣士としてはもう一流に届くかもしれないわね。燕返しはそれだけできれば十分なんだもの。他の剣技が使えなくとも、それだけで十分。それが燕返しよ。なにせ避けられないのだからね。今のを避けられる剣士は、ここトリネロでも数人いるかいないかといったところでしょう」
「それはどうも。でも簡単に防ぎましたよね」
「それはあなたが未熟だから。確かに燕返しは極めれば神をも殺す剣技。だけどあなたはまだまだ。3年後だったら危なかったかもしれないけど、今なら私にとってはまだ児戯に等しいわ」
「……僕にはこれしかないので、足掻くことにします」
再び踏み込んでの燕返しを試みる。
さっきとは踏み込みのタイミングと袈裟斬りの角度を変える。
僕にはこれしかできないのだから、少しでも変化を付けなければならない。
「児戯だと言ったでしょう」
エリスはまたもや叢雲を掴み、今度は僕ごと放り投げる。
「戦いの中で上達されても厄介ね。腕を殺しましょうか」
エリスが近づいてきて僕の左腕を掴む。
そのまま握力任せに握り潰す。
「あああああああああああ!!!」
絶叫する僕を放り投げる。
そのまま僕の身体は壁に激突し、痛みと呼吸困難で動けなくなる。
「夏希!!! 待ってて今助ける!!! エリス、あなた許さない!!!」
ミューズが駆け寄る。
「ミュ、ミューズ……ダメ……引っ込んでて……」
「言ってる場合じゃないでしょう!!!」
そこでエリスが呟く。
「やっと到着したようね」
見ると、迷宮の守護のための戦士団の戦士が駆けつけていた。
労務場で見たことのある、都市トリネロを迷宮から這い出るモンスターから守る為の精鋭だ。
「エリス様、お呼びに従い参上しましたが……この状況は一体?」
「ああ、気にしなくていいわ。あなた達の仕事は、そこの赤い女神をしばらく抑えていてくれればいい。私はこの子に用事があるから。私の用事が終わったら赤い女神も私が引き受けるから、それまでお願いするわ」
「了解致しました。女神様が相手ですか……我々の力で対抗できると良いのですが」
「倒す必要はないわ。あなた達には無理だろうしね。全員の魔力を封術師に集中させてレベル5封術をかければ足止めにはなると思うから」
「はっ。では始めます」
戦士団は直接戦闘をせずに、封術でもってミューズの足止めをするようだ。
精鋭とはいえ人間の力で女神を倒すのは難しいだろうから、後でエリスが戦うまでの時間稼ぎができればいいというつもりだろう。
つまり、それまでエリスは僕との戦闘に集中するということだ。
「さて、ミューズの助けは期待できなくなったわよ?」
「……言ったでしょう、これは僕の戦いだと。願ったり叶ったりですよ」
「左手が潰れているのに余裕があること。さ、次はどこを潰そうかしら? それとも、私が保護した後も逃げ出そうなんて気が少しも起こらないように、ちゃんと絶望を与えてからの方がいいかしら」
そう言うとエリスは力任せに僕の身体を蹴った。
ボールのように僕は2,3度地面にバウンドしながら壁にぶつかる。
「これから5分間、あなたを蹴り続けるわ。心が折れたら言いなさい。そこまでにしてあげるから」
宣言通り、エリスは僕を蹴り続ける。
心を潰すためなのだろうか、一撃で気絶するでもなく戦闘不能になるでもなく死ぬでもなく、そのように。
筋肉が機能しなくなってくる。
骨が身体を支えるのを拒否し始める。
痛い。痛い。痛い。
「私は、別にあなたを拷問したくてこうしているわけじゃないの。あなたがもう負けました、あなたに保護されますと言えばそれで終わりにしてあげる。心が折れたのなら、逃げる気もなくなって両手両足を切り落とす必要もないだろうから、鎖で繋ぐ程度にしてあげる。譲歩よ。どうするか決めなさい」
エリスが問いかける。
さっきまで保護した後は手足を切って逃げないようにすると言っていたのだから、確かにこれは譲歩なのだろう。
だがそれは僕の心が完全に死ぬということ。
心が死ぬのだから逃げるための手足を切らずにおいても良いだろうという、単純な判断。
殺すのが身体か心かという、ただそれだけの話だ。
「どっちが大切かって……そんなの決まってる」
「? 何を言っているの? まぁいいわ。じゃあもうしばらく痛がりなさい」
エリスが足を上げる。
青いドレスから伸びた細く白い足。
この細い足のどこにこんな力があるのかと思うが、間違いなく僕を殺せる力を持った足。
その足を見ながら、朦朧としてきた意識の中で僕は考える。
「(まずは、この足をどうにかしないといけないなぁ。邪魔だなこの足)」
スっと叢雲を振る。
目の前の邪魔なものを手でどかすような、そんな感覚。
斬るという意志も込めずに、ただ刃を足に近づけるような、そんな感覚。
「ぐっ!!」
エリスが転ぶ。
……転ぶ? エリスが? 女神が?
何をしているんだろう、と見てみる。
そこには、赤い液体と一緒に膝から切り落とされた足が転がっていた。
ああ、そうか。
邪魔だから斬ったんだった。
……僕が斬った?
どうやって?
エリスに蹴られた痛みからなのか、意識がハッキリしない。
だけど、さっきは「女神の斬り方」が鮮明に僕の頭の中に浮かんでいた。
どう叢雲を振るえばいいのか、どの角度が効果的か、スピードは必要か、タイミングはどうか……
それが全ての情報が鮮明に浮かんでいたのだ。
「あなた……」
エリスが僕を睨む。
敵を見る目。
そうか。ようやく僕を敵として見てくれる気になったか。
じゃあ、戦いはここからだ。
ここからが戦闘だ。




