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母の思い

「ミューズ!」


 僕は思わず名前を呼ぶ。

 なぜここに……って、考えるまでもない。

 僕を追ってきたのだ。

 僕の感覚では庭からここトリネロまでかなり長い旅に感じたが、ミューズにしてみたら一番近い都市をまずは探してみようくらいの感覚だったのだろう。

 そして、トリネロの中で僕がいそうなところと言えばまずは労務場。

 僕が身分証明書を持っていないのはミューズも承知だろうし、だとしたら労務を課されていることもすぐに想像できる。

 労務場に行けば、エリスが僕と叢雲を連れて行ったという情報もすぐに分かっただろう。


「夏希! 怪我は? 怪我はない? この女神に何かされてない?」


 ミューズが悲痛な面持ちで僕に話しかける。


「大丈夫、大丈夫だよミューズ。まだ何もされていないよ」


「まだ……まだ、ね……さっき少し夏希とエリスの会話が聞こえたわよ……」


「うん」


「怖かったね夏希。でももう大丈夫。ママが来たからね。もう心配ないよ夏希」


「うん……」


「ママね、ハーモニーとフォルテと話をしたんだよ。夏希のことについて。夏希のこれからについて。夏希がこれからどうしたら幸せに生きられるかについて。だから、夏希もママと話をしよう。夏希の話を聞かせて。どうしたいのか、どう生きたいのか、ママに聞かせて」


「うん……」


「まずはここから出ましょう。こんな所にいては夏希の教育によくないわ。すぐに出ましょう。話をするのはどこか落ち着ける場所に行ってからにしましょう。ね、夏希」


「うん……」


 そこまで黙って聞いていたエリスが話に割り込んでくる。


「ミューズ。悪いけどあなたもその子もここから出すわけにはいかない。分かっているでしょう、理由は」


「聞かなくていいよ夏希」


「その子は私が預かるわ。あなたはもう何もしなくていい。……というか、この際だからハッキリ聞くわ。ミューズ、あなたは今後どうするつもり? 女神としての職責を果たす気持ちはあるの? それとも、その子の好きにさせておくつもり?」


「全ては夏希と話をしてから。私と夏希は久しぶりの再開なの。ちょっと遠慮してくれないかな。それで、夏希と話をして、もし夏希の望みが世界にが害をなすものだとしても……結果としてそうなるとしても……私とハーモニーとフォルテは、夏希の気持ちを優先する。女神も世界も知ったこっちゃない」


「あなたも叢雲と一緒なのね」


「叢雲? 私は叢雲と話をしていないから詳しいことは分からないけど、なるほどね、叢雲もそういう感じなのね。じゃあ私も叢雲と一緒でいいよ。だって夏希以上に大切なことなんてないからね」


「それなりの覚悟はあってのことでしょうね?」


「エリス。夏希は何か悪いことした? そりゃね、私だって夏希が庭から逃げる前は必死で止めたわよ。そりゃそうよ。でもね、夏希は少なくとも悪いことはしていない。自分に正直に生きたいと、そう言っただけ。それに夏希が庭から逃げ出さないようにしてたのは、女神とか世界とかそういうんじゃなくて、単に私が夏希と離れたくなかったからなんだよね……」


「元から女神の職責などどうでも良かったと、そう言いたいの?」


「エリス、あなたも子供達カリーナの母親になったことがあったわよね。何百年前か何千年前か忘れたけど。そんなあなたが、私の気持ちが分からない?」


「…………」


「それだけ、それだけの話よ。私は夏希を産んで、育てて、そうしたら女神も世界もどうでもよくなった、本当にそれだけの話なのよ」


「……許されるとでも思っているの?」


「許すも許されるもないよ。母親が自分の子供を大切にして何が悪いの」


「ならあなたにも覚悟してもらわないといけないわね。さっきその子にも話していたけど、叢雲は封印した上で石棺に入れて地下に埋めるわ。その子は手足を切り落とした上で私が保護する。あなたは……女神である以上はそう簡単に封印もされないでしょうけど、まぁ100年くらい出て来れないようにすればいいでしょう。そのくらいの処置なら私にもできるわ。そうね、叢雲と同様に地下か海底にでも沈んでもらいましょうか」


「私と叢雲はともかくとして……夏希にそんなこと……、いえ、そんな言葉を投げつけることすら許せない。絶対に」


「ここトリネロは私の都市。戦ってもあなたに勝ち目はないわよ。戦士団はもちろん私の指示に従うし、その他にも万が一に備えての仕掛けが山ほど用意してあるわ。例えばミューズ、あなたの足元にも……」


 エリスがそう言うと、ミューズの足元に魔法陣が浮かび上がる。

 

「ちっ!」


 ミューズは飛び退くが、魔法陣から伸びた人の手のようなモノがミューズを絡み取り、そのまま陣の中に引き込もうとする。

 

「陣ごと消すしかないか! 夏希、ちょっと離れて!」


 ミューズがどこからか棒のような物を取り出し、先端から光の帯を射出する。

 人の手のようなモノも魔法陣自体も、それで元から何もなかったように消え去った。


「浄化のスキルは相変わらずA級ね。でも、そんなものは小手調べよ。もっと大規模な仕掛けもそこいら中にあるわ」


「全部消せばいい」


「忘れないで。私自身もあなたと同じ力を持っているということを。さて、あなたは耐えられるかしら? 自分が負ければあの子も叢雲も終わってしまうというプレッシャーの中での戦いに」


「絶望の中での戦いなんて私たち女神は慣れっこのはずだよ。エリス、あなただって知ってる癖に。そして、女神は絶対に諦めない。それも知っているでしょう」


「ええそうね。なればこそ、力尽くでの手段しかないわ」


「ミューズ」


「夏希、ちょっと待ってて。ママ絶対に負けないから」


「ミューズ」


「怖かったでしょう。あなたの手足を落とすなんて真似は、ママが絶対に許さないからね。確かに色んな仕掛けがあるみたいだけど……いざとなったらあなただけでも逃してあげる。心配しないで」


「ミューズ!」


「……? どうしたの夏希。心配いらないって言っているでしょう」


「ミューズ。それはミューズのやることじゃないよ」


「…………? どういうこと? あなたを守るのは私の役目でしょう。叢雲も今はいないし」


「ミューズ。僕は庭から逃げ出してきたよね」


「ええそうね。あんなの止めたのに。でももうそれはいいの。3人で話して決めたの。女神とか世界とかそういうのはもうどうでもいいの。夏希と話してみて、それで夏希の気持ちを大切にしようって決めたの」


「ありがとう。でもそれはミューズがここで戦う理由にはならないよ」


「? 夏希は自由に生きたいのよね? そう言って庭から飛び出したものね。なら私がそれを応援してあげるって言っているんだよ。目の前のエリスはそれを邪魔しようとしてる。それをママがどかしてあげるよ」


「自由じゃない」


「え?」


「それは全然自由じゃないよ、ミューズ」


「……どうして? 邪魔なエリスがいなくなれば、夏希はまた自由にできるよ?」


「それはダメだよ。全然ダメだ。それじゃ庭の中にいたのと何も変わらない。ミューズ達に守って貰いながら、何も心配せずに暮らしていれたあの庭の中の生活と何も変わらないよ」


「夏希が何を言っているのかママちょっと分からない……ごめんね」


「ミューズ達に与えて貰っていた安穏な生活から逃げて僕はここにいる。ここでまたミューズに守って貰っても、それじゃダメなんだ」


「……もしかして、私が負けると思ってる? 大丈夫だって。言ったでしょうあなただけでも逃がすって。戦士団や魔法陣の仕掛けは確かに厄介だけど、別に全滅させる必要はないんだもの、何とかなるわ。そうね、夏希は危ないから別の部屋にいなさい。怪我でもしたら大変だからね」


「ミューズ!!!」


「……どうしたの夏希。大きな声出して。不安なの? 心配いらないって、ママは負けないって……」


「僕が戦う。ミューズは引っ込んでて」


「……え?」


「ここは親の出る幕じゃないよ、ミューズ」


「え? 親の出る幕って……何を言っているの。私は夏希を守らなきゃ……」


「ミューズはちょっと引っ込んでて。これは僕の問題で、僕が解決しなきゃいけないことだ。ここでミューズに頼ったら、もう僕は一生ミューズから離れられない」


「……ごめんちょっと意味が分からないよ。戦う? 戦うってエリスと? ……何言ってるの夏希。エリスは女神だよ。あ、もしかして庭で私と戦った時のことを思い出してるの? あれは私は全然本気じゃなかったんだよ。むしろどう力を抑えるかそれに苦労したくらい。あれを思い出してエリスにも勝てると思っているんならとんでもない……」


「ちょっと黙っててミューズ」


 ここだ。

 ここが僕の正念場。

 ミューズが戦ってくれれば、確かに僕だけを逃がすことは可能かもしれない。

 だがそれだけ。

 僕は逃された先で恐らくはハーモニーとフォルテに保護されて暮らすことになるのだろう。

 二度とエリスには出会わないように細心の注意を払いながら。

 叢雲も封印されてしまうだろう。

 

 それじゃダメなんだ。

 庭から逃げてきて、僕が望んでいたことは何だ。

 自由に生きること。

 だが、自由に生きるとはなんだ?

 危険から逃げて、守って貰って、それで好きなことをやれればそれが自由か?


 僕は違うと思う。

 自由でいるためには代償が必要になる。

 自由を得るための戦いも必要になる。

 負ければ、自由だけではなく命すら失う戦い、それが必要になる。

 そりゃそうだ。

 『負けたからもう自由じゃなくていいです、後は平和に暮らします』なんて都合のいいことがあるものか。

 それが、ここ。

 相手は女神。

 強大過ぎる相手。

 だけどやるしかない。


 ここが僕のスタートラインだ。

 

 



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